51.ぬっぺっぽう 下
翌日、待ち合わせの時間に西門で待つ。
「来たぜ。って弓どうしたオニヒメさんよ」
「隠しておる」
「隠しようが無いだろ……」
馬に乗ってドナルドがやってきた。鬼姫は変わらずの巫女装束、その軽装にあきれる。ドナルドは武器屋らしく軽装ながらも素早く動けそうな防具をそれなりに装備している。
「その格好でスライムと闘うのか? 武器屋としてはいただけないな」
「ずっとこれでやってきたの。不都合はなかったがの」
「なんとも武器屋泣かせの客だねえ……。ほれ、注文の品だ」
馬を降りて矢を十本、渡してくれた。鬼姫が渡した矢の先端に、刻み割りして矢尻の形になっている黒曜石が付いたもの。研いでなくて、あえて割っただけだがきわめて鋭利である。
三本は矢尻に布が巻いてあった。注文通りだ。
「俺も作ってみて驚いた。試しに肉を斬ったりしてみたが、ハガネの刃より薄くて切れるんだよ。やってみないとわからんことってあるんだな……」
実際、ガラスの手術用メスというのは現代にある。鋼よりも刃先がほとんど単分子に近い鋭さがあると言われていて、眼球、皮膚移植、細胞医学実験など精密さが要求されるオペで使われている事例がある。
普通の刃物など刺さらないスライムの外皮を、あるいは突き破れるかもしれなかった。
「器用じゃのう! ほれぼれするわの!」
その黒曜石の矢尻を見て喜ぶ鬼姫。腰の矢筒にそれを入れた。
「職人に器用は無いだろ……。あと一応槍な」
一本銀貨五枚の槍。長さ七尺。
「どうせほかすことになるのじゃ。それでよい。おぬしのそれはなんじゃ?」
「試しに一本作ってみた。俺専用」
黒曜石の槍である。
「さすが武器職人。そつがないのう」
「……人間がまだ穴ぐらで暮らしていた頃の武器を再現することになるとは思わなかった。黒曜石の置物が石材屋にあったんで買ってきて割って作った」
「石屋が泣くわの。徹夜したじゃろ。おぬし眠かったら明日でもええぞ」
「気にすんな。準備いいか?」
「参るのじゃ」
「よし!」
今は西口しか開いてない。西口から出て町を大きく回り込んで東門の街道に進む。
ドナルドはカポカポと馬を速足で歩かせるが、鬼姫は苦も無く走ってついてくる。
「オニヒメ足はやっ!」
これには驚いた。前日の作戦会議で鬼姫の馬はどうしようかという相談は当然したのだが、鬼姫は「うちはこっちの馬にまだ慣れておらん。徒歩でええ」と頑固だった。
途中で馬を休ませ、川で水を飲ませ、橋を渡り、いよいよスライムの巣の領域に踏み込む。
「……あれだ。見えるか?」
「おー……」
鬼姫は手のひらを額に当て、興味深げに街道の上をうねうねする三十体を超えるスライムの群れを見た。距離一町半。
「ぶよぶよじゃのう……。人肌っぽいのがまた気持ち悪いわの」
「普通のスライムは透明で水玉みたいなんだがな。亜種にしてもめずらしい」
ドナルドは遠眼鏡でスライムの群れを観察する。
それは鬼姫が知っていたぬっぺっぽうとはだいぶ違っていた。
ぬっぺふほふとも言う。怪談に登場する貉が化けたのっぺらぼうは一見服を着た人で、振り返れば目鼻、口が無い顔をしていることで有名だが、ぬっぺっぽうは人肌色のぶよぶよの肉の塊で別の妖怪である。まさにあのスライムに手足が生えて立っていたら鬼姫の知っているぬっぺっぽうそのものだった。
ただそこにいるだけで人に害成す妖怪ではないとされたり、あるいは死体を食うと言われたりしているが、鬼姫はぬっぺっぽうは話に聞いたことがあるだけでその正体は不明である。
「刃は通らねえ。剣は溶かされてすぐなまくらになる。魔法はほとんど通じねえ。透明じゃないから弱点のコアがどこにあるのかもわからねえ。いったいどうしたらいいもんかと……おい! その弓どこから出した!」
鬼姫は七尺五寸の弓胎弓に弦をかけていた。
「おいおいおいおい、150ナートル以上あるぞ! 当たんのか!?」
「当たるじゃろ。あないにぎょうさんおるんやからの」
「いや、ちょ……。弓でかすぎ。っていうか持ち方ヘン!」
長すぎる弓も、下三分の一を握る構えも、もうこの世界で散々驚かれた。いまさらである。
「静かにの」
「……」
きれいな構えから、黒曜石の矢をつがえてやや上に向けて初矢。
バシュッ。
矢は弧を描いて飛んで行く。それを慌てて遠眼鏡で追うドナルド。
「当たった! おい当たったぞ!」
矢が突き刺さって暴れるスライム。距離がありすぎてこちらにはまだ気づいていないようだ。
「ちと遠くに飛んだのう。もう少し手前かの」
二矢、三矢。
次々に射抜かれて暴れるスライムたち。体液を振りまいている。
「黒曜石の矢、すげえな……。なによりこの距離を当てる腕がすげえ」
もう遠眼鏡から目が離せないドナルド。ぼうっという発火の音に鬼姫を見た。
「おいっそれいつ火付けた!」
矢先が燃えている。火矢である。
昨日ドナルドに作ってもらった、黒曜石の矢に松脂と油をしみこませた布を巻いた火矢だ。遠眼鏡に夢中のドナルドは鬼姫が口から火を吹いているところは見逃したらしい。
バシュッ。
煙を引きながら、火矢はスライムの群れめがけて飛んで行く。
ぼうっ。
火の手が上がった!
