63.大公謁見
のんびりと旅の準備などしながらの二日後、鬼姫は大公に呼び出された。
宿屋に使者が来て、馬車で迎えに来るという大騒ぎ。
スタール公国の首都アウストラの中央に建つ公宮。そこにファルタ大公が待っていた。
謁見の間なんて形式ばったものではなく、茶を飲むだけという話だったので鬼姫は了解して出頭したのだが、確かにその通りサロンに通された。
従者が、「ファルタ大公にあらせられます」と、サロンのテーブルの奥に座る初老の男を紹介する。
「お初にお目にかかります。ハンターをしております鬼姫と申しますじゃ」
大公は頷いて席を勧めた。鬼姫は素直に座る。
なぜかしょぼくれた大賢者オーツと、教会司祭が同席している。
「召喚に応じていただき有難く思う。教会を襲ったドラゴンの件、事情を聴きたい。なに、いかなる事情においてもドラゴンが無事に倒されたことは間違いないのだから、オニヒメさんを咎めるようなことはせぬ。まず最初にそれは約束する」
「ご配慮感謝いたしますのじゃ」
「うむ」
メイドが各自に茶と菓子をふるまい、静かにサロンを出て行った。その間、各自無言。
大公も報告だけ聞いてみれば、賢者オーツを赤子のごとくあしらい、ドラゴンを一撃で叩き伏せた猛者、いかな難癖をつけようとも拘束できるわけでも利用できるわけもなかった。ただ、成り行きを聞かないわけにもいくまいというのがこの召喚の理由である。
「これから話すことは内密にしたい。他言無用としてほしい」
「わかったのじゃ。あ、わかりました」
「他言無用ゆえ、言葉遣いに気を遣う必要は無い。話しにくいこともあろう。素で話してもらって構わない。無礼には問わぬ」
「……わかったのじゃ」
「で、オーツ殿が申す事には……、ドラゴンを倒したのはあなただと」
「うちが教会に入ったときにはオーツ殿とドラゴンが共倒れしておったがの」
「オーツ殿には既に聴取済みだ。正直に申してほしい。咎めたりはせぬし他言もせぬ」
大公の目が柔らかくなる。鬼姫としては面倒事は避けたかったが、仕方なし。まずはお茶を一口いただいてから話し出す。
「オーツが倒したことにしとけばええ。何か不都合があるのでしょうかの?」
オーツには不遜な鬼姫。自分をまきこんだオーツにちょっと腹を立てていた。
「あなたがいったいどうやってドラゴンを倒したのかがわからんとオーツ殿が言うのだ。一撃で殴り倒したとのこと。ドラゴンにそんな弱点があるならば我々も今後、対処ができるかもしれないというもの。ぜひご教示いただきたいのだ。頼む」
「……うちが倒したと知れ渡れば、次はうちがあちこちで竜を倒さねばならなくなり、うちが竜に狙われることになるでしょうのう。今回はオーツを助けるためにやむなく倒しましたがの、こんな糞じじいの厄介事を押し付けられるのは御免ですのう」
「そんな恥さらしなことはせぬ。オーツ殿も、自分が倒したことにしたいであろう。そうであるな?」
大公は厳しくオーツをにらむ。
「いや、わしは……」
「オーツ殿は魔王を倒した勇者パーティー。ルントでもわが国でも英雄だ。それが伝記のドラゴン一匹に逃げ回っていたとなると我が同盟国の恥さらしにしかならん。そんな話は断じて口外できぬ」
オーツはもう身を縮めて居心地悪そうなことはなはだしい。
「そこの大賢者殿はうちが倒したことにして、もう竜族の仕返しから逃れたがっておるように見えますがのう?」
「いや、あの……」
オーツが口ごもる。
「そんなことは断じてさせぬ。ドラゴン族はオーツ殿の魔法感知をして襲ってくることがわが国でもこれではっきりした。オーツ殿は今後魔法を使わぬよう誓約書を書いてもらい、『賢者の杖』も預かる。公都を離れ僻地で静かに余生を送ってもらうこととしよう。それが良いな? オーツ殿」
「……異存はない」
オーツ、がっくりである。
鬼姫はちょっと考えた。
