45.大聖堂の大聖女 ※
翌日。教会はまだ何も言ってこない。
鬼姫はいつものように午前中は勉強。午後は外出した。
今日は路地の商店街、屋台を見て回っている。
鬼姫は相変わらず味噌と醤油を探していた。南洋焼肉の串を持って、ソースを吟味しているところである。露店の店主とのやり取りも楽しそうだ。
そんな鬼姫を、止めた馬車の客車の窓からそっと見ている者がいた。
「……驚きました。たしかに封印です」
白い清楚な修道服に身を包んだ老女がつぶやいた。
隣にいるのは神父シルバインである。
「では……」
「勇者様が生きていたらさぞ驚いたことでしょう。私からも大司教様に許可をもらえるように伝えます。ぜひ教会にお呼びください」
「承知しました。明日にでも」
「任せましたよ」
街からギルド宿舎に戻った鬼姫にニュースである。
「来たよ! 鬼姫さん。教会から召喚依頼。明日の九時に大聖堂に来いってさ。大司教のサインの入った契約書と、無事に返すっていう誓書付きで」
「ほんまに来はるとは思わんかったの。あれであきらめるかと思っとった」
「実は俺もさ」
ダクソンは笑っているが。
「大司教様にお目通りだ。すこしきれいなかっこしてくれよ」
「期待されても困るのう……。やつしたくてもこれがうちの一張羅での」
「この書類金庫に仕舞っといてくれ。お前ら、今日は帰るなよ。泊まり込みだ」
「えーえーえーえー……」
「教会の手のものが襲撃に来るかもしれん。念のためだ」
「マスターはホント、教会を何だと思ってるんですか……。いくらなんでもそんなところじゃないでしょ教会は」
あきれる職員にダクソンは真剣な顔で答える。
「あのなあ、二百年ぐらい前の教会だったら鬼姫を魔女裁判で即日処刑、財産全額没収とか、神官一人が言い出しただけで平気でやってたからな? 鬼姫が人間じゃないって認めちゃった以上、なにされても不思議じゃないんだぞ?」
「今は違うと思うけどなあ……。教会にそんな悪い話無いし」
「わかるかそんなもん」
物騒な話だが、まあそんなことになれば鬼姫はさっさと逃げ出すつもりだ。
何にも悪いことしてないのに、異教の神官に断罪されるなんてまっぴらごめんである。それぐらいの自信が無ければ、こんなことは引き受けるわけがなかった。
何事もなく朝が来て、驚くことにハンターギルド前に教会の馬車が迎えに来た。
「参るかの」
「おう」
一応正装したダクソンにエスコートされ、新しく縫った巫女装束に羽織をまとって身を包み、教会の馬車に乗る。一応正装のつもりである。
王都中央。大聖堂の門が開き、広大な庭地を馬車は進む。
見上げるような石造りの巨大な聖堂。その大扉が開き、馬車から降りた鬼姫とダクソンは美麗な装備の教会騎士四人に守られて……あるいは包囲されて、大祭壇の前に招き入れられた。
そこには老齢の大司教と、修道服の老女が並んで立っていた。
祭壇の手前には神官がびっしり並んでいる。鬼姫の一挙手一投足を見逃すまいと注視しているのが見て取れた。
「王都ハンターギルド、マスターをしていますダクソン・ミューラーです。お呼びの鬼姫さんをご案内仕りました」
片膝ついて礼を取る。
「鬼姫と申します。お呼びにつきまかりこしました」
鬼姫は正座して頭を下げ礼をする。
「召喚に応じていただき感謝します。面を上げてください」
意外にも柔らかな声をかける大司教。
「こちらは聖女テレーズ」
「初めまして。お会いできてうれしいですオニヒメさん」
鬼姫は知らないが、聖女と名乗る老修道女は昨日、馬車から鬼姫を見ていた人であった。
「……で、間違いないのだな?」
「はい。ですが……」
聖女がこそこそと大司教に耳打ちする。
「なんと」
「確かめねばならないでしょう」
じれったい二人のやり取りが続く。
しかし一応目上、というか、この国の教会トップ。うかつにこちらから声をかけることもできないというもの。
「オニヒメさん。こちらのお方は、五十年前に魔王討伐の勇者に同行していた聖女様だ。ま、この国では知らぬものがおらぬのだが、実際に魔王と闘い、魔王を勇者と共に封印したお方でね」
大司教の言葉に、「はあ」とちょっと気の抜けた返事をする鬼姫。