その火はたちまち燃え広がり、スライムの群れは火に包まれる。
暴れ、転がり、逃げ出しても炎にまとわりつかれ、次々に弾け飛ぶスライムたち。その地獄のような光景を茫然と眺めるドナルド。
「……なんでスライムが燃えるんだ? そんな火に弱いスライム聞いたことねえ」
「ぬっぺっぽうがぶよぶよしとるのは脂を貯めとるからじゃ。躯の脂を吸うという話もある。刃がなまくらになるのもそのせいか思うての」
「火魔法ぶつけても平気だって聞いたぞあいつら」
「皮が丈夫なんじゃろ。斬り込んで脂まみれにすれば火も着くということになるかのう。でもこないに燃えると思わんかった。山火事にならんきゃよいがの」
「うわっそっちのほうが心配!」
「一応燃え尽きるまで見守るとするかのう……」
鬼姫は自分でも気が付いていないが、鬼姫の吹く炎はなんの念がかかっているのか知らないが生き物の脂にも反応してよく燃える妙なところがある。まさに鬼火と言ってもいいだろうか。魔物相手のとっておきの隠し技であった。
幸いスライムたちがたむろしていたのは街道の上と、路肩の湿地帯。脂スライムと言えども湿地帯を好む性質は変わらないらしい。
燃え広がることは無く、半分は火を逃れ逃げ出したと見える。
「……弓どうした?」
「おぬし少しひつこいの」
武器屋としては鬼姫の使った弓をもっとよく見せてほしいところだったが、とっくに弓を仕舞って、あとは知らん顔の鬼姫であった。
スライムの燃えカスにお清めの祝詞を捧げ、街道の木に解虎狼厄の霊符を貼りながら、町に戻るためにてくてくと歩く鬼姫と、その横を馬をぽくぽくと歩かせるドナルド。
「それなんだ?」
「魔物除けのまじないじゃ」
「オニヒメって何者なの? 教会のシスターってわけでもないし」
橋を渡ると、前から土煙を上げて重装備の騎馬隊が駆けてきた。
道端に寄り、騎馬隊に道を譲る鬼姫とドナルド。
二十人近い、高価そうな鎧をまとい凄そうな剣や槍を持った屈強な男たちの一団である。通り過ぎるその騎馬隊の一人が馬を止め、鬼姫たちに問いかけた。
「おいっ! この先にスライムがいなかったか?!」
ドナルドが何か言おうとしたのをそっと制して、鬼姫は答えた。
「おったぞ。危なそうなんで引き返してきたのじゃ」
「賢明な判断だ。あとは俺たちに任せておけ!」
手綱を鳴らして、その男は馬を走らせ騎兵隊を追ってゆく。
「おーい! スライムは近いぞ!」
「……あいつら、ハンターギルドが呼んだ討伐隊だな」
「だろうのう」
「なんで何にも言わないんだ。あいつらに手柄盗られてもいいのか?」
「あっそうじゃの! 矢を作ってくれたどなるど殿の手柄でもあるのう! すまんことしたのじゃ!」
鬼姫にしてみれば、東へ向かうために通れるようになればいい話である。そこまで考えていなかった。ぬっぺっぽう、こちらで言うスライムを倒して、自慢になる話とも思えなかったし、追い払えればそれでいい。それが裏書きに追加されて、またスライムを全滅させるまでこの仕事を引き続きやらされることになったらそっちのほうが面倒そうだったのだ。
「いや、いいけどさ……。あの討伐隊、どうせスライムでも溶けないミスリルの剣や槍で滅多切りするだけだし、俺の矢が役に立ったなんて言い出せないって」
そのへんの事情はこの武器屋の主人も同じらしかった。
「わびしいのう」
「ほっとけ」
二人、笑う。
「矢と槍の代金はなんぼじゃ?」
「この槍結局使わなかったし、返してくれればいいよ」
「申し訳ない。礼を言うのじゃ」
「矢もタダでいい。オニヒメの矢に黒曜石付けただけだし」
「いや、ちゃんとした職人仕事にはちゃんと礼金を払わねばの」
日本で縄文時代は一万年も続いていて、黒曜石の矢尻、刃物は全国で発掘される。だが黒曜石が産出される地域は限られていたのだ。成分が分析され、この時代にはもう人の往来があり、物資の流通があったという証拠になっている。
どこにも転がっているわけでもない貴重な黒曜石、それを入手して、一晩でそれを加工し、矢尻にし、自分の槍まで作った。とんでもない手間だっただろうし、凝ったものを作る職人気質、称賛されて当然だと鬼姫は思う。
だがドナルドはかぶりをふってそれを断る。
「こんな遺跡から発掘されたみたいな古代人の武器、いまさら作ってみたからって、そんなので金取るわけにいかないって。武器屋ってそういうもんなの」
「面倒くさいのう」
「またあのスライムが出たときの対抗策がわかった。武器屋としてはそっちのほうがはるかにでかい収穫なんだ。礼を言いたいのはこっちのほうだね」
思わぬ職人の矜持に触れたような気がした鬼姫であった。
「悪いと思うなら昼飯でも奢ってくれよ」
「ほんならええの!」
二人、大笑いして、街に戻っていくのだった。
次回「52.夜這い」




