53.吸血鬼 上 ※
翌日、鬼姫は朝食を取りながら宿のおかみにたらたらと文句を言われ、窓の修理費を請求された。今日にも大工が来るから言われた金を払ってくれとのことだった。あんまり覚えてないが火を吹いて曲者をぶっ飛ばしたということは間違いなさそうなので、鬼姫はしぶしぶと了解する。
「なんでうちがまどす羽目になるのかのう……」
とにかくそれが終わるまでこの宿に泊まることになり、三日分を前払いさせられた。
そんなやり取りをしていると、朝から宿屋に衛兵が訪ねてきた。
「アターリアの衛兵隊長、ブロー・スタンフォードだ。昨日の話を詳しく聞きたい」
けっこう大きな市なのに、その治安を担うトップの衛兵隊長が直々に出てくるとは、昨日の事件そんな大事なのかと鬼姫のほうがびっくりだ。
屈強で真面目そうな、中年働き盛りという感じの男で、実直さがにじみ出ている。鬼姫でも好感が持てるタイプである。
「おばちゃん、こちらの方にも茶を出してくれぬかの?」
「ツケとくよ」
「頼むのじゃ」
「おかまいなく」
衛兵隊長のスタンフォードは軽く手を振るが、おかみはカップを新しく用意する。
「昨夜の騒ぎは聞いた。夜這いをかけてきた不審者を追い払ったと」
「そうなるのう。少々寝ぼけておって記憶は定かでないのじゃが」
「実はこの市では似たような事件が多発している。いずれも若い娘が寝室に侵入した者に襲われ、血を吸われるという事件が」
「血を吸われる?」
妖怪の仕業かと思った鬼姫だったが、いくら考えてもそういう妖怪に心当たりはなかった。意外なようだが、血を吸う妖怪というのは日本にはほとんどなく鬼姫も聞いたことが無い。
もちろん例外はあるものだが、「人を食らう」もっと恐ろしい妖怪がいくらでもいる中で、わざわざ血を吸うだけという存在は知られなかったということになるだろうか。日本には血吸い蝙蝠のような血を吸う野生動物がいなかったということもある。
「蚊の化け物かの」
「そんな手でつぶせるような者じゃない。実在する魔族だよ。ヴァンパイアという」
「ばんぱいあ?」
「ヴァンパイア知らないか? 吸血鬼だ。姿は人間で、アンデッド……。不死の魔族だ。人間の血を吸って永遠の命を繋いでいる、魔族の中でも最強種だね」
「襲われた娘さんはどうなっておるの?」
「大量失血で三人死亡。一人意識不明。君で五人目となる」
「許せんのう。そやけどなんでそいつに襲われたとわかるんじゃ?」
「こう……首筋に牙の歯形がついて血が垂れた跡がある。ヴァンパイアに襲われた娘の共通の特徴だ」
「なんでそいつ娘しか襲わんのじゃ?」
「処女の血しか飲まんらしい。非常に非常に誠に申し訳なく大変失礼な質問なのは承知しているが、君、処女か?」
ぶっ。
さすがに鬼姫は手にしていた紅茶を吹きかけた。
「ごほっ、ぐっ。……まあそうじゃがの。大きなお世話じゃ」
番になれるような鬼族がすでに絶滅した最後の生き残りが鬼姫だ。経験があるわけなかった。
「誠に失礼した」
衛兵隊長はこんなくだらない質問に本当、申し訳なさそうに頭を下げる。
「……なんでうちが襲われたのかのう? そううまそうにも見えんじゃろうちは」
「いやそんなことは……。失礼。その、今、この吸血鬼騒ぎで、町中の乙女が窓にニンニクをぶら下げて吸血鬼対策をしているのでな」
「なんでニンニクなんじゃ」
「吸血鬼はニンニクが嫌いらしい」
「その魔物ほんまに強いのかの?」
ニンニク程度で獲物をあきらめるなど、なんだか話が怪しすぎる。
「宿屋ならそんなことはしてないから、狙われたのかもしれないな……」
「そういえばこの宿、窓になんもなかったの」
がしゃん。宿屋のおかみがティーカップを衛兵隊長の前に置く。
「乙女のハンターが宿に泊まるなんて、そんなこと準備しておくわけないじゃないの。いかつい男ばっかりだよ、この宿に来るのは!」
……まあ、おかみの言うことももっともだ。鬼姫のような客が泊まるなんていくらなんでも想定外すぎるのも無理はない。
「で、隊長殿はどうしたいんかの?」
「部屋で状況をよく説明してほしい」
「食い終わってからでよいかの?」
「ごゆっくり」
そうは言われても、鬼姫は手早く朝食をかき込んだ。
「寝てたら、覆いかぶさってきたので、ナイフで振り払った。男は窓を壊して飛び出していったと」
「まあそうじゃ。あんまり覚えておらん」
隊長は細かく壊れた窓を調べている。
「……焦げ跡があるのは何でだろうな。その、えーと」
「鬼姫じゃ」
「オニヒメさん、魔法使いなのか?」
