64.賢者の記憶
「オーツ殿。聞きたいことがあるの」
「……さっきまで呼び捨てにしておいて、いきなり殿か」
オーツは顔をしかめる。
「魔王、どんなやつだったのかのう?」
「わからん。真っ黒な服を着て仮面をかぶっていた。素顔は知れん」
鬼姫はちょっとがっかりした。いい男だったら嬉しかったが。
「身の丈はどれぐらいだったかのう?」
「お前より頭半分ぐらいでかい」
「意外と普通じゃのう。髪の色は何色だったかの」
「黒だ」
「年のころはどれぐらいだったかのう?」
「仮面をかぶっていたからわからん。あの時は俺と同じぐらいと見たが」
「おぬし魔王と闘ったときいくつだったの」
「三十前だ。なんだこの質問! ふざけてんのか!」
鬼姫はつづらから勇者の絵本を取り出した。
「いや、おぬしの言うこと、この絵本と違いすぎるので驚いておる」
魔王と勇者の対決シーンを開く。魔王は真っ黒な鎧、兜の見上げるような大男だ。
「おぬしも絵本の賢者より相当ブサ……似ておらんしのう」
「若い頃はそれぐらい俺もカッコよかった」
いつのまにか一人称が「わし」から「俺」に戻っているオーツ。当時はそう言っていたのであろう。
「おぬしらが旅すがら魔物を倒しながら魔王城に乗り込んだと」
「そうだ」
「絵本だと闘った魔物が少なすぎると思うがの。魔王が魔国の王であれば軍隊で守ておるであろう? だが絵本で倒した魔物は大したことないの」
「子供向けの本を本当だと思うな」
「だが魔王軍と対峙したりはしておらん。魔王はおぬしらと一人で戦うのかの」
「歴史上の王国や勇者が魔王軍と闘って滅ぼしてきた結果だ。俺たちの世代の勇者は復活する魔王をまた封印するだけの役目しかない」
「魔王には魔王を守る手下もおらんのかの?」
「いなかった」
「勇者、剣士、賢者、聖女、四人がかりで魔王一人を倒したと?」
オーツは頷く。絵本の通りだとそうなる。魔王は大きく強そうに書いてあるが、実際には四対一だ。
魔王城でたった一人きりの魔王。鬼姫はなんだか魔王が気の毒に思えてきた。だが魔物があらかた討伐済みなら、魔王城まで鬼姫一人でも行けそうな気がしてきた。
「魔王、おぬしらを見て何と申したかの?」
「別に何も」
「手合わせの前になにか口上ぐらい交わすであろう? それともいきなりおぬしら魔王に斬りかかったりしたのかの?」
「すぐに戦闘になった」
「おぬしら無礼じゃのう……。名乗りぐらい上げたらどうじゃ。せやないと相手が魔王かどうかわからへんやろが。おぬしほんまに勇者一行だったのかの?」
「失礼なことを言うな! それは本当だ」
「魔王がどこの言葉を話すかもわからへんと。それで魔王を倒したと?」
「……倒したとは言えない。人類に魔王は倒せない。封印しただけだ」
「うちもおぬしが魔王を倒したとは思わんの。弱すぎるわ」
「俺が何歳だと思っている。もう八十を過ぎた……。あの時よりは弱くて当然」
「魔法使いも年とともに衰えるのかの?」
「当たり前だ。それは大聖女も同じ。お前が弱いと思ったなら、その通りだ」
イヤイヤ答えるオーツ。一番聞かれたくないことを聞かれているのだから当然である。
「四人がかりでボコボコにタコ殴りしてから封印したとなっておるが?」
「魔王は強い。四人でもぎりぎりだった」
「聖女やおぬしなど真っ先に殺されそうな者が今も生きておる。信じられんの」
「……」
「……魔王そんなに弱いかのう?」
「……」
オーツは黙ってしまった。
「今魔王が復活したら、おぬしらどうするのじゃ?」
「……教会が次の聖女を探すだろう。今もそれに備えて聖女候補を探している。勇者はその時になれば、女神の神託を受けたと名乗りを上げるはずだ」
「勇者はどうやって選ばれるのじゃ?」
「聖女が本物の勇者を見分けられると伝わっておる」
