74.告白
「……魔王殿はなんでこの城で一人でおるのかの?」
「……恥ずかしい話になるが、全部話そう」
魔王は棚からワインを出す。
「隠していたワインだ。ワイン好きか?」
「葡萄酒じゃの。うちは酔っぱらうと寝てしまうので、少しでいいのじゃ」
ワイングラスを二杯、用意して静かに注ぐ。
「俺が生まれたときはもう俺の父……いや、何代前の魔王かもわからんが、ずっと昔から魔王が魔族を統治していた。もう七百年は昔になるか。魔族同士の争いをやめさせ、まあ平和とは言えなかったが、戦争は無かった」
「うちの住んでおった日本もそうじゃ。だがの、いつもどこかで戦がはじまり、しばらく平安だと思ったらまたすぐ戦になる……」
「その通り。俺の統治になってから世は乱れた。平和になれば魔族は増える。魔族が大きくなりすぎて手が回らなくなったんだ。俺に関係なく、魔族同士が勝手に戦を始めて止められない。多くの魔族が滅んだ」
「……帝もおんなじじゃ。名前だけ一番偉いことになっておっても、武士どもが勝手に戦を始め、いつも蚊帳の外じゃった。どこでも事情は一緒じゃのう」
長い歴史の中には、戦国の世のように古都の御所でさえ貧窮し、塀が崩れたまま、雑草は生えたまま、荒れ放題だったこともある。この廃墟同然の魔王城も、鬼姫にはどこかで見た覚えのある風景によく似ていた。
「わかってもらえるのはなんだか嬉しいな。俺は愚王だと言われていたから」
魔王は苦笑して、自分のグラスにさらにワインを注ぐ。
「多くの種が滅び、魔族は数を激減させ、そんな時、人間がやってきた」
「勇者かの?」
「そうだ。女神に天啓を受けたとか言って、魔族を攻めた。大規模な軍で押し寄せてきたこともある。数が減って弱体化した種族をことごとく滅ぼした。魔族を滅ぼせ。それが人間たちに神が与えた啓示だったと聞く」
「聖書があるの。読んでみるかの?」
鬼姫はつづらから教会からもらった聖書を出そうとするが、止められた。
「読んだことぐらいあるよ。勇者に同行する聖女や神官が必ず持ってるからな。勝手なことばかり書いてある……」
グラスをあおる。
「魔族が弱体化した今が、魔族を滅ぼす良い機会と考えたのかもな」
「勇者けっこう卑怯じゃの」
鬼姫はあきれてしまった。
「……俺は止めようとしたさ。でも遅かった。何が起こっているのかもわからない。人間が攻め込んでいるなんていう報告さえ届かない。何も知らないうちに勝手に戦が始まり、勝手に魔族が滅んでいった。そして勇者が現れ、この城に乗り込んできた。俺は勇者と闘ったが、強力な封印術でやられてしまった」
「女神が人間に味方しておるのでは仕方ないかのう」
「それは卑怯だと思うよな。ふふふ……。女神が本当にいるかどうかなんて、わからんがな」
苦笑いするしかない魔王。
「……それ、人間が勝手にでっち上げた神ではないかのう」
「俺もそう思う。なんだ? 鬼姫は神を信じてないのか?」
「信じておるぞ」
「鬼姫は神を見たことがあるのか?」
重要なことである。多くの世界で、宗教とは神が直接人類に教え諭したのではなく、「神と会った」という預言者が広めたもの。神に選ばれ、神に会い、神に命じられたと口をそろえて預言者は言う。この世界の「神の啓示を受けた」という勇者たちだってそうなのだ。
鬼姫はワイングラスに少しだけ口を付けた。
「おひいさんは毎日空を登って日の光を照らしてくれはる。月は夜も照らしてくれはる。雨は降って恵みをくれる。米も麦も実ってくれる。すべて八百万の神々がやってくれておることじゃ。毎日、毎日が神と共にある。神を見たことないとかありえへんわ」
それを聞いて魔王は感心した。
「自然崇拝は無敵だな……」
古代、どんな世界でも人間はまず自然を崇拝した。大いなる大自然の恵みと災害。それこそが神であった。
鬼姫は祈る。祝詞を捧げる。だがそれは人の形をした神にではなく大自然に捧げている。祈りに応えてくれる自然があるから神を信じられる。
鬼姫が祈れば雨が降って火を消し、風が吹いて毒気を祓ってくれる。しかしそれは鬼姫の魔法でも神通力でもなんでもない。ただの偶然だ。そんなことは鬼姫だってわかっていた。
