78.封印解除 ※
深夜の魔王城、玉座の間。
月も無く窓から差してくる光も無い。
燭台のろうそくの光が灯る。
昼間のうちに魔王は振り子時計を持ってきて、玉座の間に置いた。
その時計がかっち、かっちと静かに音を立てている。
「……魔王城そのものを結界にして戦う。奴はここからは逃げられん」
大きな石造りの広間。窓も扉も、全て魔王の死霊術で封印してあった。
「これから楓にかけられた封印を壊す。奴が出てくるまでお前は動くな」
「了解じゃ」
魔王は解くとは言わない。壊すと言った。
鬼姫は玉座の前に立って動かない。
魔王の左手には佩刀である両刃剣。かつて先代魔王が魔界統一のために振るった剣であるという。何の飾りも無いその剛剣に名は無く無銘である。
「楓、本当に武器はいらないのか?」
「うちの剣術は無手の時が一番強い。このままでええ」
「まったく意味が分からんが、まあそういうことなら……」
その剣に魔王はなにか魔法をかける。
「……死霊を斬れる降霊術だ。これで奴を具現化させることができる」
次に鬼姫の前に手のひらを広げて突き出し、念じた。
鬼姫の体から五芒星の陣が展開し、祝詞に彩られる。女神教会に伝わる封印可視化の術に大賢者オーツが手を加えたものを、さらに魔王が改良した、封印実体化の魔法である。
「時間だ。今俺たちがいる地球の裏側で、日と月と地球の軸が重なる。太陽の日の光が最も弱くなる瞬間だ。行くぞ。目をつぶれ」
鬼姫はぎゅっと目をつぶって、身構えた。
「ふんっ!」
魔王は振りかぶった魔剣を思い切り良く振り下ろす!
その剣は鬼姫の肩口を袈裟に斬り裂くと思われたが、ガキンという金属音と共に撥ね上げられた。
じゃらららららら、と鎖が落ちるような音がして、祝詞文様と五芒星が床に落ちて散らばる。
鬼姫は前に倒れ、その背からぶわっと黒い影が舞い、玉座の上に飛び上がった。
「出たぞ!」
魔王は鬼姫を抱え上げ前を向かせた。黒い影は集まって形を成し、その姿は山伏姿の天狗となった。
頭に兜巾、手甲脚絆、右手に錫杖、左手に羽団扇を持つ一本歯の高下駄を履く天狗は、ゆったりと翼を広げ二人を見下ろす。
髪も、髭も、爪さえも一度も切ったことが無いように伸び放題という異様な姿。
その姿は、天狗と言うにはあまりにも、無残だった。
「礼を申そう……我は第六天魔王波旬」
「おぬしか!」
鬼姫は立つ。
「崇徳!」
思い出した。
都に害成す、帝を滅ぼす、大災厄の極悪霊。
古都九百年の呪い。その主が、今、異世界の魔王城にその姿を現した!
不気味な声が玉座に響く。
「……地獄道、餓鬼道、畜生道に身を投げた我は日本の大魔縁」
「臨兵闘者皆陣裂在前!」と印を切る鬼姫。
「皇を取って民とし……。民を皇となさん」
「それがおぬしの望みかのっ!」
ぶわり。
天狗がその左手の羽団扇を振るう。
大風が巻き起こり渦を巻き、魔王は押し飛ばされた。
「クソッ」
魔族、勇者と闘って来た百戦錬磨の魔王とはいえ、こんな術を食らったのは初めてだった。ただの風なのに重みが違う。見えない壁がぶつかってくるようだ。
「この呪詛を魔道に回向す!」
「勝手にせい!」
碁の目に張られた九字結界でその場に踏みとどまった鬼姫は走り、玉座を踏みつけて跳ね上がり、七尺五寸の大薙刀を振り抜いた。
何も持っていなかった丸腰の鬼姫がいきなり薙刀を振るったのである。完全に虚を突かれた天狗は、羽団扇と、手甲ごと指を数本斬り裂かれた。
天狗は目を剥いて驚く。左手の親指から中指まで飛ばされ血が飛んだ。
斬れる!
悪霊ではなく、今は魔王の降霊術で具現化している天狗。思いつくだけの霊符を全部貼り付けた薙刀で、倒せると鬼姫は確信した。
ぶわさっと羽を広げて宙に舞う天狗。
「魔王殿!」
「おう!」
既に起き上がり剣を構えていた魔王は飛び上がってその翼を襲う。
「飛べる」という魔王。羽にも頼らず身一つで空を飛んだ!
天狗の羽が飛び散って片翼が少し切れた。
魔王の剣を逃れようと大きく羽ばたいたその羽が、羽ばたきに耐えられず切った所からぼきりと折れる。天狗は落ち転びそうになるが踏みとどまって玉座の間に降り立った。一本歯の高下駄である。
魔王も着地するが、天狗はさっき落とした羽団扇を拾い、床に向かってそれを振った。
ぐらぐらぐらぐらっと床が揺れる!
「なんだ!」
「地震じゃ!」
バランスを崩して魔王が転びそうになる。大陸の果て、地震の経験がない魔王は動揺する。
古代日本、天災は神の祟りであった。天災を引き起こす呪詛の神通力。日本を繰り返し襲って来た災厄が魔王城をも襲う。ガラガラと崩れ始める魔王城。
だが、間髪入れず鬼姫が飛び込んで薙刀を振るう。経験のない魔王と違って、数百年を日本で生きた鬼姫は地震ごときに動揺はしなかった。
片手の錫杖で薙刀を防ごうとした天狗、目の前で鬼姫が一回転し、薙刀の柄で錫杖を撥ね上げた。
そこに一気にジャンプしてきた魔王が胴薙ぎに両手剣を叩きこむ!
じゃりっと金属音がして剣の刃は通らない。山伏の装束下になにか防具がある。
天狗は魔王を高下駄で蹴り飛ばし、鬼姫の薙刀を錫杖で撥ね返す。
「ぐっ……つええ!」
魔王はすぐには立てない。まだ地面は揺れている。鬼姫は天狗とまともに向かい合って、薙刀と錫杖で打ちあう。二人とも長柄の攻防だ。だが天狗は片手。
錫杖とはいえ金属の棍棒、刃を合わせず鬼姫は峰で擦り上げる。
もう片手の羽団扇を振ろうとした瞬間を狙いすまして再び斬り上げ、羽団扇はバラバラになって散った。
地震が止まる。
だが天狗はその一瞬に薙刀の柄を掴み、鬼姫の体を錫杖で殴打すべく引き寄せた。
その時、鬼姫から逆手の短刀が振り上げられ、天狗の鼻を斬った!
「ぎゃああああ!」
鼻から血を吹き、顔を押さえる天狗。手から錫杖が離れた。
血を被りながら鬼姫は背中を見せてからの逆手の回転で短刀を天狗の腹に突き立てた。おそらくは鎖帷子。しかし鬼姫の馬鹿力の突きである。その刃は鎖の網を抜いて、通った!
「ぐぁ!」
これは天狗も声を上げずにいられなかった。
次回「79.大災厄」




