76.怨霊
魔王の部屋は謁見の間、玉座の裏の奥の奥に隠されていた。
鬼姫はすっかり見逃していたのだが、凝った隠し通路があり、厳重に隠されていたのだ。そこでは略奪を免れ、日常生活に不自由ない空間が確保されていた。
鬼姫も食べられるような食材や穀物が時が止まったように保存されている部屋があるのには驚いた。
鬼姫は二人の部屋のベッドで寝るが、魔王はいったいいつ寝てるのかと言うぐらい研究に没頭していた。たまにソファで寝ているところは見たことがある。
寝ているときの魔王は無防備で、鬼姫はその姿を可愛いと思った。
なにより気を許してくれているのが嬉しかった。
鬼姫は魔王の邪魔をせず、研究に集中できるように食事を用意し、部屋を片付け掃除洗濯をし、できることがあれば協力していた。
魔王はオーツの魔法書を研究し、魔王城の書庫から本を持ってきては鬼姫を調べ、封印の解析を行っていた。毎日一度は、鬼姫の封印を王都の大神殿で神官がやったように、可視化しては様々な術式を記録してゆく。
「……かわった封印だ」
メモにペンを走らせてつぶやく。
「勇者たちがかけてくる封印はいわばパズルだ。それを解くには細かい仕掛けを一つ一つ外してゆく感じで時間がかかる。聖女が錠前で、勇者が鍵だ。本来簡単な仕掛けの封印が、それで組み合わせが膨大になる複雑な仕掛けに変わる。男女が交わると生まれる子供は兄弟でも全員違う。それと似ている」
「なんじゃ。聖書には封印は勇者がやると書いてあるし、オーツは封印は聖女がかけるとばらしておったが、ほんまは二人がかりでかけるのかの」
「教会の秘儀だ。まあオーツ程度の魔法使いには見破れなかったってことだろうさ」
魔王は、実は勇者も聖女も、封印の魔法にも、女神の加護がかかっているとは全く考えていない。魔族は女神の力などに頼らず魔法を使えている。人間が使う魔法や術に女神の手助けなど感じたことさえないのである。
女神など人間のでっち上げで、実は実在していないとさえ思っている。
だが、それは鬼姫には言わない。
鬼姫が自分の女神を信じているなら、それはそれでいいじゃないかと思うからだ。
「うちにかかっておるのは違うのかの?」
「実にシンプルだが恐ろしく力技だ。鎖は見えているが、それを叩き壊す必要がある。そんな感じだ。これは普通の術者には全く手が出ないね」
「……オーツも、これは自分には無理だと言うておったの」
「あんな馬鹿に解けるわけがない。まさに神がかけた術だと言われても否定できん。俺でもこれは手こずってる……弱点を見つけないといけないんだ」
今日もメモと膨大な資料を前に魔王は考え込む。
「鎖なんだ……。鎖なんだから、繋いだ箇所が必ずある。もちろん見分けがつかないように隠してある。だが、絶対にそこは鎖より弱いんだ。やれば叩き壊せる。そんな構造なんだよ」
「この見える術、大聖堂の神官もやっておったが、すぐにぶっ倒れておったの」
「……オーツの魔導書も少しは役に立つ。これには術式を少ない魔力量で可視化する方法が書いてあった。まあそれでも人間じゃすぐに魔力が尽きるだろうな。俺も魔王だからなんとかなってると思うよ。それについちゃ自信がある。任せろ」
「なんぞお役に立てることがあるかのう?」
「物理的にぶっ壊さないとならん所がある。そこをどうやるかだな。まあそれは後でいい」
魔王は魔道ランプを取り出して術をかけ、火をつける。
「問題は封印されているものが何かだ」
そして部屋の燭台を消して暗くする。
「……これはお前の影を映す。そこに立て。壁に向かって」
言われたとおりにする鬼姫。壁にゆらゆらと自分の姿の影が映る。
「今から封印を丸裸にする。そこに映る影に心当たりが無いかよく見ておけ」
……魔王は教会の神官のように、いちいち呪文を詠唱したりはしない。信仰する神も無く、女神や精霊の加護にも頼らず、全てが自分自身が練る魔力のみで発動させるのだから、誰かに聞かせる呪文など必要なかった。
鬼姫の周りが光り、あの教会で出たような五芒星が何重にも折り重なった祝詞と封印が実体化する。
紅葉神社の宮司が書いた葬送の祝詞である。
そしてゆらゆらと鬼姫を映す影の形が変わり、その姿は……。
裾の広い服を着てその全体の輪郭はわからない。だが、鬼姫にはそれは羽の生えた、男の姿……? に、見えた。
その影の男は、手にした棒を振り払った。
しゃりーん……。
部屋の中に金属が鳴る音が響く。
可視化されていた封印が消えた。
壁に揺らぐ影は元の鬼姫の姿に戻った。
「……ふう」
魔王は息を吐いて脱力する。
「今の姿見たな?」
確かめるために魔王は鬼姫に問いかける。
「見えた」
「羽が生えた男のように見えた。杖を持っていた」
「天狗じゃ」
「てんぐ?」
鬼姫の表情は一変していた。怒り、恐怖、憎しみが現れ、目は吊り上がり牙が出ていた。
「……お前でもそんな顔するんだな」
魔王が驚くほどの豹変ぶりであった。
「天狗ってなんだ?」
「……山伏、山の神、だがこいつは違うの」
「……どう違う?」
「帝に仇なす、怨霊じゃの」
「帝ってのは王ってことだよな。王に祟る悪霊ってことか」
ふいに鬼姫は倒れた。すぐに駆け寄って魔王は鬼姫を抱きとめる。
「お前そんなのと闘ってたのか……」
