7.鬼姫、東へ ※
三日後、衣の仕立てが出来上がり、旅立ち準備が整った。
とりあえずの目的地は王都だ。
「紹介状を書きました。次の町に着いたら教会にこれを渡してください。きっとお力になってくださると思います」
ストラス神父が書状を一通持たせてくれた。
「助かるわ。礼を申すの。おおきにありがとう」
鬼姫は素直に頭を下げる。実際、もしこの神父に受け入れてもらえなかったら、あのまま山に籠って熊や他の動物たちを狩って木の実、野草を集め、自給自足するところまで考えたであろう。
「それから、これは村民が自分たちでお礼をしたいと集めてくれた浄財です。現金は無いと必ず困りますから、お納めください」
ずしりと重そうな金袋を渡してくれる。
神社の収入はお賽銭だけではない。依頼を受けて祈祷したりお祓いしたり、結婚式や葬式まで請け負うことがありそれが主な収入源となる。民から集まる金銭はなによりの収入であった。
「……それほどのことをやったのかのう。感謝いただけるならありがたく使わせてもらうの。礼を申し上げたいの」
「いえいえ、礼を言うのはこちらです。村が襲われ、焼かれ、男たちが食われ、女たちがさらわれることを考えたらこれでも安いぐらいです。村民一同の感謝のしるしです。遠慮なくお受け取り下されば私たちも嬉しい」
鬼姫はもう一度頭を下げる。
「あと、これは地図と、辞書です。読み書きも学びましょう」
「うえー……」
「東へと向かうのでしょう?」
「そうしようと思うておるがの」
日本は東の果てにあった。この世界に日本があるのかどうかはわからないが、どうせ王都を通る道になる。どのみちこの村は南北に国境を隔ててこのルント国の最西端。東に向かう以外の街道は無いのである。
「でしたら、次の町はバスクですね。どうぞお気をつけて」
見回すと、多くの村民が見送りに来てくれていた。
食事を用意してくれた奥さん、反物と針と糸を貸してくれたご婦人、さらわれるところだった若い女に子供たちに村の男。みんな笑顔で送り出してくれる。
荷物をまとめて風呂敷代わりの布に包み、袈裟に背負って鬼姫は歩き出す。
「世話になった。またのう――――!」
「いつでも戻ってきてくださいよー!」
「地図、地図」
地図を広げて歩きながら道を確かめる。
バスクという町。地図で言うと七~八里といったところか。半日歩けば到着しそうである。丸が付けてあるのは世話になった村だ。
「うーん、あの村、ラルソルと言うのか。聞いてなかった」
また困ったときは世話になることもあるだろう。覚えておかねばと思った。
そうして歩いていると後ろから馬が追いかけてきた。
「おうーい!」
振り返ると、陣を張っていた兵士の一人であった。
「まだなんぞ用なのかの、下っ端兵士」
また厄介事しか想像できず鬼姫はうんざりした顔をした。
「下っ端……。いえ、同行させてもらおうと思いまして」
「足手まといはいらん」
ずーん……。軽甲冑に身を包んだ若い兵士はがっくりする。
「……その、私はこの隊長の報告書を届けなければいけない連絡係でして」
「そやったらさっさと先いくのじゃ連絡係の下っ端兵士。馬のほうが足が速いであろう」
馬にはオーガの討伐証明の耳が入った、例の血のにじんだ袋が積んであった。
「その、お姉さん、どこに行ってもいちいち説明が大変でしょうし」
「気安くお姉さん呼ばわりはやめてもらおうかの」
「……名前を聞いておりませんでした。私はエドガーと申します。エドガー・ランス。子爵家の三男で」
「どうでもよろし。ついてくるな。それかさっさと先に行け連絡係の下っ端兵士」
ずーん……。
いちいち面倒くさい男である。
「あの、あなたのお名前は?」
「鬼姫じゃ。お・に・ひ・め。せんども名乗っておるであろう。なんで覚えられん」
「オニヒメさんですね。外国人の名前はなじみが無いのでどうしても覚え難くてですね」
「うちもそうじゃ。だから面倒だからおぬしも名乗るな。覚えたくないわの下っ端」
ずーん……。
仕方ないと、とりあえず相手をする。
「この地図、さいぜんまでいた村の読みは、ラルソルでええか」
「はい、その通りです」
「この国の名前はルント、首都はテルビナレ」
「ルントは合ってます。首都はテルビナルです。はい」
「次の町はバスク」
「はい、その通りです! お見事です。よく読めるようになりましたね!」
「おべんちゃらはいらんわの連絡係の下っ端兵士」
