70.蛇女の村
遠くに廃村が見える。
待ち構えている魔物も。
ここまでに放置された畑があった。
「大豆じゃあ――――!!」
収穫した時にこぼれた豆が勝手に生えたのだろう。
野生化しぽちぽち生えた大豆が見受けられた。
まだ青い。放置されているのだから刈って塩煮すれば枝豆になる。
豆料理は世界中にある。西部劇にも出てくるように、開拓の荒れ地でも栽培でき、穀物として保存がきき、作物として日本以外でも大量に栽培されていた。それはこの世界でも同じなようだ。
大豆があれば、豆料理もできる。油も取れる。そして味噌、醤油、納豆、豆腐のような豆を原料にした食物、調味料も作れるはずだ。
鬼姫は喜んで片っ端から野良畑の青大豆を刈り取り、放置された村に着いたら枝豆を作って食べようと思っていたのに、目の前の廃村の前に魔物がいるのだ。
距離二町。
「……また濡女、いや、めでうさかの」
日本の妖怪で言うと蛇の体に女の首。それが濡女である。水妖で、川や海に現れ船人や溺れた人を引きずり込むと言われている。
人の頭に蛇の体の魔物は世界中にある。だが、メデューサもラミアもなぜかみんな蛇の魔物が女なのは不思議と言えば不思議な共通点、である……。
メデューサ。実際に闘ったことは無い。石から復活しそうになったメデューサを砕いただけだ。
見た相手を石にする。最初はそんなことは疑っていた。
獲物を石にしておいて食べられるわけがない。だからバカバカしい話だと鬼姫はこの世界の書物を読んだときにはそう思ったのだが、先の大犬がこのメデューサと闘って、実際に石にされたのだ。鬼姫は用心していた。
仲間を鬼姫にやられた。
どうしてそれを知ったかはわからないが、その仇討ちであろうことは明らかだった。なにしろ漂ってくる怨念が凄い。
「……矢では無理かのう」
立ちふさがっているメデューサ達。近づけば石にされる。だが遠くから矢で射っても致命傷は与えられまい。それに五体いる。弓矢だけで片づけられる相手ではない。なにより矢で狙うということはメデューサを凝視しなければならない。危険であった。
メデューサは大犬に鏡に反射されて自らも石になった。
だとしたら、蛇の仲間もみんな石になっているだろうし、なにより自分の手足が石になるはず。だから常時発動ではない。
敵を石にすると思った時だけ、その力は発動する。要するに魔法である。
「では参るしかないかのう」
つづらと枝豆を下ろし、袖をたすき掛けにして縛った鬼姫は歩く。
目をつぶって。
自分が感じ取れる気配だけを信じて。
ずざざざざ……。
かすかな音が鬼姫の周りを取り囲む。
空気の動きが、鬼姫の研ぎ澄まされた感覚に触れる。
閉じたまぶたがちかちかする。どうやら敵は光を放っているらしい。
だが目を閉じた鬼姫には通用しない。業を煮やした五体のメデューサ達がいっせいに飛びかかろうとした時!
鬼姫は不意に振り返って三尺二寸五分の鬼切丸を横薙ぎに打ち払った!
まず後ろのメデューサが腰から両断!
その血しぶきを避けて鬼姫はまた振り返って前のメデューサを斬り飛ばした。
伸ばした前足二本が飛ぶ。
「ぎゃああああああ――――!」
メデューサの絶叫。
鬼姫は鬼切丸をぴゅいっと振って血を振り払い、その刀を目の前に横一文字に構えた。ついに鬼姫はその目をかっと開く。
絶叫を上げてのたうつメデューサ、鬼姫を見上げ、その目をぴかっと光らせた。
「がふっ」
入念に手入れされ鏡のように磨かれた鬼切丸に反射された石化の光は、放ったメデューサ自身を石に変えた!
あと三体!
鬼姫は自分の目を守るように再び刀を目の前横一文字に構える。
刀は細い。メデューサの顔は鬼姫からは見えなくても、その足元、胴、頭は丸見えで動きはわかる。
やはり、目を見なければ良いのだ。思った通りだ。
周囲の一体をとらえた鬼姫は一気に間を詰め、後は感覚だけで目をつぶって刀を薙ぎ払う。
「ぎゃっ!」
三体目が切り落とされた。
残り二体。メデューサは石にできない鬼姫に驚愕していた。
どんな敵でも、石にできたはず。そのことを前提に闘ってきたであろうメデューサ達にはとっさに鬼姫に対抗する手段が、残り少なかった。
ぶぉおおおおお――――!
