49.火付け改め 下
「ぐっ!」
鬼姫は必死に覆いかぶさったサラマンダーを押し返し、撥ね上げようとするが強力な四肢と体重で押さえつけられる。鬼姫が力負けしていた。
押し倒して覆いかぶさるのは猛獣に共通する狩りの方法である。特にオス同士の戦いなど実力が拮抗している場合、本当の殺し合いはこの押し倒し、覆いかぶさってのマウントを取ってから噛みつき、食い破り、爪の斬り裂きで止めを刺しに来る。
いつも頭を潰せば勝ち、首を落とせば勝ちだった鬼姫には油断があった。頭を潰されても不死の敵などいなかったのである。痛恨のミスであった。
「はよう刺せええええ!」
「はっ!」
鬼姫まで串刺しにするわけにはいかない。トラントはサラマンダーの体の横から低く構えてザクザクとその身を何度も貫くが、サラマンダーの力は弱まらない。なぜかその体から血は出ないのだ。ダメージがあるのかわからなかった。
「こやつ生き物か!?」
頭が潰されているにもかかわらず、そのサラマンダーは大きく口を開く。
鬼姫に嚙みつこうとしているのだ。
「うりゃあああ!」
その口の中に、トラントは思い切り槍を突っ込んだ!
ぶぉわあああああ!
サラマンダーは全身火に包まれる!
「うわぁああちいいいいいいわ!!」
鬼姫の渾身の両足の蹴り上げがサラマンダーの体を弾き飛ばし、ついにサラマンダーは鬼姫の体から離れた。衣に火が着きそうになって、それを消すためにゴロゴロと石畳を転がる。
口の中に槍を突っ込まれたサラマンダー……。こちらもひっくり返って転がりまわり、火が消えて、うつぶせになって頭を落とし、やっと動かなくなった。
「お、オニヒメさん大丈夫か!?」
「はーはーはーはー……。大丈夫じゃ」
鬼姫はすぐそばにあった防火水槽から桶の水を汲んでざばあと被った。
「ホントに大丈夫!? 火傷してない? 一瞬炎に包まれていたけど」
金棒を拾って、身を改めて見て言う。
「……大丈夫じゃ。うちはやけどしたことがあらへんの」
「いやいくらなんでもそれは嘘でしょ」
「これ言うとみーんなウソや思うんじゃのう……」
嘘みたいな話だが、本当だった。どれぐらいの温度に耐えられるかなんてやってみたことはないから自慢したことなどさすがにないが、山姥の茹で窯ぐらいなら耐えられたわけである。
しかし焦げ跡と転がった埃と被った水で鬼姫の巫女装束はみっともなく汚くなってしまっていた。戦闘があると思っていたので古着のほうの装束だが、もう洗濯しても綺麗になりそうにない。また着替えに衣を縫わなければならないかとうんざりする。
「あかんっ! ほうておいたら火事になる! 」
鬼姫は防火水槽から桶で水を汲み、先ほどサラマンダーが吐いた炎がくすぶる屋敷の塀に水をかけた。
「おーい! 誰か来てくれー!」
トラントも水を汲みながらが叫んだので、衛兵団たちも駆けつけ、みんなであちこちの火に水をかけて消して回る。サラマンダーの死体は後回しで、結局見回りは朝まで及んだ。
「衛兵の長はどなたかの?」
「俺だ。サラマンダーがこんな市街地に本当に出るなんて驚きだよ。討伐ご苦労」
職務に真面目そうな衛兵長が出てきて笑顔になり、鬼姫の手を取って握手した。
今まで出会った衛兵の長には無いタイプで鬼姫には珍しかった。今まで出会ってきた兵長がおかしかったのかもしれないが。
「一番槍は誰かな?」
「こいつじゃ。危ういところを助けてもらったのじゃ。おおきにありがとうのう」
鬼姫がトラントを指さして向き直り、頭を下げた。なにしろサラマンダーの死体にトラントの槍が刺さっている。あと矢が二本。
「い、いや、俺はその」
「よくやってくれた。間違いなくギルドには報告させてもらう」
夜が明けて衛兵団交えて現場検証である。
「この屋敷の屋根の上にいたんだね?」
「そうじゃ。魔法の気配がした。この屋敷、なんか怪しいので調べてほしいのじゃ」
「心得た」
「この火トカゲ、よう見てほしいの」
「?」
「トラント、そっちの足を持て。ひっくり返すんじゃ」
「えええええ……」
衛兵団数人の手も借りて、十尺の巨体を裏返し仰向けにする。
「倒した後触ってみたが熱くないのじゃ。触ってみい、ひやこい」
「……サラマンダーは火を放ち燃えるトカゲと思っている者が多いが、逆に冷たく熱に強く火に放り込んでも平気な魔物だという話もある。それなのか?」
「そうじゃの。操っていたのはほんまもんの炎だったがの、頭を潰されても動いとった」
「なんなんだこいつ……」
「やっぱりじゃ。見てほしいのはこっちじゃ。ほれ、おいどの穴があらへん」
「……ほんとだ」
