54.吸血鬼 中 ※
「おう、昨日ヴァンパイアに襲われた姉ちゃんじゃねーか」
朝のハンターギルド。昨日の騒ぎの中にいたハンターもいたようだ。
仕事を探して数人のパーティーが掲示板の前にいる中、衛兵隊長のスタンフォードを連れだって鬼姫がカウンターに向かう。
「衛兵隊長……なんで一緒に」
思わぬ大物の登場にギルドホールがざわめく。
「たのもう。討伐依頼を出したいのだが、受付はこちらでええかの」
鬼姫が受付カウンターで事務員に声をかける。
「依頼ですか。なにか身分の証明になるものがあれば」
「これでよいかの」
ハンターカードを出して見せる。
ガタッ。思わず椅子から立ち上がって事務員が鬼姫の顔を見る。
「……あの、これ、本当ですか?」
「ほんまかどうかはそちらの仕事ではないかと思うがの」
このやり取りもさすがに慣れた。
「失礼しました。本物です……、間違いなく。で、依頼?」
「そうじゃ」
「引き受けるほうではなく、依頼を出したいと?」
「今、街を騒がせておるばんぱいあの討伐、依頼を出したい。報酬金貨十枚で」
「ハンターが討伐依頼を出すなんて聞いたことが無いですよ。それにヴァンパイアの討伐が金貨十枚なんて安すぎるでしょ」
「心配ない。引き受けるのはうちじゃ」
「はあ?」
事務員はますます意味がわからない。
「どういうことですか、スタンフォード様」
事務員は鬼姫の後ろに控えている衛兵隊長に問いかける。
「そのままの意味だ。受領してくれ」
「は、はあ……。ではこちらの申請書にご記入ください。あと、報酬金額の金貨十枚を支払ってもらうことになりますが」
「わかったのじゃ。スタン殿。うちはちと読み書きが苦手なのでの、代わりに書いてくれるかのう……、申し訳ないのじゃが」
「ああ。まかせてくれ」
申請書を横からつまんだスタンフォードはさらさらと必要事項を記入する。鬼姫は巾着から金貨十枚を出して、カウンターに置いた。
「……たしかに。ハンターの『オニヒメ』さんから、ヴァンパイアの討伐依頼、金貨十枚で受領しました。即刻、ギルドの掲示板に張り出されます。ヴァンパイアを討伐して討伐証明を持ってきたハンターの方には手数料一割を引いた金貨九枚をギルドから報酬として支払って、依頼終了といたします。よろしいですか?」
「頼むのじゃ」
ギルドホールをぶらぶらして時間を潰していると、職員がギルドの掲示板に依頼票を張り付けた。仕事を探していたハンターたちが一斉に掲示板に群がるが、「ヴァンパイアに金貨十枚って、安すぎんだろ!」、「なんだこれ、馬鹿にしてんのか?」と罵声が上がる。しかし鬼姫は気にせず前に進んで、その依頼票を引きちぎった。
ハンターたち、職員もだが、茫然である。
「ほな行こか」
「おう」
鬼姫と衛兵隊長はギルドを出てゆく。
「自分で出した依頼を、自分で引き受けるハンターなんて見たことねえよ。なんなんだよあのねーちゃん……」
ギルドを出た二人は街を歩く。
「おぬしが依頼を出すほうが話が早いと思うがのう……凄い変な目で見られたわ」
「すまん。衛兵隊がハンターに討伐依頼を出すなんて恥さらしは断じてできない……。そこは申し訳ないと思っている」
「ま、そらそうじゃのう」
立場を考えれば仕方なかったと言える。
日本では古都の治安を担う士族の同心が、下手人捜査を平民の目明しを雇って十手を貸し、やらせるなんて普通であったが、この国ではそういうわけにもいかないらしい。ちなみに銭形平次が「十手を預かる身」と自称するのは、士族ではなく平民だからで、そこは鬼姫と同じであった。
「うちがけったいや思うんは領主じゃの」
「領主……カルハード様か。なぜそう思う?」
「なんでなんもせん? 自分の街でおなごが襲われておるのじゃぞ? 警備を厚くして見回りも増やし、下手人逮捕に全力を挙げるべきであろう? なんでそうせん」
「被害者がまだ四人……これで五人になったが」
「もう五人じゃ。これで何もしておらんのなら領主としてはもう無能じゃ。おぬし領主にそのことを話したか」