翌日、「寝てろ」と魔王に厳命された鬼姫、いろんな思いが頭を巡ってなかなか眠れなかった。
「……どうだ気分は?」
「最悪じゃの」
「一杯飲むか?」
「いただくのじゃ」
ベッドから起き上がって、グラス一杯のワインをもらい、ぐびぐび飲む。
「もうちょっと味わってほしいなあ」
「酒蔵の娘みたいなことを言う……。次からそうするの」
「飲んだら眠くなるんだろ? ちょっと話の続きしていいか?」
鬼姫は頷く。丁度鬼姫もしたかった話である。
「天狗について詳しく」
「山に住んでおる妖怪じゃの。普通は人間に害成すような輩ではない」
「ほー……」
「ただ、山に籠って修行しておる、そんな妖怪じゃの。だから修行を妨げられるようなことをすると怒る。だから山を守ておる山神様じゃと、祀っておればなんもない」
「魔王も本来ならそんな存在だったと思うんだがなあ……」
こんな東の果てで城を構えて、人間とはかかわりなく静かに暮らしている魔王、思うところがあるようである。
天狗。天を駆ける狗である。
元は中国で、流れ星、隕石を差す自然現象への畏れを妖しに例えたものが日本に伝わり神格化された。修験者たる山伏が天狗と同一視され、主に山岳信仰として天狗を祀った神社は多い。
神道の山神とされる一方で、天竺のヒンドゥーの神々も仏教と共に伝わり、烏天狗の姿をして、神道でも仏教でもどちらにも登場する日本土着の信仰対象なのである。
「だが、なんかの理由で人の世を追われ、山に隠れ恨みを募らせることで怨霊となった天狗もおる」
「もとは人間だったのか」
「怨霊になった天狗は人に害成す。都に呪いをかけ、天災を引き起こす。それは疫病だったり、地震や災害だったり、大火だったり、戦だったり、火の玉(隕石)が降ってくるという話まであるのう……」
「凄まじい呪いだな」
「帝は呪いのために遷都までしたことがあるの」
「せんと?」
「都を移す……。要するに首都を他の場所にするとかの」
「そこまでやるか。なんてヘタレな王様だよ」
「帝の身内が次々に狂い死んだり、病死したりなんてこともあったからの」
「怖いなそれ。……俺も勇者という狂人につきまとわれているようなもんだ。もう引っ越したいよ」
鬼姫は笑ってしまう。ところどころに自虐っぽい笑いを挟んでくる魔王、鬼姫が話しやすいようにしてくれているわけだから、こんな話でもしていて楽しい。
「きっとうちはそんな天狗の怨霊と闘ったのじゃの」
「強いかそいつ」
「天狗はのう、羽が生えとって飛ぶ。これが厄介じゃ。大天狗ともなると持っておる羽団扇がまた変化の術を使い、風雨をあやつり、火を出すともいわれとるのう」
「なんだそりゃ。無敵じゃないか」
「そうなんじゃ。妖怪はの、たいてい退治された昔話が残っておるものなんじゃが、天狗については退治された話が一切ないのじゃ」
妖怪の昔話は八岐大蛇のようにほとんどが倒した話、追い払った話と対で語られるものが多いのだが、天狗については倒されたという伝承が歴史上ほとんどない稀有な妖怪なのだ。日本の妖怪史上最強と言っていい。だから鎮めるために天狗を祀る。それはあらゆる自然災害への畏れであり、人にはどうすることもできない人知を超えた者なのだ。
「いくらなんでも強すぎるだろそれ。天狗の弱点ってあるのか?」
「思いつかんのう」
「なんでもいい。やってみる価値はある」
鬼姫は頭を抱えて必死に思い出す。
「そうじゃのう。鯖が嫌いちゅう話がある」
「サバ?」
「魚じゃ」
「それただの食い物の好き嫌い。個人差だろ?」
「言われてみればそうじゃのう……」
鬼姫は考え込む。
「あと鼻じゃ」
「鼻は誰でも弱点だろう。俺だってお前に殴られれば鼻血ぐらいは出るぞ」
「『天狗の鼻を折る』ということわざがある。得意になっておる奴をやりこめるちゅう意味だがの」
「折れるぐらい長いわけか」
「殿御の摩羅のように、こう……」
「やらんでいい」
鬼姫が鼻の上で手をそういう形に握るので、魔王は手を振ってやめさせた。
「剣も強いしのう……。牛若丸に剣術を教えたのが天狗と聞く」
「牛若丸って誰だ」
「武蔵坊弁慶をやっつけた小僧じゃの」
「……まったくわからん。いったいどうやって」
「天狗のごとく五条大橋を飛び回る剣術で弁慶を圧倒したと聞くの」
「ふーむ……」
魔王はそんなとりとめのない鬼姫の話を真面目に考える。
「その天狗、剣が強いってことは、剣が弱点だ」
「は?」
「つまりだな、剣技を鍛えるのは剣で負けないためだ。そうだろう?」
「そうじゃの」
「つまり、天狗は剣で斬れる」
「……」
鬼姫は、おぬし何を言うておるのじゃ? という顔をしていた。
「剣なんて屁でもない奴が剣を鍛えるか? 怨霊と言えども剣は恐れるってこった。剣術で勝てばいいってこと。お前剣はどれぐらい使える?」
「……死ぬまで負けたことは無かったの」
「そりゃ凄い」
「うちがどれぐらい強いかはこれでわかるらしいのう」
鬼姫はつづらから巾着を取り出して、ハンターカードを魔王に渡した。
「これがどうした?」
「裏にうちが今まで倒してきた魔物の名がある」
カードを裏返してみる。
「…………やるな」
これにはさすがに魔王も驚いた……。
次回「77.鎖と鍵」