衛兵団がトカゲを取り囲んで、肛門の無い綺麗な腹、下腹部を凝視する。
「普通のトカゲならあるはずの体の部位が、無いのじゃ。最初から生気が感じられず頭を潰しても血が出ない。おかしな奴じゃった。これ、ほんまに生き物かの?」
「……まさか、錬金術で作られた魔法生物……?」
「……」
衛兵団が押し黙る。
「うちにはなんやかんやわからへんが、とにかくそれも含めてお調べしてほしいのう」
「承った」
鬼姫は祓串を取り出した。
サラマンダーの死体に向かってそれを振る。
祓給え 清め給え
神ながら守りたまえ 幸え給え
リーン、リーン……。
早朝の町に鈴の音が響き渡る。
鬼姫が何をやっているのか、トラントも衛兵団もまったく理解ができなかったが、それを止める者はいなかった……。
街をパトロールしていた衛兵団はまともな人材だったようで、討伐証明は自分が証言するのが手っ取り早かろうと衛兵長が一緒にギルドに来てくれた。
「いやーお手柄お手柄。まさか本当に出たサラマンダーを倒してしまうとはな」
炎に当てられ、ちょっと髪がちぢれたり黒くなっている上に汚れて黒い鬼姫とトラント、手放しでギルドマスターに迎え入れられる。
「すぐに報酬出すよ。さ、カードを出してくれ」
「いや俺は、その」
戸惑うトラントの背中をバンと叩く鬼姫。
「面倒くさいこといわんといて。一番槍じゃろ」
「いやあれは」
「槍を一本お釈迦にしたのじゃ。そないなことかまへんて」
「……はい」
トラントがカードを出して、カウンター越しに受け取ったギルドマスターはサラマンダーと裏書きする。
「これでお前の評価も上がるってもんだ。たいしたもんだぞ!」
「はあ……」
「さ、そっちの嬢ちゃんも。よくやってくれたよ」
鬼姫が巾着袋からカードを出してギルドマスターに渡す。
がたっ。
思わず立ち上がって目を見開くギルドマスター。
「こ、こ、こ、これ、これホントか!」
震える手で裏書きを見る。
「え、いったい……」
トラントも衛兵長もそのカードをのぞき込む。
オーガ、マンティコラ、マーマン、魔女、三級強盗団確保、ゾンビ、スフィンクス、アラクネ、サイクロプス・、雷鳥……。
「ええええ……」
三人とも、まるで化け物でも見るように鬼姫とカードを交互に見る。三人とも口が開いている。
「……あの、うちはさっさと宿に戻って寝たいのじゃが。徹夜したしの」
「あ、すみません。はい、今書きます……」
急に敬語になるギルドマスター。
報酬は金貨十枚から一割の手数料を引いた九枚とパトロール代銀貨十枚を受け取り、それを全部「助けてもらった礼と槍代じゃ」と言ってトラントに押し付け、鬼姫はさっさとギルドを後にして宿に戻った。
「徹夜したから起こさんでほしいの」と湯を浴びてから宿屋のおかみに頼んだ鬼姫。この日は一日中トラントやらギルドマスターやら衛兵団長やらが宿を訪ねてきたが、全員追い返されていた。
朝、早起きしてカードを改めて見ると、カードの裏書きには「サラマンダー・」と後ろに点が打ってある。たしかどこかのギルドマスターが、パーティー合同で倒した場合は討伐証明の後ろに点が付くと言っていたような気がする。そういえば一つ目入道の後ろにも「サイクロプス・」と点が打ってあった。
宿屋のおかみに礼を言って、鬼姫はまた騒ぎになる前につづらを背負ってさっさと街を出て行く。買い物も街を見て回るのも、とっくに済ませていたし、ここは王都周辺。これぐらいの大きさの市はこの先にもあるので、もう用はなかった。
魔法生物だったサラマンダー。実は錬金術で賢者の石を作る素材の一つである。
サラマンダーがいた屋敷は錬金術師のもので、そこでひそかに金を作る研究のために作り出された人工生命体であった。解剖してみて血も出ないし内臓がほとんど無いことからそれがわかった。
人を襲わせ魔力を貯めてサラマンダーを成長させ、素材にしようと飼っていた、ということになる。屋敷に踏み込んだ衛兵団が後にそのことを調べ上げ、錬金術師を逮捕することになるのだが、もちろん鬼姫はそんなことは知らない。
トラントは鬼姫が言った「一番槍」が心に残った。
一番長い武器なのだ。一番に敵に斬り込まずどうするんだと。
鬼姫はあんな強大な敵にも恐れず突っ込んで行った。
その勇気、度胸に自分の駄目さを教えられたのだ。一言礼を言いたかった。
だが、鬼姫はもう会ってもくれなかった……。
「あの若いの、少しは手柄になったかのう?」
余計なお世話だったような気もするが、帳面にトラントの名前をメモすることも無く、鬼姫はさっさとそんなことは忘れてしまい、東へ向かうのであった。
次回「50.ぬっぺっぽう 上」