自分は魔法なんて使わない。最初に目を攻撃したから、鬼姫の姿さえ見たかどうかも怪しい。だから竜にどんな意思伝達方法があろうと、竜族には自分が竜を倒したとはバレていないだろう、多分。だったら種明かしぐらいしてもいいかと思う。
竜は最強とも言われるモンスターだが、最強と呼ばれるモンスターにはたいてい弱点があるのはどこの世界に行っても同じである。鬼姫はその弱点を的確に突くことができたから勝てた。
「『逆鱗』って知っておりますかの?」
「いや、知らないが」
意外だがこの世界では知られていないということになるか。日本では日常でもよく使われる言葉なので、その由来は普通に知られていると思っていた。
「竜の、のどの下にある一枚だけ逆向きになっておるウロコのことじゃの。ここをなぜると竜は怒り狂うと言われておるんですのう。『逆鱗に触れる』ということわざの元になっとる話じゃの」
「な……。そんな攻撃して危なくないのか!」
大公は驚いた。
鬼姫はにやりと笑って指を振った。
「実はそこが弱点なんですのう。竜は毒煙を吐くじゃろう」
「……ああ。火を吐くもの、冷気を吐くもの、ドラゴンは何かしら吐くものだ」
「その吐くものを噴き出す蓋が逆鱗のところにあるんじゃのう。だからそこをぶん殴ると蓋が管に突き刺さって、毒のある竜なら毒が、自分の肺に流れ込んできて竜は弱るのじゃ」
「ほー……」
人間は水を飲むのと、息をするのを別々にすることができる。それは食道と気管を切り替える喉頭蓋があるからで、何かの拍子に気管に水が入ると人はむせて咳をしたり吐いたり大騒ぎ。そこはドラゴンも同じであった。
「息もできんくなろうのう」
「そんな弱点があったのか! 良く知ってたなそんなこと!」
「唐の孫悟空という猿が如意棒でそこをどついて玉龍を倒したという逸話がありましての。空を飛んでおる時、喉元にその逆鱗が見えたの。こちらのどらごんというやつもおんなじなんじゃの」
はー……と大公、司祭からもため息が漏れる。
だがオーツは、「たいていの生き物は喉が弱点だ。勇者だってそこを剣で攻撃してドラゴンを倒していたぞ」と不満げに言い捨てる。なんと意地張りなことかと鬼姫はあきれ果てる。
「当たり前の事じゃ言うならなんでおぬしもそこを狙わん。あんなヘタクソな魔法で倒せるなら自分で何とかしいや」
そう言われてはオーツも黙るしかない。
「……残念ながら鼠が猫に鈴をつける話だな。それを誰がやってくれるというのか」
大公もいささかがっかりした。
「教会みたいな狭いところで、竜も思うように動けんかったであろうの。運も良かったと思うのう。次また竜倒せ言われても、うちにしてもようできひん話なん」
竜を弱らせたのは逆鱗だが、実は止めとなったのは両眼を貫いた剣である。
龍に関連したことわざに「画竜点睛を欠く」があるが、完成していない、詰めが甘いなどの意味がある。
呉のある高名な画家が、龍の絵を描いたが、その絵には眼が描かれていなかった。なぜ眼が描かれていないのかを尋ねられて、画家は「眼を描いてしまうとこの絵は魂を持つ」と言う。絵を注文した武帝は面白がって、眼を描くことを画家に命じた。仕方なく眼を描き込んだら、龍は命を持ち絵から飛び出して飛んで行ってしまい、多くの人を驚かせたという。
竜の魂は目玉に宿る。最初に片目を矢で貫いた時に勝負は決まっていたのかもしれない。あのとき、竜は宙から落ちて、体の動きも格段に鈍くなった。
龍は玉、いわゆる宝珠を持っている姿で描かれることも多い。なにかと玉に因縁がある妖なのだ。
オーツとにらみ合っていた隙があったからこそ、目玉を矢で射ることができた。だがそれを言えばオーツが調子に乗るか恩を着せてくるかもしれないし、鬼姫にしても確信がある話ではないので、そこまでは説明しないが。
トカゲのような爬虫類には眼を保護するためのもう一つのまぶた、瞬膜がある。並の矢だったら竜の目を守る瞬膜を貫けなかったかもしれない。大事にとっておいた武器屋のドナルドが作ってくれた切れ味抜群の黒曜石の矢のおかげであり、その点でも鬼姫一人の力とは言えなかった。
