50.ぬっぺっぽう 上 ※
町から町へ歩いている間は考える時間が沢山ある。
何も考えてないように見えて、鬼姫だって考えることはちゃんとある。
鬼姫は祝詞を唱えたり、こちらで見た魔法を陰陽道で似たことをやれないか試したり、術を編んだりもするが、やはり一番に考えるのはこれからの事である。
国境を越えなければならない。それはたぶんハンターカードを使えばよい。
それになにより、自分がこの世界に来た理由、自分にかかっているという封印のことが思われる。
「……うちには封印がかかっておる。それは死ぬ前に、紅葉神社でかけられた岩戸の術じゃ」
この世界の聖女が驚くような、強力な封印である。聖書に出てくる勇者が魔王を封印するような術だと言う。
「うちが死なないように死ぬ前に封印を施した……。何百年も経つほど祠に封じられておった。その封印が解けたら、おそらくうちは死ぬ」
そんな凄い術が、紅葉神社みたいな小さな神社の宮司ができるとも思えない。なにかもっと大きな力が働いたとしか考えられない。
「……岩戸の術は天照大神様がお隠れになったとき、自らにかけた封印術じゃ。大神様が最後の鬼のうちを憐れんで、死なすには忍びなく生きながらえさせてくれたと思うほうがええのかのう……」
問題は、封じ込まれている物が何であるかだ。
鬼の自分の命をも奪いかねない、何か。
「……最後に闘った妖怪は、なんだったかのう???」
そこがどうしても思い出せない。それが自分の死因かもしれないのに。
いっそ封印を解いてしまえばそれがわかるかもしれない。
だがこの世界の術では封印を解く手段はない。神父はできないと言っていたし、やろうとした神官はぶっ倒れてしまった。
「……魔王にかけるような封印だと言うておったな」
女神レミテス教の聖書をぱらぱらとめくってみる。辞書を引きながらなので時間がかかる。
「魔王はおよそ百年に一度ぐらいで、自力で封印を解いて現れる……勇者がかけた封印を。封印、意外ともろいのう」
さらに読み進む。
「ということは、魔王は封印を解くのを得手としておる?」
そこまで思いついた。
「何度も封印をかけられたのじゃ。もううんざりするほど解いておるに違いないわ」
そう考えるとなんだか可笑しくなってきた。
「魔王、会ってみたいのう! 魔王、どこに住んでおるのじゃ?」
聖書は古く辞書に載っていない言語も多くて難解だ。すぐには鬼姫にはわからない。
「うちより強くて、いい男だといいのだがのう……!」
にやにやしてしまう鬼姫。どうも鬼姫は、自分より弱い男には全く興味がないらしい。それが鬼と言うものである。仕方なかった。
次に泊まろうとした町では、ちょっとした騒ぎになっていた。
宿屋の主人によると、東門が封鎖されているとのことである。
「どういうことかのう……」
こういう場合はその町のハンターギルドに聞きに行くのが一番いい。
鬼姫はギルドの扉をくぐり、カウンター越しに職員に聞いてみた。
「たのもう。東門が通行できぬというのは、なんぞあるのかの?」
カウンター越しに職員たちが一斉に鬼姫を見る。
「……今来たハンターか?」
「そうじゃ」
「街道にスライムが大発生してるんだ。それでだよ」
「すらいむってなんじゃ?」
……これにはさすがにギルド職員たちが全員、あきれてしまった。
「スライム知らないのか? 別に珍しい魔物じゃないだろ」
「見たことないのう」
「なんで知らないんだよ。ハンターだったら誰でも一番最初に狩る獲物だろ!」
「うちはハンターになって日が浅いのでの」
職員たちがみんながっかりした。
