65.荒れる川
川が増水していた。
水が濁り、波が立って、橋が壊されている。
東の道は魔王城へつながる道。
人口が少なく、ここまで通り抜けたどの町もさびれていた……。
「……これは難儀だのう」
川を横切ったり泳いで渡ることも難しい。川上に向かって歩いて迂回するのもずいぶん距離がありそうだ。
とある辺境の町は困っていた。小さな宿屋に泊まった鬼姫はほうぼうで事情を聴いてみる。
「川の水位がだんだん上がってあふれそうになり、それがいきなり堰を切ったように鉄砲水になる。それが毎日のように定期的に起こるんだ。下流の街で勝手に水門でも作ったのかと思ったが、そんなこともなくて下流でも川の水が涸れたり、いきなり大水が押し寄せたり困ってる。こっちと逆だな。なにかが途中で勝手に川をせき止めているとしか思えん……」
河川の近くに住む人は避難しているらしい。
「嵐でもないのに川が荒れるのかの」
「そこが分からない。昼に水位が上がり、夜に濁流になる。毎日その繰り返しだ」
「ふーむ……それっていつからかの?」
「ここ一か月ぐらい」
確かに、壊れた橋を見る限り、丸太の折れ目は新しかった。
川を勝手にせき止めたり、放ったりしている者がいる。
次に鬼姫は近隣の家畜農家を訪ねた。ハンターだと言ってから聞いてみる。
「家畜がおらんようなったりはしておらんかのう?」
「あー、その通りだよ! どういうわけかわかったか!?」
思った通り農家の人が困っているようだ。
「まだわからへんの。近隣の農家でもおんなじ被害が出ておるかのう?」
「出てる。羊がいなくなったり、ヤギがいなくなったり」
「牛や馬は?」
「そんな大きい家畜の被害は今のところ無いな……」
それで敵の大きさがどれぐらいか想像がつく。牛や馬を食らうほどの大きさではないということになる。
「夜にやられるのかの?」
「そうだ。コヨーテか山犬の仕業かと思ってたが」
「それってどれぐらいの間でさらわれるのかの?」
「週に一度ぐらいかな。あんたなんでかわかるか?」
「ふーむ……大蛇じゃの」
「おろち?」
日本神話に登場する八岐大蛇も川に起源をもつという話もある。八又に荒れる川の様子を大蛇にたとえたと。
だが大蛇が実在すると仮定すると、状況が合ってくる。
蛇は夜行性。変温動物なので小食で数日に一度しか餌を取らない。夜行性の大蛇が川をせき止め、夜に獲物を探して、楽して捕らえられる家畜を週に一度襲っているのではないかと思った。大蛇が休む時は体を冷やすために川にとぐろを巻いて水に浸す。せき止められているのはそのせいか。
小さい変温動物は体を温めないと動けないが、大きい変温動物は逆に体にたまる熱を冷ます必要がある。鬼姫はなんとなくそのことを理解していた。
原因が魔物だとわかっていれば国やハンターに討伐依頼が出ているはずである。まだ原因がわからないから、対策しようがないというところだろうか。
「今日は前に食われてから何日目ぐらいかのう?」
「三日ってところかな」
これは調べてみようと思う。
鬼姫は川岸を歩く。昼間の散歩である。
蛇は夜行性、昼間は見つからないようにしているはずだ。川幅は八間。深さはわからないがかなり深い。増水を繰り返して水浸しの場所も多いので川を離れて歩く。
開拓の町から一里ほど。こんもりとした林や森を超え、急に川が涸れる場所を見つけた。蛇のいる場所を追い越したらしい。
「この森かの」
静かに森を分け入って、忍び込む。
いた。木の枝で覆われた木立の中。川に沈み込んでとぐろを巻き、川をせき止めて全身を水にひたらせている。
「……頭は二つ。胴の太さは二尺。長さは川幅の倍というところかの。これはちょっと討伐できそうにないのう……」
強敵過ぎる。
竜は強大な敵であるが、弱点が分かっていれば倒せないことは無い。前回は教会の建物の中であったし、敵の動きもある程度制限されていたかなり有利な状況だった。己の力に自信がある竜は正面切って襲ってくる。
だが蛇は忍びのハンター。狡猾であり、翼や体の向きで動きが読める竜と異なり二つの頭は縦横無尽である。のろのろ動いているのは忍び寄るときだけであり、獲物を獲るときは目で追うこともできないぐらい素早く動く。
鬼姫はそっとその場を立ち去った。
歩きながらなんとか方法を考えてみる。
「単純なのは毒矢じゃ。そやけど矢は職人に作ってもろてもうちはこの世界の毒の事は何もわからへん……」
実際に鬼姫は毒矢を使って敵を倒したという経験がない。神に仕える身でそれをやるのはなんだか大神様に顔向けできなくなるような気がするので、やらないことにしている。
「罠を仕掛けるしかないのう……」
蛇は厄介なことに、罠というやつに異常に強いのである。なにしろ手足が無いから、どんな罠もすり抜けてしまう。あの大きな蛇を捕まえるような大掛かりな罠など鬼姫一人で用意するのは難しい。おびき寄せて動きを少し止めるぐらいしかできないだろう。
「……八岐大蛇は酒に弱かったのう」