残り二体のメデューサの頭の蛇たちが毒煙を吐いた。
だがそれにかまわず鬼姫は突っ込んできて、横一文字に構えた剣からひるがえして目をつぶったままメデューサを斬る。
眼の下、顔半分を斬り飛ばされて、蛇たちが血をまき散らして遠くに落ちる。
どさり、頭を失ったメデューサは倒れた。
最後の一体。鬼姫はまた自分の目をかばうように横一文字に剣を構え、じりじりと間を詰める。石化の光を反射させているところを見ていたメデューサは、得意の石化が使えない。
「お……。お姉さまの仇!」
メデューサが叫ぶ。鬼姫は目を閉じる。
「おぬしらにはおぬしらの正義があろう」
鬼姫はついに口をきいた。
「だがうちにとってもおぬしらは」
メデューサの頭の蛇がいっせいに伸びてくる。
鬼姫の鬼切丸に巻きついた。蛇が傷つくこともいとわない捨て身の攻撃である。
だが右手は鬼切丸を放さず、目をつぶったまま鬼姫は左手で抜き打ちの小太刀をメデューサの胴に叩き込んだ!
「犬神の仇じゃ!」
胴を半分まで斬られた最後のメデューサは、鬼姫がこの世界で初めて見せた二刀の前に、ゆっくりと倒れた。
全てのメデューサを倒した鬼姫はぐったりとへたり込んだ。
身体が重い。
「精気を吸う魔物だったかの……」
食べもしないのに敵を石にしてどうすると思っていたが、なるほどそういうことかと思い直した。蛇がまき散らした毒煙は風が遠くに運び去った。鬼姫は止めていた息を大きく吸う。どちらにしろ長期戦になっていたら負けていただろう。
勝てたのは、あの大きな犬神が策を教えてくれたからだ。
そうでなかったら、鬼姫もいきなり石化させられていた。改めて鬼姫はあの犬たちの石像がある方角に向かって、頭を下げた。
小太刀と鬼切丸を良く拭いて消してからつづらと大豆を取りに行き、廃村に入った。
村には、石にされた村人が数人。
どうやらメデューサの襲撃を受けて、あわてて村民一同逃げ出したというところだろうか。いろんなものが放置されたままだった。ここ一年ぐらいの出来事だったようだ。家屋を見て回って、埃だらけになった寝台を見つけた鬼姫はぐったりした体を横たえて、眠ってしまう。
どれぐらい眠っていたのかはわからない。
起きてみれば、体はだいたい元通り。ふんふんと腕を振ってみるが、だるさはない。我ながら大した回復力、と思いながらも、腹ペコなのは仕方がない。
お祓いだけでもやらなければ、と、メデューサ達の躯が落ちているはずの場所に戻ってみたが、他の動物たちに食べられたのか、もう血と骨の残骸しか残っていなかった。石に変わっているメデューサだけがそのまま放置されていたので、金棒で粉々に打ち砕く。
「糧となったならお互い様じゃ。恨みっこなしじゃのう」
毒がある魔物、最初から食う気は無かったが、さっさとお祓いを済ませて村に戻る。十軒ほどのあちこちの放置された開拓村の丸太小屋を勝手に探してみると、麦も豆も豊富に取り残されていた。
ここで鬼姫はとんでもないものを見つけた。
ある家の厨房に、陶器の木の蓋がしてあるかめから懐かしい匂いがしたのだ。
「味噌じゃああああ――――!」
大豆を栽培している農家の宅、保存していた大豆の中には、そういう加工がされている物があっても不思議ではなかった。
さっそくぺろりとなめてみる。
鬼姫が知っている味噌とは程遠いものではあったが、味噌は味噌だ。
日本全国のご当地味噌でさえ、その味は全然違う。米が無いので麦味噌だが、鬼姫にしても故郷の味に変わりはなかった。
「醤油じゃあああ――――!」
別の宅では、味噌にしても作り方が違うのか、味噌が沈殿して上澄みが醤油みたいになってしまっているかめもあった。味に不満はあっても、今まで手に入れたどんな調味料よりも醤油に近いものだった。
この村を放置して去った先の住人たちに感謝しながら、鬼姫は空瓶に味噌と醤油を慎重に詰め込んだ。
薪も積んであり、井戸もかまども使える。さっそく鬼姫は刈った青大豆を塩茹でし、枝豆を作る。
「うまいのう……」
鬼姫にしてみれば、故郷の懐かしの味であった。
畑には放置されて野生のように勝手に育った大根や菜っ葉の野菜もある。
なんの出汁も無いが、鬼姫は豆を煮て、麦でかゆを作り、野菜で味噌汁を作った。
食べている間、鬼姫は泣けて泣けて仕方がなかった。
泣くほどうまい、ということはある。それが子供のころに食べたもの、家族が作ってくれたものだったら、舌がそれを覚えているからだ。
子供のようにぐずぐず泣きながら、鬼姫はその日の夕食を平らげた。
石にされた村人たちにもお祓いをしてあげたい。
残されたものでまだ使えるものがあれば、できるだけ使えるようにしておきたい。結局鬼姫はこの廃村に、数日滞在することになったのだった。
次回「71.魔王城の巫女」




