47.火付け改め 上 ※
かん、かん、かん、かん……。
深夜、半鐘が鳴る。
宿屋に泊まっていた鬼姫は飛び起きた!
「火事じゃ!」
寝間着を脱ぎいつもの巫女装束にさっさと着替える。
消火の手段が打ちこわしなど限られていたのは古都も同じ。火事が起きたらすぐ逃げる、というのは鬼姫も身に沁みついていた。
宿屋二階の出窓から飛び上がって屋根に上がる。
見回すと、三町先で炎に照らされた煙が上がっていた。
半鐘は鳴り続ける。
王都の近隣の大きな町、二日目の夜である。眼下には荷物を背負って逃げてくる人、打ちこわしの装備をした衛兵隊、桶や手漕ぎの龍吐水(放水ポンプ)を馬で引いてくる消防隊があわただしい。
鬼姫は夜空を見上げた。
曇りだろうか。星も月も見えない夜だった。
「……いけるかの?」
屋根と屋根の上を飛び跳ねて火元に近づく。
火元が見える屋敷の屋根まで飛び移った。
「……けったいな火じゃの」
みんなの目が火事に向いているうちに、鬼姫は屋根の上で器に竹筒から水を注ぎ、それを置いて伏して器に礼をする。
掛巻も畏き
其の大神の廣前に白く
春の始より安麻美豆継て
降零ば 天下の公民の
取作れる興津御歳を豊年に成し
幸給わんと 嘉み悦びしに
炎旱日を経て百姓の
田作穀物を始め草の片葉に……
静かに祓串を捧げ、祝詞を捧げる。
忽に天津御空多奈曇り
天津美津古保須がごとく降て
大神等の敷座す山々の口より
狭久那多利に下し給う水を……
鬼姫の祝詞は延々と続く。いつもより長い、雨乞祝詞であった。
五の穀の秋の垂穂
八握穂に佐加へしめ成り榮給ば
初穂をば汁にも頴にも
八百稲千稲に引居置きて
秋の祭に遠御膳と長御膳と
ぽつ、ぽつ、ぽつ……。
雨粒が降ってきた。
赤丹の穂を神頴に聞し食せと
言祝奉る吉事を頸根衝
拔烏呂餓美て稱辭を竟奉と
恐み、恐み、白す
さっ、さっ、さっ。祓串を振る鬼姫。
「あ? 雨?」
「雨降ってきてないか?」
屋根の下の消防隊、衛兵隊が空を見上げた。
降り始めた雨はたちまち大粒になり、絶え間ない雨になる。
「ありがたい! がんばれ! この火事は消せるぞ!!」
雨の中、ずぶ濡れになりながら消火活動を続ける男たち。
屋根の上で一緒にずぶ濡れになっても、鬼姫は、嬉しそうにそれを見て深々と礼をした。
「この世界の龍神様、礼を申す」
リーン、リーン……。
その火事場を遠ざかっていく鈴の音は、何人かの消防隊には、聞こえたかもしれなかった。
「このさらまんだーとはなんなん?」
翌日、鬼姫はハンターギルドの掲示板の前で、通りがかったハンターを一人手招きして聞いていた。
「あ? 姉さんハンターなのか?」
「まあそうじゃ。これ昨日まで張ってなかったと思うのだがの」
「へー……。女のハンターは珍しいな。いや、悪い。別に女だからどうのこうのいうわけじゃなくてだな」
ちょっと慌てて失言を言い訳する若いハンター。どうやら女運が無いらしい。
槍を持って軽装備である。
「かまへんて、よう言われるの。で、さらまんだーってなんなんじゃ?」
「昨日街に出たらしいな。火をまとった魔物だよ。そのせいで火事になった」
「ほー……」
「それ今から討伐隊募集するらしいぞ。姉さんも参加するか?」
「聞くだけ聞いてみるかの」
ハンターギルドのフロアに人が集まり始めている。
「姉さん見たことないな。他の町で護衛ハンターやってるのか?」
「まあなんでもやっておる。うちは日銭が稼げればそれでええ」
「王都周辺で魔物討伐はめったにねえ。いいチャンスなんだけどな」
若い男は嬉しそうに笑う。
「俺はトラントって言う。姉さんは?」
「鬼姫」
「……変わった名前だな。オニヒメさんね。さ、話聞きに行こうぜ」
フロアに集まったハンターは十人ぐらい。もう商人の護衛ハンターたちは出発した後の時間帯であり、普段魔物など出ない王都周辺で、魔物狩りをやるハンターは少なかった。
「集まってくれて礼を言う。昨日火事があったのはもう知っていると思う」
未だ現役、という感じの中年の大柄な男がギルドマスターらしかった。
こそっとトラントが話しかける。
「オニヒメさんパーティーの連中呼んでこなくていいのか?」
「うちは一人でやっておる」
「マジかよ……」
「昨日の火事は、目撃者もたいしていなくてな、なにか火の塊みたいなやつが街を走っていったって話だ。その後火事が起こり、屋敷が一軒全焼した。幸い雨が降ってきたから火は消し止めることができたが、屋敷からは住人の焼死体が見つかっていない。不在の線もあるから捜索はするが、荒らされた跡があり、魔物に食うために持っていかれた可能性が高いな」
……鬼姫が顎に指を当て考え込む。
「火車かの……?」