地図と辞書、首っ引きで歩きながら勉強する鬼姫。
やまと言葉の辞書などこの世界にあるわけ無いが、地名をどう発音すればよいかぐらいはこれでなんとかわかるのだ。
まあバスク到着までの半日ぐらいは、このままいろいろ教えてもらったほうが良いかと思う。この男、貴族なのであろう。だからといって馬に乗ったままなのは気に入らないが、それもお国柄と言うもの。郷に入っては郷に従えというぐらいは、鬼姫もあきらめていた……。
バスク到着。もう昼を過ぎていた。
バスクは町規模の大きさ。最初の村ラルソルの二十倍ぐらい大きい。
ここも外敵が多いのか、高さ二間の頑丈そうな木造の柵で囲われていた。
「柵に囲まれた町かの。妖怪、物の怪のたぐいが出るのかのう」
「まあそれはどこでもそうです。だから私たちが警備をしているわけですが」
「まるで役に立っておらんように見えたがの」
どずーん……。
「おなごを歩かせて自分だけ馬に乗っていいご身分じゃの」
「あーあーあーあー……。そういうとこっすか」
どずーんどずーん……。
もう五分に一度は落ち込んでいる。
エドガーは馬を降り、くつわを引いた。
このうっとうしい男ともここでお別れだと思うとすっきりするというもの。
門前には誰もいなくて門番も暇そうだ。
「まあこちら方面にはラルソル村しかありませんからねえ。人の行き来の少ない門です」
「要するに関所じゃろう。そやったら関所手形が必要かのう……」
「いえ、入領税だけですね。多少の身元の質疑はあります」
「関所銭を払わんと入れん藩もあったのう。やることはどこでもおんなじやの……」
とりあえずずんずんと門に進む。
「あっ、ちょっ」
ここまでついてきた連絡係の下っ端兵士がなにか言いかけるが、かまわず鬼姫は門に入る。
「たのもう。町に入りたいんじゃが、どうすればよいのかの?」
「仕事は?」
ぶっきらぼうに番兵が問いかける。
「うーん、今は仕事はしておらんが」
「無職かよ……。何かできる仕事が無いとこんな街に来ても暮らしていけないぜ? 入領だってお断りすることもある」
「そら困ったのう……」
そのやり取りを聞いて馬のくつわを引いてきた下っ端兵士があわてて口をはさむ。
「あー、この方は私の連れです」
「エドガー君! おお、国境警備ご苦労さん。なんかラルソルがオーガに襲われたんだって?! 大丈夫だったかい!」
どうやら門番と、兵士は知り合いらしい。
「なんじゃ、連絡係の下っ端兵士、知り合いか?」
「エドガーです。はい、無事解決しました。ご心配なく。今回はその報告もありまして」
「わかった、通っていいよ。いやーよく撃退できたね。また襲ってきたりしないかね」
「あ……。全部討伐できました。もう大丈夫です」
下っ端兵士が、バツが悪そうに返事する。なにしろその討伐を全部一人でやった鬼姫がそこにいるのだから気まずいったらない。
「本当かい! そりゃ凄い! 国境警備隊がよくオーガの軍団を撃退できたね! 偉業と言っていいよ!」
「いや、その、運も良かったわけで……」
「だったらすぐ連絡したほうがいい。もう国軍が到着してるよ。明後日にはラルソルに向かうんじゃないかな」
遅すぎないか国軍、と鬼姫は思う。イヤイヤな用事をできるだけ引き延ばして村がおおかた被害に遭って事後になってからゆっくり到着するつもりであったのだろう。ヘタレもいいところだ。
「……そうさせていただきましょうかね」
下っ端兵士も全く同じことを思ったらしく、声に嫌味がこもっていた。
「で、そちらの方は?」
「討伐で大変お世話になった……、その、村の教会関係者といいますか、説明が難しくて」
「調子いいのう連絡係の下っ端兵士」
「いい加減その呼び方やめてもらえません?」
さすがに下っ端……、エドガーがムスッとする。
「一応聞くけど、身分証明は?」
「教会の神父殿がこれを見せろと言うておったの」
そしてストラス神父から預かった書状を見せる。
「……神父様からか。確認するにしても私が開封していいものじゃないね。通っていいからこのまま教会に向かってくれ。二人とも入領税はいらないよ」
「お役目はばかりさんじゃ」
二人、軽く会釈して門を通過した。
「はばかりさんってなんですか?」
「ご苦労様って意味じゃ。それじゃ通じんかの……」
言語翻訳能力もいろいろ限界がありそうだ。
次回「8.異世界の伴天連」