「その聖女様が、そなたにかかっておる封印が、異教のものなれど、魔王封印に匹敵する強力な封印に間違いないと申しておる。そなた、なぜ自分にそのような封印がかかっておるか、わかるか?」
「いっこもわからへんの……」
老聖女が鬼姫の前に歩み出た。
「では、その封印、少し見せてもらいましょう。なに、危ないことは無いです。魔王の封印が解けそうになっていないか調べる魔法と同じものですので。さ、立ってください」
ロザリオを握って胸の前に掲げる。
「天にまします我らの女神レミテス様。その守りの力あらたかに、この者を封印せし異教の力をお示しいただき、その姿表したまえ。我ら無知なるものにその光の道指し示したまえ。我、それを望まん……」
鬼姫の体から光が出て、五芒星が何重にも折り重なった。
白い光の線が結ばれて鬼姫を包み込む。
ダクソンは驚いて鬼姫から離れた。
「これは……」
並みいる神官たちからざわめきが漏れ、聖女も大司教も驚愕する。
「初めて見る。異国の、いや、異界の封印だ……。神さえも違うようだ」
鬼姫には特に異常はない。まずはそのことにほっとする。
自分にまとわりついている五芒星と共に現れた呪文のような祝詞。その字に鬼姫には見覚えがあった。
「おじじ……」
最後に自分を看取った、何代目かも忘れた、紅葉神社の宮司。
その人が書いたものに間違いなかった。
鬼姫は日本で封じ込められたのだ。
封じられたまま、祠に祀られ、数百年が経ち、忘れ去られた。
なぜ鬼姫が封じられることになったのかは、記憶がなく不明である。
「なんで……」
そこが鬼姫にはわからなかった。
ふらり、聖女が倒れそうになる。慌てて大司教が聖女を受け止めた。
鬼姫を覆った五芒星の封印紋は、すっと見えなくなる。
「あ、大丈夫かの!」
駆け寄ろうとした鬼姫に護衛の教会騎士が次々にメイスを前に組み、その動きを押し止めた。メイスは金属製の棍棒である。教会は血を不浄なものとしているため、教会騎士は刃物の武器を使わない。
「おい! 待て! やめろ!」
ダクソンが声を上げる!
「鬼姫に危害は加えんと約束したじゃないか!」
「大丈夫です。ちょっと立ち眩みがしただけです……」
老聖女はロザリオを握りしめ、はあはあと荒く息をして床に跪く。
心配そうに大司教は老聖女を椅子に座らせた。
「……戒めを解いてください。オニヒメさんに非はありません」
聖女が手を払うと、騎士はメイスを引き、後ろに下がった。
今の封印を見た神官たちのざわめきは止まらない。
「オニヒメさん、今の封印、あなたの神……、神さえも違う世界、そう、異世界の封印ですね。かけた方に心当たりは?」
「……うちの恩人。親と言うてもええお方が、うちの死に際にかけたものじゃの。おそらくは」
「すみません。魔力を使いすぎました。歳は取りたくないものですね……。教会の秘儀、勇者が魔王に使う封印魔法より強力な封印、感服をいたしました」
げっそりとして話も辛そうな老聖女に代わって、大司教が周りを見る。
「皆の者、今のを見たな?」
問われた神官たちが頷く。
「術式が分かったものはいたか?」
全員、困惑である。見たことがあるはずがなかった。
「……だろうな。異国、異世界の神の術だ。我らでは百年かけても何一つ真似できぬであろう。大した術だ」
大勢のシスターが聖女を取り囲み、奥に下がった。だいぶ疲れたようである。
「引き続き、なにか調べたい者はおるか? 申し出よ」
「では私が」
一人、高位そうな神官が申し出る。
「良いかな? オニヒメさん」
大司教が一応聞いてくれるので鬼姫は頷いた。
神官が鬼姫の前に立つ。
「では失礼して……。天にまします我らの女神レミテス様。その守りの力あらたかに、この者を封印せし異教の力をお示しいただき、その姿表したまえ。我ら無知なるものにその光の道指し示したまえ。我、それを……」
「長いのう」
また五芒星の封印が現れたが、すぐに神官はぶっ倒れた。
「あかんのう……」
封印の術式は一瞬で消えてしまう。
「天にまします我らの女神レミテス様。その大いなる力あらたかに、この者に封印されたる邪教の災厄……」
バタッ。