「ハンターギルドとしては、単なる放火魔じゃなく、サラマンダーかもしれんから今夜からパトロールをする。諸君の参加を頼みたい。討伐できたら金貨十枚だ。よろしく頼む」
「あーあーあー? 十枚? 話にならんて」
「ちょ、安すぎないか?」
「どういうこと? スポンサー誰?」
ハンターたちから抗議の声が上がる。
「昨日のことだしな。まだ魔物の仕業だとは断定できないんで、衛兵隊がメインでパトロールする。領主はお抱えの衛兵隊だけで済ませたいらしい。ま、ハンターにはできるならやってみろって程度の話さ。すまんな」
集まっていたのはパーティーのハンターらしく、肩をすくめて出て行った。
鬼姫なら一人で十枚は悪くないと思っても、パーティーで仕事をする普通のハンターには一人分を考えたら割に合わないということだ。
鬼姫とトラントが残る。
「お前たち、やってくれるか?」
「まあ、今暇なんで」
「うけたまわった」
「悪いな。じゃあ、今夜からやってくれ。街の見回りと、火元を見つけたらすぐ連絡。パトロール結果を明日報告にギルドに寄ってくれ。ギルドの職員が火の見櫓で監視してるから、パトロールサボるなよ。一晩銀貨五枚ぐらいは出してやるから」
「了解」
トラントが肩をすくめて手を上げると、鬼姫はすたすたとギルドを出てゆく。
トラントは仕方なく鬼姫についていった。
「……オニヒメさんがやるとは思わなかったな。金に困ってるのか?」
「火車なればうちの仕事じゃ」
「かしゃってなに……。なんだか知らないけど凄い自信だな。サラマンダーって知ってる?」
「知らんの」
「知らんのにやるの……。火トカゲだよ。火を出したり消したり自由自在。全身から火を吹いてるときもある。大きさは出会ってみないとわかんねえ。人を焼き殺して食うとも言われているな」
「火車は火をまとった車輪の妖怪での、躯を盗んで集めておる地獄の住人じゃ。あるいは輪入道やったら子供をさらうこともある残虐非道な妖怪じゃの。似たような火の車じゃからのう、出れば火事になることもあろう。思えば昨日の炎、悪意があったの。そやけどまだ何が出たかは決まっておらんし……」
「車輪って……。そんなの出たらどうやって倒すのさ。普通の武器じゃ刃が立たないでしょ」
「金棒でぶち壊すかのう」
「雑! まあどっちが出ても大して変わらんか。そんなの知ってるってことは、オニヒメさん外国人?」
「まあそうじゃ。おぬし自分のぱーてーはどうしはったん?」
「……追放された」
「追放?」
トラントはがっくりと肩を落とす。
「さっきのパーティー見ただろ。あの文句言ってたパーティーにいたんだよ。パーティー解散するって言うから仕方なく仕事探してたら、あいつら俺だけ外して二パーティー合併して新しくパーティー作ってやがった」
「あらら……」
「俺を追放したようなもんだね……」
「そら寂しいのう」
「なー。ひどくない?」
「まあ何か身に覚えがあったら反省するのじゃ」
非情な答え来た。
トラントは泣きそうな顔になる。
「厳しい……。優しいお姉さんかと期待したのに……」
いやそんなこと言われても鬼姫も困るというもの。
「おぬしぱーてーでなにをやっておった?」
「中衛」
「中衛ってなんじゃ」
「槍のリーチを生かして盾や剣の前衛を助け、支援の後衛を守る。臨機応変に立ち回るのがランサーってやつで」
「トラント」
「はい」
「そういうとこじゃぞ」
ずーんと暗くなるトラント。
槍は戦場では剣より強い。剣は槍を失った時の護身用もしくは近接用である。その槍が最前線に出て一番槍を引き受けずになんとする。剣の後ろから敵をつつくのでは槍の意味がなかろう。鬼姫はそう考える。
だが薙刀を使っている鬼姫の戦法はやや古い。薙刀は馬上で互いに名乗りを上げて一騎打ちをしていたような時代の武器である。
これを変えたのが源義経と言われており、思いもかけぬ場所、時間からの奇襲を得意とし戦上手で連戦連勝と民には英雄視されたが、同じ武士からは無礼、卑怯と蛇蝎のごとく嫌われ、追放されることとなったのだ。鬼姫は追放と聞いて仲間から見てなにか悪いところがあるのだろうと思ってしまう。
鎧が板金甲冑に進化し歩兵が増え多人数の乱戦となると、突きに特化した長槍が主力になる。対抗手段として西洋の戦法では、重装備で最前線に立ち敵の槍を薙ぎ払い突撃するというまるで先祖返りの戦法が両手剣の仕事という時代もあり、常識が異なっていたのだからトラントは責められない。
「まあ夜まで時間があるの。飯でも食いに行くのじゃ」
「あ、優しいお姉さんだ」
「手のひら返しが早すぎるわの」
そうしてこの街の旨い店を教えてもらい、夜の見回りのための道具を探したり、忙しい午後となった。
雨乞い祝詞はもっと長いのですが、中略させていただきました。
次回「48.火付け改め 中」