スタンフォードは考え込む。
「実はもう一年以上会えてない。病を重くして寝込んでおられるとのことだ」
「政はどうなっておる」
「役人が総出で取り仕切って回している。だが、その者たちに対策の相談をしても、『カルハード様が捨て置けと取り合わない』と言う。そこは役人たちも不審に思っている」
「役人が加担しておるとは思わぬのかの」
「……役人は俺の旧来の友人でもある。嘘は言ってないと思うんだが」
「領主殿は仕事もせずにあえて放置しておるちゅうことじゃの」
風呂敷に包んだ鍋を出す。
鍋に中央公園の噴水から水を汲み、陰陽方位図を船の折り紙にして浮かべ、その上に懐紙を置いた。
「吐普加美依身多女……」
なにか印を結んで術をかける。
折り紙の船がそっと動いて、ふちに当たった。
「こっちじゃ」
鍋を持って鬼姫はしずしずと歩いて行く。水をこぼさないように注意してだ。
「こっちじゃの」
スタンフォードは訳が分からないが、それでも鬼姫について行く。
「危ない、危ない鬼姫! 歩道歩いて!」
「こっちじゃ」
鍋に船を浮かべてこぼさないように歩く鬼姫。その姿は異様だが、鬼姫が真剣なので邪魔もできない。スタンフォードは先回りして人を避けてもらったり、馬車を止めて道を渡らせたりと忙しい。
「この建物が怪しいの」
「……カルハード様のお屋敷だ。知ってたのか?」
「これから毎晩この屋敷を見張る。おぬしも協力するのじゃ」
「どうして」
「これがわかるかの?」
鬼姫は船に載せていた懐紙を広げて見せる。血が付いていた。
「昨晩、うちを襲ってきた男に斬りつけて、短刀についた血を拭きとったものじゃ。下手人の血に間違うない。この血の持ち主がこの屋敷におる」
「……まさか」
「信じんのならうち一人でやる。元々これはうちの仕事じゃ」
「……協力はする。だが手は出せないかもしれない。許せ」
「手が出せるようにすればええのじゃな?」
その意味がスタンフォードはわからなかった。
「ほな夜まで寝るとするかのう。おぬしも今のうちに休んでおれ。月が南にかかったら、ここに来るのじゃ。戦いになるから支度はしっかりの」
鬼姫は鍋の水を捨て、風呂敷に包み、スタンフォードを置いて立ち去った。
とても信じられぬように、スタンフォードは屋敷を見上げて、立ちすくんだ。
月が南中した。真夜中である。
鬼姫は弓と矢筒を持って現れた。対し、スタンフォードは甲冑、帯剣の騎士姿である。
「……ロングボウにしても長い。君の使う武器にはいつも驚かされる」
「その反応うざいだけじゃ。もうやめてもらいたいの」
「そんな入れ墨あったっけ?」
「入れ墨ではない。描いておる」
鬼姫は自分の顔に環呪阻符を描いていた。
「念のためおぬしにも」
同じ模様の環呪阻符をスタンフォードの甲冑にも貼る。
深夜の街。領主カルハードの屋敷前だ。
「カルハードの部屋はどこじゃ」
「二階中央……」
「あの正面玄関の上の出窓かの?」
「バルコニーな」
「そろそろうちが襲われた時間になるのう」
二人、バルコニーを眺める。
明かりがともった。
「……来るわ」
「……」
窓が開き、バルコニーに黒いマントの男が現れた。
「あやつじゃ」
「いまだに信じられん……」
鬼姫、矢筒から矢を取り出して弓につがえる。
「ちょっと待て、いきなりは」
「飛んだら射る」
「飛んだらって……相手領主かもしれないんだぞ」
「飛んだらそんなやつもう魔物であろう」
矢には矢文のように何かこよりに結んだ札が縛り付けてある。
黒いマントは黒い靄に覆われ姿を変え、やがて翼を広げ、コウモリの姿になった。人間大の巨大な蝙蝠だ。
静かにその翼を羽ばたき、そのコウモリは上空に飛び上がった。
「落ちたら斬れ」
「ちょ」
鬼姫は上昇するコウモリに狙いをつけ、放った!
放たれた矢が飛んで行き、暗闇に消え、ぱすっという当たった音がした。
「きゃぱ!」
コウモリは羽を丸めてドスンと馬車道の上に落ちた!
