67.最果ての街
ずいぶんな距離を蜃気楼に騙されて歩いていたようである。
ほとんど半分、来た道を引き返してから方角を改めて城塞都市ローランドに入る。古代からある古い都で、城壁は日干し煉瓦だ。あちこち崩れていて、今となっては古すぎてかえって住みにくいところかもしれない。
古い遺跡に人が無理矢理住んでいる。そんな感じがする町だった。
城塞の大門、とは言っても門構えに柵が立ててあるだけだが、警備兵が一人いるだけ。門は開けっ放しだった。
「たのもう。町に入りたいのじゃが、よろしいかの?」
警備兵も武装しているわけでもなく、仕事着のおじさんである。
「おう、珍しいな。最近は人通りがさっぱりなくてね」
「蜃気楼が出ておって、人が迷ったりしたのじゃろう」
「しんきろう? さあ。街道の途中で何かあったか?」
「別になんも。うちはハンターじゃ。修行ついでに旅をしてこの国のあちこちを見回っておる。ここは魔王城にも近い東の果てじゃ。魔物は出るかの?」
ハンターカードの表を見せる。裏も見せると面倒なことになりやすいとわかっているので、手に持って掲げるだけにしている。
「……奇特なハンターだな。この辺じゃ敵が強い割にはあまり儲けにならないだろ。ハンターギルドが市の東門近くにあるから、行っといで。入領税なんてのは取ってないからそのまま入っていいよ」
「そらありがたいのう」
「入領税なんて取ってたら、こんなとこもう本当に誰も来てくれなくなるって」
警備兵のおじさんは笑って言う。簡単にハンターギルドまでの道を教えてくれて、市の中心部まで行けば商店もあるから買い物や飯にしたければそこで用足しをするよう勧められた。
入った町は本当に遺跡のようで、古い干し煉瓦が崩れかかった廃屋ばかり。中央に近づくにつれて、ちゃんと手が入れられた人が住む住宅が増え、小さな物売り店も見当たるようになる。旅人は少ないようで専業の宿屋は無く、酒場が宿屋を兼用していて、粗末な部屋を借りられた。
つづらの荷物を置き、湯をもらって身ぎれいにして、薄汚れた旅姿の巫女装束から新しめの衣に着替えてから風呂敷に真珠を包み、ハンターギルドに向かった。
倉庫を改造したような少し大きな建物だった。窓から中が見えるが数人の職員がカウンター奥で働いているようだ。ハンターらしき人間も数人見られる。
ドアが閉まっているので開ければちりんちりんと取り付けられたベルが鳴った。
「たのもう。今日町についたハンターじゃが、お世話になるの」
「お、おう……。女のハンターは珍しいな」
中にいた男のハンターたちが少し驚いていた。カウンターの受付らしい中年男性も同じである。
「いらっしゃい。仕事を探しているのかね?」
「いや、蜃が取れたので真珠を買い取ってもらおうかと思っての」
「シン?」
「でかい貝じゃ。こちらの街に来る者が、蜃気楼にかどわかされておらんかったかの?」
「そういえば最近は人が来なくなってきたな。シンキロウってなんだ?」
「遠くに街の姿がゆらゆら揺れて見えることがあるじゃろ」
「ああ、ミラージュね」
「そら蜃と言う貝の魔物が見せておる幻での」
「バカ言うな……。ミラージュは空気の温度差でできる光の屈折だよ。魔物が出しているなんて話聞いたことも無い」
受付は手の平を上に広げてあきれる。鬼姫はちょっとむっとした。
「ほんまじゃ。湿地に住んで旅人を誘い込んで襲うのじゃ。見てみ、これが蜃から取った真珠じゃ。見たことないかの?」
背負った風呂敷をほどいてカウンターに広げる。
ごろん、握りこぶし大の巨大な真珠が現れた。さすがにそれを見て受付もそこにいたハンター三人組も目を見開いた。
「こ、こ、こ、これをどこで獲った!」
「だから蜃から取ったのじゃ」
「どうやったのか詳しく!」
三人のハンターたちが間を縮めてくる。あまりいい装備じゃない金に困っていそうなハンターだった。
「この街に来る途中、ゆらゆらと蜃気楼が見えたのでの、その町に向かって歩いたら、白い霧に取り囲まれた」
「それでそれで?」
「黒い蛤みたいなでっかい貝が飛び跳ねてきたので、叩き落として貝を割ったら中からこれが出てきた」
「……そんな魔物聞いたことも無い。本当にそんなのがいるのか? 姉ちゃんどっちから来た?」
「西からじゃ」