ただ、鬼姫の願いを聞いてそんな偶然を起こしてくれる者がいるのなら、それを神だと信じて何がいけないか。
人の形をした一神教は他の神を排斥し、善と悪を断罪して信仰を自分一人に集めたいという、人間の承認欲求をそのまま具現化したような姿が透けて見える。だから鬼姫は、人の形をした一神教を信じる気になれないのである。
神はこれを守れこれを犯すなと言うのに、これだけ暴れても女神はなんの音沙汰もないではないか。鬼姫に文句の一つも言ってきていいではないかと思うのだが。
「人の形した神とは、うちの国では昔そういう者が国を作ったっちゅうだけじゃ。人はその物語を語り伝えただけ。神が人にああせい、こうせいと教えを押し付けてきたりはせん。うちらは、うちらを生んでくれて、うちらが食べられるものを育んでくれるこの世そのものを神に感謝する。神に恥ずかしくないように生きる。うちらの神とはそういうもんじゃ」
「いい神だな!」
魔王は笑った。
「女神の実在証明か……。悪魔がいるから、神もいる。魔王がいるから、女神がいる。教会の連中にしてみれば、俺がいることが神の実在証明になっているのかもしれん。だから殺せないと思えば、まあ納得も行く話だ」
悪魔の証明、である。
悪魔がいるという証明は簡単だ。実際に悪魔を見つければよい。
だが悪魔はいない、という証明はできない。世界をいくら探し回っても、悪魔を見つけられなかったからと言って、悪魔がいないという証明なんてできないのだ。
悪魔がいないという証明ができない以上、神もいないという証明は不可能だ。
だから悪魔は存在するし、従ってそれと対になる神も存在する。
以上証明終わり! これが教会が考え出した理屈である。
「悪魔の証明」は、そのまま「神の証明」と言い換えてもいいはずなのだが、そんなことを言ったら袋叩きにあうに決まっているから、「悪魔の証明」なんて言葉が存在する。
他種族である魔王という存在を作り出して、悪いことは全部魔王のせいにする。そうして教会は信仰を集めてきた。
「女神が本当にいるのなら、勇者をよこすなんて回りくどいことをせず、まず魔族を教化すればいい。姿を見せるなり天啓を与えるなり、奇跡の一つや二つ魔族に施せばいいだろう。なんでやらん?」
「うちもそう思ったのう。教会が竜に襲われておったしのう」
「竜? ドラゴンか?」
「そうじゃ」
「なんでドラゴン族が教会を襲う?」
「なんか罰当たりなことでもやっておったんじゃろ」
それを聞いて魔王はゲラゲラと大笑いした。腹が痛くなったのか、咳き込む。
「げほっ、はっはっは……。女神に守られているはずの教会がなんで魔物に襲われるんだよ……ありえねえだろ」
「それでうちは女神、この世界にほんまにおるんかのと思うようになったのじゃ」
「女神、実はいない。教会にしてみれば悪夢もいいとこだな。必死にそのことを隠しているわけか」
だったら、教会最大の秘事である。神はいない。勇者や教会にとって、これ以上の悪夢があるだろうか。
「初代勇者の妄想が未だに神格化されているだけだったら、いい笑い話だ」
鬼姫は別にそれで構わないと思う。よその世界の事だ。この世界の教会はどこも親切だったし、それで世界が一つにまとまっているならば別に悪い話ではない……。
「封印ってなんなんじゃ?」
「……俺には何もない空間に閉じ込められるような感覚だ。身も動かせなくて、どれぐらい時間が経っているのかもわからない」
「そらつらいのう」
「俺は必死に体を動かそうとする。どんな術なのかを必死に調べる。解くカギはある。だがそれを突き止めるのにとんでもなく時間がかかる。複雑な魔法術式なんだ。言ってもわからないかもしれないが」
「さっぱりじゃ。でも、教会の連中は、『魔王は自力で封印を解いて定期的に復活する』と言うておったの」
確か王都で、神父がそんなようなことを言っていたと思う。
「起きてみたら、魔族は滅んでいた。ちりぢりになっていたと言っていいな。人間世界に現れる魔物、魔人のたぐい、あれは魔族たちの生き残りの子孫だろう」
「魔王殿の一族もおったかもしれん。悪いがの、人間に害成すようなのでうちもここに来る途中でだいぶ成敗してしもたのう」
