52.夜這い
三日後、やっと東門が開けられた。
なぜかスライムは、駆けつけた討伐隊が全て駆除したことになっていて、さすがはトップクラスのベテランハンター。きっちり仕事をしてくれたと町では評判である。高い金をとったのはもちろんであるが、王都につながる主要街道は流通の要。そこはスポンサーである町も商人ギルドも気前よく払ったに違いない。
どのみち通れるようになったなら鬼姫には何の不満も無い。知らん顔して町を出てゆく。
街で待機させられていた商人たちや、街の外で作物を運搬する農民たちも一斉に動き出し、今日の街道は一段と賑やかであった。
スライムの燃え跡を衛兵隊やハンターギルドの連中がまだ現場検証している。野次馬も多かった。
「……スライムって燃えるのか?」
「このスライムは脂を貯めこんでて燃えやすい種なのかもしれないな」
「あいつら、スライム燃やしたなんて話してなかったよな。ホントにあいつらが倒したのかこれ?」
現場を調べている役人たちがそんなことを話しているが、いまさらそんな面倒事、鬼姫はかかわりたくも無い。とっとと先を行く。
次にたどり着いた市はアターリア。古い城壁に囲まれた比較的大きな市である。
夕暮れ、旅慣れてきた鬼姫は特に案内を頼むことも無く、普通に宿屋街にたどり着いてまずは一泊。
湯屋があったので喜んで身を清め、ゆったりと湯につかり旅の疲れを落とした。
温まった体で宿の二階に戻り、ベッドにぐっすりと眠りこけた深夜……。
ばさばさばさっ。窓に蝙蝠が取り付いた。
カタカタと窓の鍵をこじ開けて、窓枠に逆さに留まり、月にシルエットが照らされる。その姿は大きな黒いマントに変わり、ふわりと男が窓枠から鬼姫が眠る寝室に侵入した。
「ふふっ……。おとめのかほり……。ひさしぶりの……、きよらかなにほひ……」
訳の分からないことをつぶやきながら寝台に近づく。
ちょっと寝相悪く寝間着の胸もはだけそうにだらしなく寝こける鬼姫。
その鬼姫に男が覆いかぶさろうとしたその時!
しゅんっ!
鬼姫の手に逆手に握られた短刀が振り抜かれた!
「うわっと!」
それを寸前でかわす男。
いや、かわせていない。口元が斬られて血が出ている。
「な……、なんだこいつ!」
何か物凄い気が膨れ上がっている。
「いかん!」
男は慌てて窓から飛び出した。
そのとたん、猛烈な炎の塊が追ってきた。
「うわっ!」
窓は粉々に砕け、飛び散り、炎は男に直撃しそうになったが、寸前で男はコウモリに身を変え、それをかわした。
「……危なかった。なんなんだあの女……」
コウモリはそのまま夜空を飛び去った。
もちろんこれは大騒ぎになった。
窓が壊れ吹き飛んでいる。鬼姫は寝こけている。
窓枠はくすぶり、ちょっと焦げ臭く、そのただならぬ物音に部屋に踏み込んだ宿屋の女主人、使用人が驚いた。
すぐに衛兵が呼ばれ、あたり一帯は騒ぎになり、泊まっていたハンターの宿泊客も起きてきて武器を携え踏み込んできて、だがそれでも鬼姫は寝こけていた。
「ちょっとアンタ! おきておくれよ! いったい何があったのさ!」
鬼姫は寝ぼけまなこで寝台から起き上がり、「んーどうしたんじゃ?」と目をこする。
「いや物凄い音したからな? 窓吹っ飛んでるし、あんたなにした?」
「寝ておったが」
「そうはならんだろ……」
ハンターもあきれているうちに衛兵も駆けつける。
「ちょ、あんた。胸見えそう」
宿屋の女主人が毛布をかぶせる。ようやく鬼姫も目が覚めたか、ふわわとあくびしてから身を整えた。
「なにがあった?」
甲冑姿で武装した衛兵も踏み込んできて、狭い宿屋の部屋で鬼姫のベッドを十人近い男女が取り囲んでいるという状況である。
「んー夢じゃなかったのかの。寝てたら男が夜這いに来よったのでぶっとばしたの」
「夜這いって……」
衛兵があきれた。
「ん? 血が付いとるの」
鬼姫は取り出した短刀を見て驚いている。
「そのナイフは?」
「うちのじゃ。護身に枕の下にいつも敷いておる。さよか……覆いかぶさってきた気配がしたので振り抜いた覚えがあるの」
「凄い女だな……。ちょっと見せてもらおう。君、怪我は無いか?」
鬼姫はベッドから降り、血の付いた短刀を衛兵に渡してからみんなに背を向けて寝間着をほどいて自分の体を見る。
「怪我はしておらぬ」
すぐに寝間着を結び直す。
「だとするとこれは犯人の血ってことになるか……。すまん、おかみ、この娘の体を調べて切り傷が無いか見てくれ。男どもは部屋から出ろ」
衛兵一人残して男たちが出てゆく。
衛兵は壁に向かってこちらに背を向け立つ。見てないよという意思表示だ。
「悪いね」
「いやいや。お手間じゃの」
おかみはテーブル上の燭台のろうそくに手燭から火を移して点灯し、寝間着をほどいた鬼姫の体を見る。
「きれいなもんさね。この娘さんの血じゃないよ」
鬼姫はこれまで多くの妖怪討伐をしてきて、傷ついたり、怪我をしたりしたことは数えきれないほどある。だが、そんな傷も時間はかかるが、なぜか跡形も無く治ってしまう。さすがに手足が生えてくるなんてことは無いとは思っているが、自分はやっぱり人ではなく鬼子なんだと思う理由だったりする。
今付いたばかりの新しい血。鬼姫の体にどこにも自分で切った跡が無いならこれは犯人の血で間違いないし、夜這いを騙った自演でもない。鬼姫は礼を言って寝間着をまとった。
「もう振り向いていいかな?」
「どうぞ」
衛兵は振り向いて壁から離れた。
「君、なにかやってた?」
「うちはハンターじゃ」
「……ほう。寝込みを襲われて反撃か。ハンターなら納得も行く。ハンターカード見せてくれ」
「ちと待ってほしいのじゃ」
部屋に置いたつづらを開け、巾着袋からハンターカードを取り出してそれを渡す。
オーガ、マンティコラ、マーマン、魔女、三級強盗団確保、ゾンビ、スフィンクス、アラクネ、サイクロプス・、雷鳥、サラマンダー・……。
書いていない物も多いが、鬼姫のカードの裏書きはとんでもないことになっていた。
「……おおお」
衛兵から感嘆の声が上がる。
「す、すごいね君。これ本当?」
「信じる信じないはそっちの勝手じゃがの」
「とにかく報告しなきゃならん。明日衛兵所に出頭してくれるかな?」
「わかったのじゃ。それ返してもろてよいかのう」
返してもらった少し血の付いた短刀を、鬼姫は懐紙で拭きとる。
「もう寝てよいかのう」
「……窓壊れてるけど?」
「もう来んじゃろ」
「どうやら最近街を騒がせている吸血鬼の仕業らしい。俺たちで朝まで周囲をパトロールするよ。ごゆっくり」
眠そうに鬼姫はまたベッドにもぐりこんだ。
衛兵はあきれたように肩をすくめ、部屋から出てゆく。
まだ廊下で固まっている男たちに「さあ、散った散った!」と声をかけ追い払った。
「ちょっとアンタ! 窓! 窓壊した弁償、誰に言えばいいのさ!」
そんなおかみの金切り声も、階段の下に消えていった。
次回「53.吸血鬼 上」




