55.吸血鬼 下
横倒しになり、動かなくなる領主カルハード伯爵の首なし死体。
そして、カルハードの生首を串刺しにして両手剣で持ち上げているスタンフォード。
不死のカルハード。生首になって額に剣を刺されても、苦悶の表情を浮かべスタンフォードをぎろりと睨みつけた。さすがに首を斬られて声も出せず息もできずではあろうが。
「うわあ……」
「そのまま持っておれ」
「いや、ちょっ、持ってろって、お前……」
鬼姫は大太刀と、金棒と弓を拾い上げて消してしまった。
カルハードのサーベルを拾い、鞘も腰のベルトから外して、鬼姫は思い切り放り投げる。しばらくして遠くでバシャーンと水音がした。川にでも落ちたらしい。
カルハードの生首の切り口からは、血管だの首筋だの、なにか触手のようなものが伸びはじめて首なしになった自分の死体を探す。それは復活しようとあがいているように見えた。その気持ち悪さにスタンフォードは鳥肌が立つ。
それを見た鬼姫は小瓶を取り出してだらだらと首にかけた。刀の手入れに使っていた丁子油である。
ぼぉおおおお――――。
「火! え! 火吹くの!? 火吹くのお前!」
「やかましいのじゃ。燃え尽きるまでそうして持っておれ」
ぶしゅぶしゅと嫌なにおいを立てながら燃え出す生首。首の下から伸びていた触手はのたうち回っていたがやがてそれはだらりと下がる。
スタンフォードは鬼姫が窓枠を焦がしたぐらいだから、なにかの火魔法も使えるのだろうと思っていたらこれである。
「俺の剣……」
剣好きのスタンフォード、自慢の剣らしかった。
鬼姫はカルハードの首なし死体から、霊符の縛られた矢を抜き取った。矢文のように縛り付けてあった紙は、生霊、死霊をはねのける解精邪厄符である。
驚くことにしゅるしゅると首なし死体は姿を変え、人間大の大きなコウモリになってしまった。
「うーむ、こっちが正体なのかのう? それとも領主がコウモリに化けたのかの? おぬしどう思う?」
「……いやそんなこと言われても」
もう一度矢を突き刺してもコウモリは領主に戻らない。
「人に戻らん。失敗だったかのう、おぬしどっちが良かったかの?」
「……コウモリ」
下手したら主殺しの大罪である。コウモリのほうがいいに決まっていた。
燃える生首を突き刺した剣を、ずっと持っているちょっと情けないスタンフォード。すでに焦げ付いて焼きすぎの串焼きである。剣は焼き鈍って研ぎ直してももう使えないかもしれない。残念である。
どう戦うのかと思っていたが、女の鬼姫があんな力押しの情け容赦無い、一方的な撲殺、首切りをやるとはさすがに思わなかった。スタンフォードは鬼姫のやることなすこと、全部にドン引きし、かつ、ビビっていた。ここまでくるともう人間なのかも怪しいとさすがに思う。
もし犯人が領主だったら、聞き出したいこと、言ってやりたいことが沢山あった。だが、ただ一刻も早く敵を殺す事だけしか考えない鬼姫の容赦のなさに、いまさら全部どうでもよくなってしまった……。
「いつもあんな戦い方してるのか鬼姫……」
「おぬし見たじゃろう。闘っている間もこやつ、どんどん怪我が治っておった」
「……ああ。ヴァンパイアは不死だと言われるゆえんがそこなのか」
「だがのう、弱点は鳥と同じじゃ。蝙蝠も、飛ぶ奴はみんな軽く骨は華奢なんじゃ。ぶん殴られれば骨は折れ自慢の回復も間に合わぬ」
「なるほど」
「死なぬ相手に恥も外聞もないわ。うちかてあんな闘い方、人目があるときはあんまりやりとうないがの」
「わかる」
わかりみ深くスタンフォードは頷いた。
いまさらだがカルハード邸に次々に明かりが灯る。
何事かと警備や使用人が門を開けて、ランタンを持って出てきた。
「衛兵隊長!」
「スタンフォード様ではないですか! こんな夜中になにやってるんです!」
「いや、あの」
「大事おへん。街の見回りをしておったら、魔物が出たので退治したのじゃ」
鬼姫が適当に言い訳すると、使用人たちから声が漏れる。
「おー……」
「屋敷に逃げ込まれたら面倒になっておったのう。そうなる前に倒せてよかったの」
こともなげに鬼姫がコウモリの死体を指さす。嘘は言っていない。全部本当の事だから仕方がない。
「さすがです衛兵隊長」
「コウモリですか、こんな大きいの見たことないですよ……」
「お見事ですスタンフォード様」
「それなんですか? 燃えてるやつ」
返事に困るスタンフォードであった。
翌朝、コウモリの死体がハンターギルドで確認された。
首は無かったが、剣を突き刺された頭蓋骨が燃え残り、衛兵隊長スタンフォードの証言と、牙の形と幅が被害女性の遺体の傷の記録と一致した。なにより日が昇って光に当たるとこのコウモリの死体、骨を残して灰になってしまったのだ!