思い当たる節があり過ぎた。申し訳なさそうに鬼姫は頭を下げた。
「……かまわんよ。もう俺とは何の関係も無い。鬼姫はここにたどりついたぐらいだし、途中相当魔物どもに襲われただろ。人間を食らうような連中、滅ぼされて当たり前の愚者に過ぎん。俺だって弱い勇者が来たら遠慮なく殺していたし、同族でも魔族に悪さする魔族や魔物は殺していた。魔王の座を寄こせと挑んできた者もだ……。そこは鬼姫と何も変わらん」
その点鬼姫に対して、怒りは無いようである。
「鬼姫はオニの最後の生き残りだと言っていたな。お前の世界ではもう魔物は絶滅しているのか?」
「そうじゃのう……」
鬼姫は、死ぬ前にはもうほとんど妖怪退治をした記憶がない。妖怪は激減していた。
「妖怪は、人や獣の怨念や霊が妖怪になったもの、神が怨霊になったもの。いろいろじゃ。だがの、人が増えて物が増えて、生きることがずっと楽になって、人が神や仏にすがることも畏れることも無くなり、明かりが灯り、夜でも暗いところがどこにもない世界では妖怪はよう生きられん……。みんな滅んでしもても仕方なしと思うておる」
戦、疫病、飢餓、圧政。人を苦しめる理不尽な死は遠い昔の話となり、地上から闇が無くなり、妖怪は生まれなくなったのだ。滅ぶべくして滅んだと言えよう。
「魔物も同じだな……。魔王も人間のように国を作ってはみたが、失敗したことになるんだろう」
魔王にはもうあきらめが感じられた。
「俺が復活すると、また勇者がやってくる。前に来た国とは違う国からしつこく勇者は現れる」
「毎回違う国なのかの?」
「そうだ。そうして女神教は布教国を増やしてきた。自国から勇者が現れるのは大変名誉なことらしい」
「そういえば教会では歴代勇者は聖人扱いされとったの」
つまり勇者による魔王討伐は女神教布教のための手段である。
こうして女神教は勢力を拡大させてきたと言っていい。
「弱いくせに負けそうになるとクソ聖女の力を持って俺を封印する。どうやら奴ら俺を殺すことはできないらしい。理由は知らんが、魔王がいたほうが都合がいいんだったらそれも納得だ」
「そらまたやくたいな話じゃのう」
「そんなことを何回繰り返したか……」
忌々し気に酒をあおる。
「もう俺はいいかげん復活する気も無くなって、閉じこもることにした。何もかもがくだらなすぎた。だが、そんな時にお前の声が聞こえた」
「聞こえとったかの。やっぱりのう」
二人、顔を見合わせて笑った。
「面白いやつが来たと思ったよ。いろいろ世話を焼いてくれようとする。嬉しかったね。ありがとう」
「勝手に乗り込まれてやくたいではなかったかの?」
「いいや。今までそんな奴いなかったからな。俺は慌てて、なんとかまた復活しようと、術式を必死に調べた。封印を解こうと必死だったんだ」
「なーんも相手してくれんで、つまらんかったがのう」
「それは申し訳ないと思っている。封印されていたんだから仕方がない」
ワインが空になった。
「鬼姫の歌と舞、見えていたぞ。もう少しで封印が解けそうだった」
「そうだったのかの。見ていただけたのは嬉しいのじゃ。お粗末様じゃがの」
「焦ったね。あれほど必死に封印を解こうとしたことは初めてだ。お前、城を出て海に泳ぎ出しちゃうんだからな」
「……それがここに来た目的だったしのう」
「で、まる二日経って、やっと封印を解いて、お前を探しに行った。お前は海で死んだみたいに冷たくなって沈むところだった。あわてて抱きかかえて城に連れ帰って、手当てしたよ。お前二日も海を泳ぎ続けていたんだな。よくやるよ……」
「よう見つけたのう?」
「俺は飛べるからな。気配もわかる。ま、これでもいろいろ魔法が使えてね」
魔王は頭の後ろに手を組んでソファの上にふんぞり返った。
「で、鬼姫。お前、東に向かうのが目的なのに、この魔王城に来たってことは、俺に頼みたいことがあったんじゃないのか?」
実はそうだ。鬼姫はちょっと恥ずかしくなった。
「たのんでもいいのかのう? かなり図々しい話だと思うのじゃが」
「惚れたよ、鬼姫。俺はお前のためならば何でもやろう」
唐突な申し出に、鬼姫は柄にもなく赤くなった。
次回「75.封印解除の鍵」