「西街道だな。よし行くぞ!」
ハンターの男たち三人はギルドを飛び出していった。
「あーあーあー……。あいつら場所わかるのかね」
受付はあきれるのだが、「蜃気楼が見えたらそれに向かって歩けば何とかなるじゃろ」と鬼姫は気にしない。問題は、ハンターとはいえ、並の人間に叩き落とせる相手かどうかだが。
「蜃気楼に騙される旅人や商人がおったのではないかの?」
「旅慣れた奴はミラージュのことはちゃんと知ってるから、地図や道案内のほうに従うよ。心配はいらんと思うが……」
「大門の警備のおじさんは、最近人が来んと言うておったの」
「……それマズいかもしれないな。被害が出ているかもしれない。領内に注意喚起しておくか」
受付は考え込む。
「で、これ、なんぼで売れるかの?」
真珠をもう一度見る受付、渋い顔をする。
「……無理だ。金持ちの置物にしかならん。うちじゃ買い取れないね」
鬼姫がっかりである。
「真珠ってのは女が身に着けるアクセサリーだ。女が身に着けられるサイズでないとしょうがないのはわかるな?」
「そういえばそうじゃのう……」
「でかすぎるし重すぎる。見れば偽物じゃないのもわかるし、綺麗なのもわかる。高い値段が付くだろう。だが、そんなもの身に着けて喜ぶ女がこの街にはいないんだ。隣国の王族なら喜んで買って部屋に飾るかもしれないが、この国じゃ無理だね。買い取れる金も無いし」
「ごもっともじゃ」
「その『蜃』とかいう魔物も、大きい市に行けば知られているかもしれん。いつか西の大きな都市に行くこともあるだろうから、そこで売るほうがお勧めだね。大事に取っておけばいい」
「了解じゃ」
鬼姫はしょんぼりと風呂敷に包み、真珠を仕舞う。
「少し聞きたいことがあるのじゃがの」
「どうぞ。この町に他のハンターが来てくれたのは久しぶりだし」
「この町の東がこの大陸の果てで、海があるんじゃろ?」
「その通り。荒野に水があるオアシスがあり、そこそこに開拓村があるが、その先は本当に何にもない。魔王城の廃墟があるぐらいさ」
やっぱり魔王城がある!
鬼姫はそこが聞きたかった。
「魔王城、どんなところじゃ?」
「おかしな姉ちゃんだな。魔王城に行きたいのか?」
「まあ物見遊山じゃが」
「魔王が復活しそうになるたびに勇者たちがここにきて、封印しに行くよ。先に勇者が来たのはもう五十年も昔のことだ。俺は子供だったが少しは覚えてるね」
「ほう」
男は懐かしそうに話をする。
「大昔はこの町が魔王軍との決戦の拠点だった。国軍がここから出陣していったものさ。その時は大きくて栄えた町だったんだ。千年も昔の話だ」
「なるほどのう。町が寂れておるのは、魔王軍が敗退してもう勢力を持っていないちゅうことなのかの」
受付の男は苦笑いになる。
「寂れていて悪かったな。ま、お前さんの言う通りだ。数百年は魔王城の廃墟をあさる墓泥棒ハンターがよくこの町から出て行ったが、もうそれも無くなった。魔族領の発掘は魔王城も含めてけっこう金になったらしい。俺が生まれる前の話だね」
「……魔王が気の毒になる話じゃの」
「今も昔もそれは違法じゃないし、まっとうな商売だったんだよ」
男は仕方ないと肩をすくめる。
「ダンジョン……とは言っても要するに魔物の巣窟だが、そんなものを攻略する冒険者もハンターも多かった。大した儲けになったんだよ。古代の財宝が発見されたりとか、魔物が素材になったりもしていたな。だが、そんなのも魔王が討伐され、封印されれば魔族も魔物も減る一方だ。お宝も食えるものもなきゃこんな町、すぐ寂れちまう」
「やりすぎて儲からんくなったということかの?」
「そうだ。あんたもダンジョン探求でもしにきたのか? だったらもう略奪され尽くして資源が無いから残念だな。残ってる開拓村も、開拓をあきらめて数年のうちにそこも廃墟になるだろう。この町もあと十年持つかどうか……」
「そしたらまた魔物が増えるのではないのかの?」
「そうなったらそれはそれで新しい商売が始まるだろう。そこまで待っていられないさ。俺たちハンターギルドも様子見はしているが、そろそろ撤退しようかと思っている。こんな時に来てくれて悪いのだがな」
「いや、ええんじゃ。うちは仕事を探しに来たわけではないのでの」
ダンジョンとかお宝とか言われても鬼姫は全く興味ない。