職員と言っても元ハンターっぽい、荒っぽそうな男たちばかり。荒くれ男たちを相手にするのだから、まあこういうハンターギルドもある。
「だったらひよっこは引っ込んでろ。今あちこちに連絡して経験豊富なハンター集めているところだ!」
それっきり全く相手になってくれそうもない。ハンターカードを出しても、見てもくれないのだ。仕方なしと鬼姫は退散した。
まあしかし、東に行けずにここで足止めなのは困る。鬼姫は考えた上で、その町の武器屋を訪ねてみた。
「たのもう。すらいむによう効く武器はあらへんかのう?」
客として相談に乗ってもらおうという作戦である。
「そんなもんあったらこっちが教えてほしいね。姉ちゃんハンターか」
武器屋の店主は屈強で頑固な職人気質らしかった。
「そうじゃ」
「ハンターカード見せろ」
「あんまり見せとうないのじゃがのう」
「一般の市民は武器は買えない。ハンターが武器を買うにはハンターのライセンスが必要だ。見せてくれないならなにも売れんね」
仕方ない。鬼姫はここでも巾着からハンターカードを出して見せた。
それの裏書きを見て店主が驚愕する。
「……すまん。見誤った。お詫びさせてくれ」
男は素直に頭を下げた。
「ハンターギルドでも相手にしてくれへんのでの」
「……まあわかる。姉ちゃんみたいな別嬪さんが来れば役立たずだと思っても仕方ない。男ってのはそういうもんでね。あ、いや、俺も同じか。悪かった」
武器屋店主はバツが悪そうに頭を掻く。
「すらいむちゅうのはどういう魔物なんじゃ?」
「ハンターやっててスライムに会ったことが無いってのは珍しいな。こう、肉がぐにょぐにょ丸くなってて、転がって、いろいろ形を変える。人間の姿に擬態することもある。なんでもその体に取り込んで溶かしちまう。1ナートルから3ナートルぐらいの……まあ動く粘土みたいな玉だ」
「ふーむ……。ずんべらぼう……ぬっぺっぽうかの」
「なんだそれ」
「肉の塊でのっぺりした顔に手足が付いとる。人を脅かすだけで人に化けたりするのは身を守るためのただの威嚇じゃ。正体は貉だったりするし、こっちから手を出さねば害になる妖怪とちゃうんじゃがの」
店主は手をひらひらさせてかぶりを振る。
「いーや、スライムは人でも襲うね。なんでも取り込んで溶かすって言っただろ。人だって逃げ回っているうちに囲まれて溶かされて食われちまう。やつら体当たりしてくるし、なにか体液を噴出してくるからそれでやられることもある。そんなのが大発生してるんだから通行止めにもなるさ」
「なりたてのハンターが最初に狩る魔物だと聞いたがの?」
「スライムは亜種が多い。強いやつも弱いやつもいる。弱いやつは斬りつけたり突いたりしたらはじけて潰れるが、今大発生してるのは種類がまだわからんが刃物で切れないんだよ。刃が刺さらないし通っても溶かされる。えらく強靭でまだ誰も倒せないでいる。人は逃げ出して死人は出てないが、馬車の馬が何頭もやられた。商人も困ってるね」
「ふーむ……。刃が溶ける。酸かのう?」
鬼姫は考え込む。錆びた鉄を酢に浸けると錆が取れる。酢は酸であり、鉄をも溶かすことは鬼姫も知っている。
「あんた、なんとかなるか?」
「うちは東に行きたいのでの、なんとかせんと困るのはうちもおんなじじゃ。この店にある武器では太刀打ちできぬのであろうの」
「実はそうなんだよ……。それで困ってる」
「うちもぬっぺっぽうとは闘ったことがあらへんしのう」
「だからぬっぺっぽうってなんだよ……」
「ま、考えてみるのじゃ。青銅の武器はあるかのう」
「青銅も溶けるぜ? 真鍮も銅も鉛も溶かされちまう」
青銅は銅と錫、真鍮は銅と亜鉛の合金である。