大酒飲みの事を「蟒蛇」と言うが、字の通り大蛇の事である。化け物に酒を飲ませて退治したという話は鬼姫ら鬼にも多いが、蛇にも同様の話がある。
「酒か。酒のう……。酒でいくかのう」
鬼姫は一度通り過ぎた大き目の町に向かって引き返した。
「うーん、これは難儀じゃ」
二日後、町での買い物を終えて、安物の荷車に小酒樽を載せて引いて歩く鬼姫がいた。ロープの束と、滑車も載せている。
荷車を置いて、肩を揉み、腕をぐるぐる振り回してのびをした。
「はーはーはー、しんどいのう……。馬でも借りたほうが良かったかのう」
これから魔物退治である。馬を借りても食われてしまったら弁償しなければならず大損だ。荷車と酒とロープと滑車で、白金貨一枚使ってしまった。なにより酒の二樽が高かった。
あのおろちを退治したからと言って報酬が出るわけでもないが、それでも町に被害が出ているとなれば見逃すわけにいかないのが鬼姫の性分というもの。貧乏そうな村にそれを出せと言う気がしないのである。
それになにしろ大公に白金貨二枚をもらってしまった。前金とすれば、借りは返さねばと思うのだ。
大蛇のいた茂みから上流、林の中を川が流れるポイントで罠を張る。
木に登ってロープを縛り付け、滑車を何重にもかけて引っ張り、木を曲げる。
これを数か所やる。そしてロープと枝で大きく輪を作り、水に沈める。
川岸で囲炉裏を作り、鍋で簡単な夕食にしてからの深夜。鬼姫は川に石を積み、その上に酒樽を載せて栓を少し抜いて傾けた。川の水しぶきで酒が微量ずつ、流れてゆく。
酒の臭いにつられて二首の大蛇がやってくるかどうかは、実は確信がない。もし来なかったら大損だが、そうなればもうあきらめて、旅を急ごうと思っていた。
「さあ来いや!」
川岸で待ち構える鬼姫。
せき止められた川が堰を切ったようにいきなり流れが速くなり、少しずつ水位を下げながら濁流となって流れる。川をせき止めていたおろちが動き出したに違いなかった。
やがて、川の中になにか違う水しぶきが上がった。
「……来よった」
鬼姫は鬼切丸を抜き、身構える。
ざばっと、水の中から二つの首が持ち上がったのがかすかな三日月の明かりの中に浮かび上がった。
二つのおろちの首は、鎌首を下げ、それぞれ栓が抜かれた酒樽に舌をちょろちょろ出し、嘗め回す。匂いを探っているようだった。そして二つの頭が、それぞれ酒樽を咥えて持ち上げようとした時……。
「ふんっ」
鬼切丸を振るって、二本のロープを同時に切断する!
曲がった木が跳ね上がって、輪になったロープは滑車を巻き上げながらびゅるるるると風切り音を上げて、水からしぶきを上げて飛び上がり、二つの首を両岸の木から張られたロープにからめて引っ張り上げた。
「参る!」
鬼姫は川から突き出ている岩の上を跳ねて走る。
ロープに絡められて、引かれ、二股の首をY字型につり上げられ、もがく大蛇。ロープがぶちぶちと引きちぎられそうになるが。
「うぉりゃああああ!」
飛び上がって上段に振りかぶった鬼切丸を振り下ろし、首筋を斬る!
岩の上を走り抜け、再び跳ね上がりもう一つの頭の首筋も撫で斬った!
そのままの勢いで対岸に飛び移り、走った。
振り向かない。逃げる。
飛び上がって空中での斬撃だ。地面を踏みしめて首を切り落とすほどの力は無い。もし斬り損ねているならおろちはロープを引きちぎって追ってくる。
鬼姫はそのまま林の中を、草原を、野を山を駆けて駆けて、駆けまくった。
朝日が昇る。
鬼姫は身をひそめながら、罠をかけた場所に近づいて行く。
「……逃げられたかの」
ロープは引きちぎられ、川から突き出ている岩には振り撒かれた血がべっとりとついている。川の水位はずいぶん下がって、流れは穏やかになっていた。
ひょいひょいと昨日、足場にした岩を渡って、川の上に立つ。
いくら見回しても、大蛇の痕跡はない。
「……流れに飲まれたかのう」
そのまま荷物を置きっぱなしにしていた対岸に向かう。
大蛇の生死は不明だ。だが深手を負わせたことは間違いない。
もし動けるのならば鬼姫の臭いをたどって、必ず執念深く追ってくるはず。
だが、そこには蛇が潜んでいる気配も無かった。
「ま、もう出のうなればそれでええ……」
自分では手当てができない野生動物。動脈でも斬られたら、もう助かるはずはなかった。
つづらを背負って、鬼姫は開拓町に帰った。
数日泊まってみたが、川の流れはずっと穏やかでもうせき止められることも無くなったし、家畜の被害も無くなった。
開拓町の住人達も不思議そうである。
「もう大丈夫じゃろ。すっきりせんが」
橋は壊れたままなので、鬼姫は町の少し川上に回って、渡れそうな浅瀬の岩をひょいひょいと飛び越えて対岸に渡り、また、東に向かって歩き出した。
下流の村には大蛇の死体が流れ着いて「ヒドラだ! 伝説のヒドラがいたんだ!」と大騒ぎになっていたが、鬼姫にしてみれば、そんなことはもう知らなくてもいいことだった。
次回「66.蜃気楼」