二人、走る!
鬼姫は横に回り、二矢、三矢を次々に放つ。
抜刀したスタンフォードが両手剣を斬りつけようとしたところ、しゃりんと抜かれたサーベルで撥ね上げられた!
三矢を受けて立ち上がったのは、あの夜、確かに鬼姫を襲ったあの男だった。
驚くことに口元に斬り付けられた鬼姫の短刀の傷は、もうほとんど治っている。首に矢が突き刺さっているのに、男は声を上げた。
「スタンフォード、主である私に剣を向けるか」
体に矢を三本受けても不敵に笑う男、アターリア領主カルハード伯爵であった。
伯爵はなんと胴、背に刺さった矢もそのままに、首の矢を握って自分の体から引き抜いて投げ捨てた。
矢の傷口はすぐに血は止まり、ふさがってゆく。恐るべき回復力である。
「コウモリに化けて娘の血を吸うあなたは、もう私の主ではない!」
さらに二撃を叩き込もうとする両手剣のスタンフォードの剣を、難なく片手のサーベルで打ち払う。
鬼姫は、不死も最強というのも嘘ではないと思った。
矢は胴、胸、首の急所を貫いていたのだ。出血もしていた。なのにダメージがあるようには見えないのだ。
カルハードの剣は重くはない。だが速い。スタンフォードは鬼姫から見てもなかなかの腕なのだが、両手剣が片手剣のサーベルに押されている。単純に先手が速かった。
鬼姫は四矢を放ったが、カルハードが片手で作り出した暗闇に吸い込まれる。
「魔法かの!」
弓を捨てる。
「あの時の女か。矢はもう終わりか?」
スタンフォードの剣をさばきながらにやりと笑うカルハード。
「あんまり効いてないようじゃの」
強力な一撃でスタンフォードを後方に跳ね飛ばしたカルハードは、手に作り出した闇の塊を鬼姫に放った。
それを鬼姫は手の甲にも描かれた環呪阻印で片手で払って上空に撥ね飛ばす。
「魔法防御! お前何者……」
「うぉりゃあああああ!」
鬼姫の五尺の金棒が振り下ろされた!
「うわっ!」
これにはたまらずカルハードが避けた。
「なんだそっげふっ!」
地面に叩きつけられるかに見えた重い金棒は瞬時に逆袈裟に振り上げられ、二打目は避けられない。足が浮くほど叩き上げられた時にはもう三打目が振り下ろされている!
乱打、乱打、乱打!
その狂気じみた物凄い打撃の重さにカルハードは膝をついた。でたらめに何度も振りかぶって叩きつけてくる滅多打ち! 反撃している隙がない!
あまりの打撃にそれを防ごうとしたサーベルがひん曲がり、カルハードの腕が折れた! 転がり、膝を上げるが今度は膝を打たれ砕かれる。
回復がとても間に合わず、防御に使える部位がどんどん無くなってゆく。相手に反撃を一切許さぬ一方的な慈悲無き暴力で圧倒する、日本の妖怪たちと闘ってきた鬼姫の鬼たる本性がむき出しになっていた。
不死の敵。
先に闘った魔法生物のサラマンダー。それと闘った経験がある鬼姫は不死の敵には、急所攻撃は意味が無い、完全に沈黙するまで攻撃を加え続けるしか倒す方法は無いと見たのである。
「ちょ、ぐえっ、ま、がはっ、す、ストッごっ」
「スタン! はよう斬れ!」
息継ぐ暇もない凄いスピードで連打される殴打にもうしゃがみこんでかろうじて砕け血を吹く腕で防ぐしかないカルハード。そこに突っ込んできたスタンフォードの剣が突き立てられた。
顔面、額にスタンフォードの剣が貫通し、後頭部に刃が飛び出した。
鬼姫の乱打が止まった。
カルハードは額を貫通したその刃を握りしめ、にやりと笑い、立とうとする。全身から黒い靄が上がり折れた腕に集中し……。
「私は不死……」
ずぱん。
スタンフォードが握る両手剣の先に生首を突き刺したまま、カルハードの首なし死体が落ちる。
その後ろには、三尺二寸五分の大太刀、鬼切丸を横一文字に振り抜いた鬼姫がいた。
次回「55.吸血鬼 下」