「オニヒメさんはドラゴンのブレスの中も平然と闘っていたという。いったいあの毒のブレスをどうやって防いだのだ?」
「息を止めておったの」
「は?」
「吸い込まなければええのであろうの?」
「……はあ」
「そんなわけがあるか――――!」
オーツは絶叫するが、鬼姫はふふんと笑う。
「うちは四半刻ぐらいは息を止めていられるがのう」
「……ありえない」
全員、あきれ果てて物も言えない。
「どらごんの倒し方はわかった。どらごん倒しのオーツの名も上がったの。祭壇を壊し教会に穴をあけるほどもうろくしてボケが始まっておるオーツの老後もこれで安心じゃ。ちゅうわけでうちはもう帰っていいですかのう?」
「ドラゴンを倒してくれたことは礼を申す。褒美を取らす。他言無用が条件だが」
「そうしていただければありがたいのう」
「ドラゴンの死体は素材として接収させてもらいたい。教会の再興資金になる」
「オーツがやったことじゃ。オーツから取り上げるのならそらええて」
「ハンターカードを見せてくれるか?」
「かえって厄介になるから見せとうないですがの……」
「是非に」
「しゃあなし……。ほれ」
大公、司祭、オーツが裏書きを見て驚愕したのはもちろんである。
「……そ、その、オニヒメさんは、だな」
「なんなん」
「このカードの裏書きに、『ドラゴン』が追記されなくてもよいのか? これ以上の実績はもうないぐらいの偉業だが。公宮で正式に依頼にして、ハンターギルドに書いてもらわないと困るのではないか?」
「そないなもん書かれてもかえって面倒になるだけじゃの。そこらじゅうで竜を倒せと頼みに来るに決まっておるの。次やって冷気やら雷やら使う竜やったら今度こそうち死ぬかもしれへんて」
「いや、それはそうだが……。もうどこかでドラゴンの数体も倒しているのかと思ってしまった。ドラゴンだけでなく、これだけの多様な魔物を倒せるなど、惜しい。実に惜しい」
「内密にしてもらわんとこっちも困るの」
「返す返す礼を申す」
大公が頭を下げた。
受け取った報酬は白金貨が二枚。
「礼を申します」
鬼姫はそのうちの一枚を大公殿に押し返し、「一つお頼申したいことがありますのう」と聞いてみた。
「申してみよ」
「今後、うちのことはかかわらず、放っておいてもらいたいの。今後も魔物が出ればハンターとして退治をしながら国を回るつもりですじゃ。それでええですかの?」
大公はあごひげを触って考え込む。
「確かにそれは我々にとってもありがたい。本当ならお抱えとして公国騎士団に所属し、その辣腕を振るってもらいたいところだが」
「うちはこれでも神に仕える身でしてのう、戦にはかかわれませぬ。人殺しはやらんので、お役に立てませぬ」
騎士団は戦争となれば真っ先に先陣に立たなければならない仕事である。そんな役目は御免であった。
「我が国は貧しい。戦を仕掛けてくる他国などありえないが……承知した。これからも存分の活躍を期待しておる」
「お気遣いおおきに」
鬼姫は頭を下げた。
「我が国の東にはまだまだ魔物が出る。公国の駐屯軍も町がある南北に配すのがやっとなのだ。どうしても東の開拓村は手薄になる。開拓民も日々危険と闘っておるのは事実だ。助けになるのならばこれは取っておいてくれたまえ……」
一度は返された白金貨を改めて鬼姫の手に握らせ、雇えなかったことを名残惜しそうに大公は退出した。
「司祭殿も、竜の躯が金子になるのなら文句はないの?」
「はい」
いささか疲労している司祭もそれ以上口を出さなかった。
「ほな少しオーツ殿と話をさせてもらいたいのう。内密に聞きたいことがあるの」
「そうですか。では私もこれで失礼します」
司祭もサロンを出て行って、鬼姫とオーツの二人だけになった。
次回「64.賢者の記憶」