人に害成す魔物でなければ自分からわざわざ狩りに行く気も無い。鬼姫は肩書はハンターだが、それを生業にしているつもりは全くなかった。
「変わってるな、あんた……」
海まで広がるなにも無い荒野。その先にある廃墟の魔王城。
それが聞けただけでも収穫はあったと言える。
「蜃は貝じゃが、そいつがおった場所は足首まで水がある一面の湿地帯だったの」
「ん?」
「そこ、新しい開拓地にならぬかのう? 畑を開墾するのには良い土地ではないかと思うがの」
「そうだな! そいつはいい。代官に相談してみよう。あんた案内してくれるか?」
「さいぜん出て行ったハンターの連中がその場所を見つけるじゃろ。そいつらに聞くがええの」
「わかった。帰ってきたら話を聞いてみる」
受付の男はちょっとだけ、喜んだ。
「魔王城の場所はわかるかの? 地図はあるかのう?」
「……無い。教会の命令で破棄されてしまった。もう勇者と聖女しかたどり着けない。悪いな」
「この地図は人に聞いて作ってもらった古い地図の写しじゃが、まだこの先に村がいくつかあるようじゃのう」
鬼姫はスタンフォードに書いてもらった地図をつづらから出し広げて見せる。
「もう無いよ。みんな離村してしまって廃墟になってる」
男は申し訳なさそうに現状を語る。
「まあええの。なんとかなるじゃろ」
鬼姫は真珠が包まれた風呂敷を背負って立ち上がった。
「ほなこれで失礼するの」
「強い魔物がまだいるはずだ。気をつけろよ」
鬼姫は笑って手を振り、ハンターギルドを後にした。
一日ローランドで保存食や穀物を買い集め、不要なものを捨て荷物を整理し、長旅の準備をした。
この先荒野でオアシスぐらいしか無いのなら、そこでの食料調達も望めない。
できるだけ単独で長距離を歩く準備が必要だった。
「よし、次はいよいよ魔王城じゃ!」
首都で手に入れた古い国土図にはまだ魔王城が載っている。スタンフォードからもらった地図もある。大体の位置しかわからないが、古い街道跡をたどっていけばきっと何とかなる。大陸の果てなのだから、進めば海に出るし、海沿いを歩けば見つかるはず。その点、鬼姫は何も心配していなかった。
町の東門は閉鎖されていたので、西門から出て周囲をぐるりと半周してから東に向かおうとした鬼姫に、昨日の三人のハンターの男たちが立ちふさがった。
干し煉瓦が積まれた城塞都市の外である。何があっても通報されるような危険はなさそうな場所であった。
「また会ったのう。真珠は取れたかの?」
くたびれた男たち、気が立っていた。
「ミラージュも出ていなかったし、何も見つからなかった」
「貝が住めるような湿地帯じゃ。水があるのだから見つけてやれば新しい開拓地になる。ハンターギルドの受付の男もそれを聞いて喜んでおった。湿地、見つかったかの?」
「みつかんねーよ。お前でたらめ言ったな!」
男たちは激怒していた。まあそこにいた蜃はみんな退治してしまったから、もう蜃気楼が出なくても仕方なかったかもしれない。
「無駄足の責任を取ってもらおう。真珠をよこせ」
「……なんでそうなるんじゃ」
「よこさないと……」
男たちが抜刀した。それで脅しは十分というつもりらしかった。動かない。
「……はよかかってこんかい」
待ちくたびれた鬼姫の挑発に、リーダーらしき男が一人斬りかかってきたが、鬼姫はその剣を腕ごと七尺五寸の大薙刀で振り払った。
「ぎゃあああああ!」
剣とはリーチが違う。刃を返して峰打ちだったが、男は両腕を折られ、剣を吹っ飛ばされてのたうち回った。
もう盗賊として町に突き出す気も起こらない。殺すのは嫌だが、働けないようにしてやれば勝手に食い詰めるような連中だろうし、鬼姫が気にする程度の事でもない。
残りの二人に問いかける。
「おぬしらはどうするの? 次かかってきたら今度はうちを追いかけてこれないように足を切り落とすが」
二人の男は真っ青になり、剣を納めて道を空けた。鬼姫は小脇に大薙刀を抱えて二人の間を進む。
「ほな、達者での」
ぶちのめした相手に達者も何もないとは思うが、いつもの挨拶である。
なにも無い荒野を、東に向かって長大な大薙刀を抱えて歩く鬼姫。
その姿を見送った三人は、まるで化け物でも見るように、震えあがった。
次回「68.犬神の一族 上」




