60.天岩戸
全員、祭壇の前に集合した。
これは鬼姫が条件を出した。つまり、オーツがまた何かやらかそうとすれば、祭壇がめちゃめちゃになるぞ、ということである。さすがにそこまでやるはずがない。オーツは叩き折られた杖に代わって古めかしい杖を持ってきた。こちらが本来使っている魔法用の杖なのであろう。
「では始める。いささか体に負担があることもあろう。やめてほしければやめろと言え。まあ、本当に謎が知りたければ多少我慢してもらうことになるが」
「まあそれぐらいはいいのじゃ。で、うちに危害を加えんと誓うのかの?」
「大聖女テレーズに誓おう」
「もっと上のお人に誓ってもらわんとらちあかんのじゃが。おぬしらぐるじゃし」
「……女神レミテス様に誓う」
「はじめるのじゃ」
司教もシスターも立ち会っている。まあこれぐらいの約束は守るだろう。いざとなれば逃げればよい。鬼姫はそう楽観していた。
ごとり。
鬼姫は五尺の金棒を出し、それを右手に握って、先端を床に置いた。
「なっ、今それどこから出した!」
「うちの得物じゃ。念のためじゃ。なんぞ不都合があるのかのう?」
なんの気配もなく瞬きするような間にいつのまにかもう鬼姫の手にある得物、見るからにゴツく殺傷力が高そうな金棒。そこにあるだけで凄まじい威圧を祭壇に放っていたが、オーツはふんと笑う。
「女手でそんなメイスが振れるわけなかろう」
鬼姫はなんと片手でその五尺の金棒をひゅんひゅんひゅんと振って見せてぴたりと止めた。
「きゃああああ!」「ひぃいいい!」
止めた場所はオーツの額である。もう全員オーツが即死したと確信するほどの勢いからの寸止めであった。
「……始める」
ダメだと言えなくなったオーツは冷や汗まみれで杖に念を込める。
「……カプット モウルトゥム インペレット、ティピ ドミヌスペル、ヴィヴム、エトデブィトゥム セルペンテム」
「げふっ」
鬼姫は咳き込んだ。
胸に手を当てて苦しそうにする。
「オーツ様!」
シスターが声を上げる。
「オニヒメさんに危害は加えないと約束したじゃないですか!」
「がっ」
鬼姫は血を吐いた。
あの大聖堂の時のように、鬼姫の体から光が出て、五芒星が何重にも折り重なり、白い光の線が結ばれて鬼姫を包み込む。葬送の祝詞と共に。
オーツは倒れた。
その瞬間、鬼姫の周りの封印の術式は消える。
司教はオーツに駆け寄り、抱き起す。
鬼姫ははあはあと荒く息をして床に跪き、こちらはシスターが駆け寄った。
「オニヒメさん! 大丈夫ですか!」
「ぜえぜえ……大事無い。ちょっと息どしくなっただけじゃ」
「今のは悪魔祓い……。オーツ様、オニヒメさんに封印されているのは悪魔なのですか?」
司教に抱き起されるオーツも息荒く、かぶりを振る。
「違う。違うがなにかとてつもない邪悪なものだ……。悪魔だと想定してそれを払おうとしたら、強力な封印に邪魔された。その封印がある限り、その者は決してお前の体から出ることはかなわぬだろうな」
「げほっ。……なんじゃ。思った通りではないかの。もう少しなんか新しいことはわからへんのかの偉大な英雄の賢者様」
鬼姫は皮肉を言った。
「……強大な呪いだ。お前の命を奪うような、邪悪な呪詛が封じられておる。その封印、その呪いを封じ込めるために誰か高位の神官が施したものだ。おそらくは」
だが、鬼姫の頬には涙が流れた。
その封印は、暖かで、優しかった。
きっとなにか事情があって、やむなく封じたものであろうことが、鬼姫にはわかる。それは鬼姫をこの世から消し去ろうとしたものでは断じてない。そうすることで、鬼姫を守ろうとしたものだ。それは確信できた。
「お前、なにか邪悪な者と闘ったな?」
「ごほっ……。覚えておらぬが、うちが死ぬとしたら、まあそんなことだろうの」
「その時呪詛をかけられた」
「……」
「だからいつかその呪いを解くことができる者が現れるまで、お前を守るために呪いごと封印したんだと思われる。そんなことができる高位の神官に心当たりはないか?」
オーツは司教の手を振り払って、杖を立てて立ち上がった。
鬼姫は、これが天岩戸と言われている封印術だと確信した。
あの天照大神が自らを封印したときに使ったとも伝わる伝説級の、神をも封印できる術式。
これを施してくれたのは、紅葉神社の御祭神、天照大神その人だと鬼姫は思う。
鬼姫は長らく妖怪を退治して人の世を守ってきた。鬼姫の死を惜しんでくれた大神が死の間際の鬼姫を生き長らえさせるために、天から施してくれた封印術。
そのことが鬼姫にはわかった。
あの紅葉神社の河原にあった小さな祠にも、毎年お祭りのたびに神楽が奉納され、観光客が訪れ、絶え間なく祈りを捧げられた。その人の心の温かさが、今日まで自分の封印を維持していてくれたのだ。
だが、そのことはオーツには言わない。
この程度で倒れる賢者、鬼姫にかけられた封印に対抗し得る人間とは思えなかった。下手したらオーツが死ぬ。最悪、封印された呪詛を開放してしまうことにもなるだろう。どう考えても悪手であった。
「……この封印はダメだ。使えん。使いどころがない」
オーツは残念そうに言う。
「まあおぬし程度の大賢者では無理であろうのう」
なにしろ天照大神の岩戸の術である。こんな世界の魔法使いごときがどうにかできる術ではあるまいと思う。
「そういう意味ではない。見くびるな」
「見くびられたくなければなんぞ手を打ったらどうじゃ」
「それがダメだと言っておる。この封印はこのままにしておくのが一番いい。テレーズもそう思ったのだろう」
「ほう、さよかの」
鬼姫も立ち上がった。シスターがハンカチをくれたので、血を吐いた口を拭く。
「もう少しうちにも楽しい話はあらへんのかの?」
皮肉っぽく笑ってやる。
「無い。聖女テレーズにもそう申し伝える。書状を書くからそれを届けろ。あとはテレーズに頼んで王都の大聖堂の世話になれ。善行に励んで安らかな死を迎えられるよう女神に祈ればあるいは道も開けよう」
なんで自分がそんなことを、と、思ったが、そんな手紙もまた何かに利用できると思ったので鬼姫は素直にうなずいた。
「使いを出すから後で取りに来い」
「わかったのじゃ」
「あの……オーツ様、修繕費……」
しつこく司教が食い下がる。
「うるさい! 後にしろ!」
さすがにオーツが怒鳴り返した。
次回「61.打ち出の小槌」