そのことから女の血を吸っていたのはコイツということになり、めでたくアターリアを騒がせていた吸血鬼の正体は、巨大コウモリのヴァンパイアだったということで討伐が完了した。
鬼姫は自分で自分が出した依頼票に依頼者としての討伐証明のサインをし、手数料一割を引いた金貨九枚を受け取ってニコニコである。
ハンターカードの裏書きにはコウモリではなく、「ヴァンパイア」と書かれている。これは衛兵隊長スタンフォードが頑固に主張したためだ。
しかも鬼姫のソロ討伐である。
下手したら主殺しに加担したことになるからなのか、それとも衛兵隊がハンターの手を借りないと魔物を倒せなかった、という前例は断じて残すわけにいかなかったか。どっちにしろ面倒くさいので鬼姫は言われたとおりにした。
灰と化したコウモリの前で祓串を振り、祝詞を唱える鬼姫の姿を多くのギルド職員が何をやっているのか訳も分からず見守ったのはもちろんである。
……なぜか、その夜から領主カルハードが行方不明になったという事件はあまり広がらなかったようである。以前から病気で寝込んでおり、いないも同然だったので無理もない。拾ったカルハード愛用のサーベルと鞘は鬼姫があの夜に市内の川に放り投げたし、あとはどうなろうと鬼姫の知ったことではなかった。
「娘さんに会わせてほしいの」
「……いろいろ医者にも診せたが、まだ意識不明だ。頼めるなら頼みたい」
「うちは医者ではないし、治癒魔法なんてのも使えん。気休めにしかならんがの」
「恥を忍んで言う。今はその気休めが欲しいんだ……」
スタンフォードの屋敷では、連れてきた鬼姫に使用人に少し驚かれもしたが、かまわず娘の寝室に案内される。
娘さんは寝台の上で寝ていた。血が抜けて顔色悪く、呼吸も浅い。
首には包帯が巻いてある。そこから血を吸われたということになるだろうか。窓は厳重に板が打ち付けられて、部屋は暗かった。スタンフォードは燭台のろうそくに火を灯した。
鬼姫は娘さんのベッドの上に解精邪厄符を貼った。悪霊を払う霊符の一つである。矢に縛り付けていたが、少なくともコウモリが化けた人間を元に戻すぐらいの効果はあったことになる。
祓串を持ち羽織を重ね、娘さんに向かい、一礼、二礼して、祝詞を捧げる。
掛けまくも畏き
天照御影大神の大前を
拝み奉りて畏み畏みも白す
妖しき疫起こりて病臥す事なりぬれば
大神等の奇き御魂を以て
病患に苦しむ人等の身に纏いたる
禍物は速けく去り
病は平癒て清々しき身と為さしめ給え
今ゆ往先天下に時疫無からしめ給え
いつつしき事無くあらしめ給えと
開手打挙げて
畏み畏みも白す
リーン。
一礼、二礼、鈴の音が続く。
さっさっと祓串が振られる。
……。
はあ、はあ……。
娘さんの呼吸が少し大きくなる。
「エリーゼ!」
スタンフォードはベッドに駆け寄り、娘の手を握った。
娘はうっすらと目を開ける。
「……お、おとうさん……」
「おお! 気が付いたか!」
鬼姫はそっと部屋を出て、使用人を呼び止めた。
「お嬢さんに水を持って行てあげてくれぬかの」
医者が呼ばれ使用人が駆けまわり、大騒ぎの館のサロンで鬼姫は一人、お茶とお菓子を楽しんで、あくびをし、居眠りした……。
次回「56.勇者の歩んだ道」