青銅は低温度で溶け、硬く強度があるので古くから青銅器として、鉄より先に剣や鐘、鏡に使われて来た歴史がある。表面に緑色の緑青ができるとそれ以上は錆びないので、今でも銅像といえば青銅で作る。
いろんな神社に祀られている神話の時代からの剣や鏡、神具が青銅や真鍮で作られていたのでこれは鬼姫も知っていた。なにしろそれを磨いてピカピカにするのも鬼姫の雑用のうちだったから。
「ここで手に入る金属の武器はとっくにこの街のハンターがやってる。一流の名のあるハンターにはミスリルの剣を持ってるやつらもいるから、そいつを呼べないかって話になってるな」
「ミスリルってなんじゃ」
「知らないのかよ……。軽くて硬くて靭性が高い。酸にも解けないし、この世界じゃ最強の金属だね」
「金や白金は高すぎるし柔らかすぎるしのう。……硝子はどうじゃ?」
「ガラス?」
考え込んでいた店主は鬼姫の案に顔を上げる。
「古の武器には烏石を刃物にしておったこともあろう? まだハガネや青銅も無かったときはそれを武器にしておったはずじゃ」
烏石。黒いガラス質の鉱石で、今で言う黒曜石である。
「ガラスか! 思いつかなかった……。確かに食用酢はガラス瓶に入れとくよ。でもそれ叩きつければすぐ割れるだろ!」
「烏石を上手に割ると切れ味だけならハガネより切れるがの」
「要するに黒曜石だろ? そんな原始人の剣作ってもなあ……」
うーんと二人で考え込む。
「……姉ちゃんがやってみるなら、特別に作ってみてもいいが、そんなでっかい黒曜石採れないだろ」
「剣でなくても、矢尻で良い。矢柄は木じゃし、すぐには酸に溶けぬと思うが」
矢柄は矢の棒の部分である。和弓では矢柄は竹でも作るが、この世界では木材が使われていた。矢尻というと矢が弦に引っかかる最後端だと勘違いする人が多いが、そこは筈と呼ばれ、先端の部分は鏃とも書く。通常はハガネや金属、動物の角や骨といった硬い材質で作られていた。
先端なのに尻と書くようになったのは、単なる当て字とも、矢筒に入れたときに尻に当たるからとも言われている。
「矢尻か。矢尻ぐらいならまあ何とか。姉ちゃん弓も使えるのか」
「わりかし得手じゃ」
「わかった。石屋に相談してみるか。たしか黒曜石の工芸品もあった」
「作ってくれるのかの?」
「なんでも言ってくれ。俺だって町のために何とかしたいと思ってたんだから」
鬼姫はアスラルの矢職人に作ってもらった矢を十本、店主に渡して改造を頼んだ。
「あとどうせほかるんじゃから安物の槍があったらほしいのう」
武器を溶かすと聞くと、もう自分の剣や大薙刀を使う気がしないというもの。
「うちで一番安いとなるとこれだな。一本銀貨五枚だが」
白木の柄に鉄板を曲げて鋲打ちして止め、研いであるだけの槍である。マタギの使う袋山刀に似ていた。
「それでよいの。一本もらえるかの」
「ちょっと待て……」
武器屋の店主がその安い槍を凄い目で眺めている。
「姉ちゃん逃げ足には自信があるか? スライムは転がれば人間の速足ぐらいのスピードで追いかけてくるが」
「そやなら任せてや」
「人間の臭いを追ってくるぞ?」
「川を渡ればよい。東の先に橋はあるかの?」
「あるな……。小川と橋がある。いざとなりゃあ橋を渡らず川を横切ればいいか」
その後、地図を広げて二人でいろいろ作戦会議。
「おぬしもやるのかの!」
「俺も武器屋になる前はハンターやってた。町の危機なんだから手伝わせてくれ」
「どうなっても知らんの?」
「上等」
二人でニヤニヤ笑う。
「うちは鬼姫じゃ」
「俺はドナルドだ。さ、今日は宿でも取って、また明日だ」
次回「51.ぬっぺっぽう 下」




