48.火付け改め 中
かあん。かあん。
各家庭の夕食も終わり、酒場も店じまいしてどこのかまども火が消えた夜更けの時間帯。街の中に鬼姫が両手で打った木の音が響く。
「……オニヒメさん、それなに?」
「拍子木じゃ」
かあん、かあん。
「火の――――用――――心」
かあん、かあん。
「さっしゃり――ましょ――――」
かあん、かあん。
異様である。トラントには鬼姫が何をやっているのか全く理解できない。
「オニヒメさん、こんな夜にそんな音出して叫んでたら迷惑じゃ……」
「些細な火種が火事の元じゃ。それを注意して回るのも火付け改めの役目じゃ」
「いや俺たち消防団じゃないし。さっしゃりましょーってなんだよ……」
「火の――――用――――心」
かあん、かあん。
「さっしゃり――ましょ――――(いたしましょう)」
かあん、かあん。
鬼姫はかまわず夜の街を、拍子木を打ち鳴らしながら回っている。
美声である。その声は涼やかに、静かな街に響き渡り、うるさい感じはしないのがトラントには不思議である。
「……でも子供起きちゃうって」
「とほかみえみため……こっちじゃ」
八方位の陣を唱えた鬼姫はどんどん街を歩いて行く。
「昨日火事があった方向と逆だよ?」
「火の――――用――――心」
かあん、かあん。
「さっしゃり――ましょ――――」
かあん、かあん。
「こっちじゃ」
鬼姫は拍子木の手を止め、速足になる。
「なに? なに?!」
夜の街を駆ける鬼姫とトラント。
一軒のなんの変哲もない屋敷の前で立ち止まる。
「トラント、裏に回るんじゃ」
「う、うら?」
「この屋敷じゃ!」
「なんでわかるんだよ! っていうかそもそもなに!」
「魔法の気配じゃ!」
鬼姫は今までにこの世界で何度も魔法を受け、魔法の気配に敏感になっていた。その感覚がこの屋敷を怪しいと教えている。
鬼姫は九字切りの印を結ぶ。
「臨兵闘者皆陣裂在前……はっ」
一言一言唱えるたびに線が増え、横五、縦四の碁盤の目に陣が張られた。
建物の屋根から火の玉が飛んできた! 鬼姫に当たる!
「うわっ!」
トラントが驚き、鬼姫の手前で火の玉が爆散する。
いつもとっさに使う防御陣である五芒星は出せるのが早いが、手間はかかっても九字切りのほうが範囲が広く強力だ。場合により鬼姫は使い分けている。
「おったぞ! 裏に回るの無しじゃ! あれを追え!」
「ええええええ!」
鬼姫は弓を出し、屋敷の屋根、塀の上に初矢、二矢を放つ。その矢先は凄いスピードで動いている。
ぱすっ、ぱすっ。矢が当たった音がした。
「その弓どっから出した!」
「やかましい! それ、向こうに落ちたぞ!」
何が何だかわからないトラント、槍を持ってどさっとなにかが落ちた音がした路地裏に回る。
「うわぁあ!」
その瞬間、路地にぼうっ! と炎が舞い、その何かが姿を現した!
「オニヒメさん! サラマンダーだ!」
そこには全身を火に包まれてこちらに向かって口を開き、牙を剥きだしにして威嚇する大きな赤いトカゲがいた! 全長十尺!
ぼうっぼうっと炎を吐き、火の玉をぶつけてくる。
鬼姫はトラントを引きずり倒してそれを避けさせて、首にヌンチャクのようにかけていた拍子木をぐるぐる振り回して投げつける。拍子木は四角く硬い木片を下で紐でつなげたものだ。それが回りながら飛んで行って、サラマンダーの口に絡みついた。
がふっと咳き込むサラマンダー。首を振ってそれを振りほどこうとする。
鬼姫は転んだトラントの槍を拾い、サラマンダーに投げつけた!
ざくり、その槍は深く胴に突き刺さったが、サラマンダーは全身の炎の勢いを強くして突っ込んでくる。
しゅっ!
トラントの位置からは鬼姫が後ろ姿なのでわからなかったが、鬼姫は火を吹いた。
「な? なにごと?!」
炎に炎がぶつかって、瞬間、サラマンダーは全身にまとった炎を吹き飛ばされて丸裸の赤膚トカゲになる。サラマンダーが踏みとどまり、動きが一瞬止まった!
「うりゃあああ!」
瞬時に間を詰めた鬼姫はそのまま、五尺の黒鉄の金棒を打ち下ろした!
ぐしゃりっ。
サラマンダーはその頭を、地面に叩きつけられ頭蓋を割られる。
間髪入れず二度、三度、連続で頭に叩きこまれる鋲付きの金棒!
サラマンダーの体からは火が消え、動かなくなった。
「俺の槍……」
「申し訳ないの。さ、人を呼んできてほしいのじゃ。火が燃え移り……」
鬼姫がサラマンダーから槍を引き抜いてトラントに横投げに放ると、「オニヒメさん! そいつ、まだ生きてる!」と槍を受け取ったトラントが叫んだ。
「んな!」
突然跳ね起きたサラマンダー、鬼姫に覆いかぶさって押し倒した!
次回「49.火付け改め 下」