「なんじゃそれ。いい男選び放題ではないかの」
「……」
そこはオーツに思うところがあるのだろう。少し辛そうな顔をした。
勇者と聖女がずーっとイチャイチャしているのを一番身近で見ていたことになるだろうか。剣士の息子のスタンフォードも、父からほとんど何も当時の事を聞けていない。言いたくないことだらけの旅だったということになる。
「魔王の封印はどなたがやるのかの?」
「聖女様だ」
「絵本でも話でも、魔王を封印するのは勇者の魔法となっておるが?」
オーツがしまったという顔になる。
「封印する魔法は勇者ではなく、ほんまは聖女様がやるのだのう。それは教会が編み出した術式でかの?」
「……そうだ。女神様が古に教会に伝えたものだ」
「それも怪しいのう。聖女ってどうやって選ばれるのかの?」
「聖女は幼い頃に教会から見いだされて、神聖魔法と封印を修行して育ったと聞く」
「おぬしはなにをやっておったのかの」
「魔法学校の首席だった俺は魔法使いの中から教会に選ばれた。聖女を魔王城まで連れてゆくのが俺たち勇者パーティーの仕事になる」
「ろくに戦いもせんでかの」
「……」
「おぬしら、魔王に出会うなりいきなり封印をかけたのであろう」
「……」
「実際の勇者の魔王討伐、教会の都合で、恥ずかしくてほんまのことは言えぬことばかりではないのかの。おぬしの言う通りだとするとこの絵本ウソだらけじゃ」
「……それが信仰と言うものだ」
その信仰、怪しすぎるというもの。鬼姫は思い切って聞いてみた。
「女神、ほんまにおるんかの?」
これにはオーツが目を見開いて反応した。
「女神ほんまにおるんやったら、なんで魔王を殺さん? 何で封印しかできへん?」
「……魔王は不死だ。殺せない」
「なんで女神は教会を守らん。なんで教会が竜ごとき寄せ付けんようになっておらん? やられ放題ではないかの。ほんまに女神、勇者が言う通り魔物や魔族を滅ぼす気があるのかの? ほんまにそれを勇者に命じたのかの?!」
それ以上何を聞いてもオーツは答えなかった。
教会最大の秘事に触れたのかもしれない。
神の啓示をうけたという勇者、神に選ばれたという聖女。
だが何も記録を残さなかった剣士スタンフォード、何も語らないオーツ。二人はそこに教会の嘘を見たのではないだろうか?
「もうええわ。では、オーツ殿。失礼したの」
鬼姫が席を立つと、オーツは「お前勇者にでもなるつもりか?」と聞いてきた。
「そんな面倒事は御免じゃ」
だがオーツは「これを持っていけ」と書状を出した。用意していたものらしい。
「これを聖女テレーズに届けろ。前にも言ったが、あとは王都の大聖堂の世話になれ。悪いようにはしないだろう。中身は読むな」
「うちに仇成すようなことが書いてあるのではないのかの?」
「お前は命の恩人だ。そんなことはしない」
「命が惜しいような年かのう? 名誉は守れたからその恩人かの」
「……なにを言われても返す言葉が無い。助けてもらったことは事実だ」
「ほな、達者での」
鬼姫は立って、部屋を出ていこうとする。
「いいか! 必ずテレーズに届けるのだぞ! お前なら次代の勇者になれる!」
オーツは念を押して怒鳴るのだが、鬼姫は心の中で「しらへんがな」とつぶやいた。
顔を出せと言われていたので、ハンターギルドに行ってみると、受付嬢が笑顔になった。
「オニヒメさん! 来てくれてありがたいです!」
職員たちも集まってきた。
「……なにごとかの?」
「あの、主都には商人の護衛ハンターぐらいしか集まりませんので、魔物専門のハンターはけっこう珍しくて」
「そやけど何でもやるわけではあらへんわの」
「オニヒメさん、ドラゴンを倒したんですよね」
「そらオーツがやったんじゃ。うちはなんもしとらん」