「天にまします我らの女神レミテス様。その賢き叡智の力にて、この封印を打ち払い……」
バタッ。
次々に神官が倒れてしまう。
さすがに鬼姫は気の毒になってきた。申し訳なさそうに大司教に申し出る。
「あの、報酬の金貨五十枚はいらんのでの、うちはしばらく王都に滞在しておるから、また何かわかったら訪ねてきてほしいのう」
「……申し訳ない。そうさせてもらいたい。勇者殿がまだ健在であったなら、その封印、どんなものか判明したかもしれんが、我らには少し研究する時間が必要そうだ」
「ちょ、鬼姫さん」
ギルドマスターのダクソンがそれはダメだとばかりに割って入る。
その時ぱたぱたとシスターが一人走ってきた。聖女様付きのお役目らしい。
「あの、聖女様から伝言です」
大司教が「聖女様の具合はどうだ?」と聞き返した。心配そうで、大司教が聖女を大切に思っていることがうかがえた。
「お休みになっておられます。御心配には及びません。その、伝言を」
「どうぞ」と話を促す。
「その者、決して殺すな。断じて死なせてはなりませんとのことです」
その場が静まり返る。
「……いやそないなこと言われても」
鬼姫が困ったように言う。人は死ぬときは死ぬ。それは鬼でも変わらない。いまさらな話である。
「当然だ。そもそも教会には罪人であろうと魔女であろうと処刑する権限など最初からない。そんな古に廃教した魔女狩りは私が断じて許さない。魔女狩りは教会の腐敗を増長し信者を苦しめるだけだ。断じて教会がかかわっていいことではない」
……魔女を退治したことがある鬼姫はそこがよくわからない。
魔族、としての魔女は確かに実在した。そこの判断はどうなっているのだろう。教会、けっこう都合いい解釈をしているとちょっと思う。
何の罪もない民が一方的に教会に異端審問され虐殺されてきた、そんな悲惨な歴史を鬼姫は知らないのだから仕方がないが。
「オニヒメさん。先ほどの申し出だが、報酬は払う。だが、滞在の間、もしオニヒメさんを訪ねる者あれば、協力してやってほしい。よろしいか?」
「まあうちを殺すんでなければ、なんでもええの」
「それは私が女神レミテス様の名のもとに誓う。聖女様のお言葉だ。ここにおる者も、しかと心得よ」
その場にいた神官、教会騎士、全員が神妙に頷いた。大司教の厳命である。
部屋を変え、別の神官に事情聴取をされても、鬼姫に答えられることは少ない。
どういう神を信仰しているかと言われて「紅葉神社の御祭神はもったいなくも天照大神様じゃ」と答えても誰にもわかるわけがないのである。
「あなたは女神様を信じないのか?!」
「何を言うておる。天照様は女神じゃぞ?」
話にならず、神官の多くは混乱するばかり。
鬼姫は、「自分が救世主だ」だの、「自分は預言者だ」などとは言い出さない。神道は教義戒律などなにもないので、鬼姫が神に預かった言葉など最初からあるわけ無いのである。鬼姫にはこの教えを広げようなどと言う野心がまったく見受けられず、教会に害成す勢力になりようがなかった。
結局、「鬼姫の言う女神アマテラスは外国での女神レミテスの呼び方で、同じ神のことだと思われる」という、後で揉めない程度の都合のいい報告書が書かれ、ようやく解放されたのは、夜になってからだった。
古い宗教が他国に伝わるうちにさまざまに形を変え、現地民がわかりやすいように神の呼び名まで変わるのは仏教もそうであったように別に珍しい話ではない。外国人の鬼姫が結局拝んでいる神が同じなら異端というほどのこともないとできる。
別の係の神官が嫌そうな顔をして金貨五十枚をくれた。
送りの馬車も無く、鬼姫とダクソンは二人、夜の街を歩いて帰る。
「……さすがにしんどかったのう」
「金貨五十枚、儲かっただろ。一日の働きとしては十分だ」
「腹が減ったの。何か食べてから帰るのじゃ」
「いいな! 鬼姫さんのおごりで!」
「ここまで付き合ってもらったのじゃ。しょうがないのう……。職員、まだおるかの? みんなでひと騒ぎじゃ!」
「えーえーえー……」
ちょっと残念そうなダクソンは無視して、一度ギルドに戻ってから酒場で大騒ぎの夜となった。
次回「46.さらば王都」