「そうではないが、まあ火ぐらいは出したかもしれんのう」
「危うく火事になるところだった。使いどころは考えてくれ」
「かんにんや」
「ナイフ見せてくれ」
鬼姫は短刀を出して渡した。
「……なんだこれ! えええええ……。これどうやって作った? 鍛造だよな? 焼きの入り方が凄い! えーえーえー……。なんでこんなことができる? こんなナイフ初めて見た! ちょ、焼き分けてある。何層なんだこれ。地金の冴えが凄い。これ本当に人間が作ったものか? ありえねえ」
「話が変わっておるの」
「これ俺に売ってくれないか? 金貨百……二百枚出す!」
短刀を気持ち悪いほど目を凝らして嘗め回すように見る隊長。こういうものに目が無いらしい。
古刀である鬼姫の剣はどれも四方詰めではなく無垢である。刃は焼き入れだけで作られていた。
異なる複数の鉄を組み合わせた四方詰めは日本刀最高の技術のように思われているが、実際には古鉄の製法が失われ「折れず曲がらずよく切れる」強靭さが再現できなくなり、やむなく江戸前期に考え出された新刀技術である。
平安から安土桃山までの古刀が江戸以降の四方詰めより強度や切れ味で劣っていたら、現代まで残っていなかったはずだ。古刀は当時の刀鍛冶が見ても研究が進んだ現代においても、いったいどんなハガネを使ったらこんなものができるのか全く分からなかった、さながら異世界の刀なのだ。
「素が出ておるぞ隊長。話を戻してほしいのじゃ」
「あ、すまん……。で、窓から飛び出していったと」
「男だったのう。歳の頃は三十前後かと思うがちとわからへん」
「男だよな……。犯人が女なわけがない」
「飛んで逃げたのう」
「空飛べる……。ああ、コウモリに変身できるという伝説はある」
「後で見たら小刀に血が付いておった。つまり刃物で切れるし血も流れる。そいつ本当に不死なのかの?」
「何百年も悪さを続けたヴァンパイアの記録もある。夜しか活動しない。昼は寝ているから、昼間のうちに心臓に杭を打ち込んで退治するとかな」
「心臓に杭を打ち込まれたら不死でなくても死ぬと思うがの」
心臓に杭を打ち込まれそうになっても寝ている魔物がいるとしたら相当に間抜けである。
「銀の矢を撃ち込むという手もある」
「それやられたら誰でもただではすまんじゃろ」
「聖水に弱い。女神レミテス様のイコンを恐れる」
「よわよわじゃの」
「日の光に当たると灰になるという情報もある」
「弱点が多すぎるわ。そいつほんまに強いのかの?」
設定が細かすぎると鬼姫は思う。そんな妖怪日本でも聞いたことが無い。
「斬られても平気なんだよ。不死だから。魔法にも長けていて、力も強いし人間がまともに戦って勝てる相手じゃないね」
「血がついておったのだから、うちの短刀で切れたことにはならんかの?」
「……このナイフが特別ってことは無いよな?」
「料理にも使っておるが」
「……もったいない。金貨三百枚で売らないか?」
「ええかげんあきらめるのじゃ」
「いや、普通のナイフだったら、金貨三百枚でも売らないって言うほうがもうおかしいだろ! 絶対特別ななにかだろこれ!」
「ひつこいのう。もう返すのじゃ!」
しぶしぶ隊長は鬼姫に短刀を返してくれた。いくら日常使いで替えが利くとはいっても、異世界に持ち込めた数少ない日本の忘れ形見。いくら金を積まれても鬼姫は売る気はなかった。急にもったいなくなってきて、落ち着いたらいまさらながら普通に日常使いのナイフを武器屋で買っておこうと思う。
「見分ける方法はあるのかの?」
「ああ、ヴァンパイアは鏡には映らないと言われている」
「夜にしか出ないのでは確かめようがないの」
「そうなんだよ……。町中鏡だらけにして、映らなかった奴がいたら通報してもらうって手が使えない」
妙な作戦もあるものである。
「それ、ハンターギルドで討伐依頼でておるかのう?」
「出てないんだ。領主が『そんなものいるわけがない』って信じてくれない。そんなものに金を出してくれる奇特な雇い主もいないし、衛兵団も動かせなくて困っている」
「なんでおぬしが困るんじゃ。放っておいてよいのなら楽でええではないかの」
「被害者の一人は俺の娘だ」
隊長の目が本気になる。
なるほど。直々に事情を聴きに来るわけである。
「……ハンターカード見せてくれ」
「ほれ」
どうせそうなると思って用意しておいたものを袖から出して見せる。
「…………手を貸してくれるか」
「うけたまわったの」
次回「54.吸血鬼 中」