「またまたそんなこと言って……」
受付嬢が笑うが、その目が笑っていない。
奥から壮年の男が出てきた。オーツを最初に訪れたときに教会に押しかけて来た男の一人である。確かギルドマスターのブロンコとか名乗っていたか。
「オニヒメさん。ハンターギルドと商人ギルドの合同で教会からドラゴンの死体を回収して調べたよ。買い取りは俺たちの仕事だからな」
「はばかりさんじゃの」
「ドラゴン、目に矢が刺さっていて、斬られていたな。明らかに弓と剣の心得がある者に。オーツ様は魔法使いだ」
あーあーあーと思った。顔に出たかもしれない。
「オーツの魔法で斬ったのじゃろ」
「魔法か刃物かぐらいは見りゃわかる。首筋の、頸動脈を一太刀で的確に、まるで血抜きのごとくにすっぱりだ。あれはハンターか、そうでなかったらまるで肉屋のやり方だよ、オーツ様がやったとは思わんな」
のどの急所を殴ったのは気が付かなかったようである。
「そんなとこ斬れるのは仕留めてからでないと駄目じゃろ。オーツが倒してからの話やないかのう」
「オーツ様ではドラゴンを倒せないんだよ。あんな簡単にドラゴンを倒せているなら今でもルントの王宮で贅沢してるさ」
「……オーツ嫌われておるのう。なんでこの国に置いとくのじゃ」
「魔王を倒した勇者御一行の英雄様だ。仕方ない」
ブロンコは肩をすくめた。
「それだけかの、用が無いならうちはこれで失礼させてもらうのじゃ」
くるりと身をひるがえし、鬼姫はさっさと出口へ向かう。なにか面白い話が聞けると思ってここに来たのに、全く面白くない話ばかりだった。
「ちょ、待て! お前にやってもらう仕事がある」
鬼姫は振り向いた。
「下水道にネズミが大量発生している。人より大きい巨大なネズミを目撃した者もいる」
「ネズミ? ……そら鉄鼠やろ。それぐらい自分らで何とかしいや」
鉄鼠。平家物語や太平記にも登場する、なぜか古都の仏閣によく出て経典や仏具仏像を食い荒らすと言われるネズミの化け物で、その大きさは牡牛並み。八万四千匹ものネズミを従え寺を襲ったことがあり、怨霊がネズミに化けたものと言われている。鬼姫は古都の高僧に退治を頼まれて、「こちとら神社じゃ! 寺の面倒は寺の坊主でなんとかせい!」と断固、断ったことがあった。何の恨みを買ったのか知らないが、同業者の自業自得の不始末を押し付けられるなんてまっぴら御免というところか。
「放っておいたら大変なことになるんですよ!」
事務員の女が声を上げる。
「伝染病が広がるかもしれないんだぞ。放っておくわけにいかんだろ」
ギルドマスターは顔をしかめる。
「大変なことになる前に自分たちで何とかしいや」
事務員はぶんぶん手を振って、「え、だって、汚いし、臭いし、やりたがる人がいなくて……」と困り果てている。
「うちもやりとうないわの。町の猫を放しておけ」
なんでねずみ駆除をさせられなきゃいけないのか全く分からない。
「待て。やらないならドラゴンの討伐記録を書いてやら……」
最後まで言わせない。
鬼姫はギルドの出口を風のように走り抜けた。一瞬の事だった。
この首都には城壁は無い。出入りのための入領門などがあるわけでもない。鬼姫を止める者などいないのだ。
走った鬼姫にはもう誰も追いつけない。それぐらい速かった。
鬼姫は一人だ。いつも仲間はいない。戦闘においてもなにごとにも、逃げるということに一切の躊躇が無いのだ。鬼姫にしてみればドラゴンの裏書きなどなんの得も無い。秘密にするという大公との約束もある。そんなことより逃げ出す理由が鬼姫にはあった。
「ネズミは……。ネズミだけは、絶対イヤじゃあああああああ~~~~!」
実はネズミが大嫌いな鬼姫、絶叫と涙と鼻水と共に街道を走り抜けた……。
次回「65.荒れる川」




