42.異教徒鬼姫
鬼姫は毎日街に出かけてゆく。何か探し物があるようだ。
「教会の説教、週に一度しかないのかの」
下の事務所にはダクソンのデスクもあり、日中は六人で仕事を回している。鬼姫はなんだかんだと毎日そこに顔を出す。
「まあ週に一度の休日にしかやらないから。王都の生活はどう?」
「なんでもあるが、無いものはないの。味噌と醤油って聞いたことないかの?」
「無いなあ……」
六人全員が首をかしげる。
「おぬしらは夜はどうしておるんじゃ?」
「家に帰って寝てるよ。こっちのハルト以外は全員妻子持ちだし」
「それで誰も夜にはいーひんのかの。うちだけかの?」
「そう。もし泥棒入ってきたら捕まえといて」
「わかったのじゃ」
ダクソンのとんでもない頼みごとをあっさり引き受ける鬼姫。こんなやりとりも、もうギルド本部の職員たちにはいろいろ楽しくてしょうがないらしい。
「週に一度は掃除夫が来るから、それは捕まえないでね」
「さすがにそらわかるわの」
さらっとダクソンにも妻子がいる重要情報が会話の冒頭にあったはずだが、鬼姫はあっさり聞き流した。ちなみに「嫁さんに来てほしい」と言っていたのが眼鏡で独身のハルトである。
鬼姫は早起きして自分の朝食を作り、ギルドの前や館内を箒で掃いてきれいにし、午前中はギルドの書庫で本を読む。この国の地図、歴史、ハンター関連の法、魔物情報など、ハンター稼業に必要そうな情報である。まだ辞書と首っ引きだが、わからないことがあると事務所まで聞きに来る。鬼姫の反応が面白いので、職員も今日は何を聞きに来るのか楽しみだ。
一番のお気に入りは勇者の魔王討伐物語の絵本である。
この世界大人でも読み書きができない人間は多い。学が無いハンター連中ならなおさらだろう。だからこんな児童書も少ないが置いてある。
「これ、魔王にしてみれば迷惑千万じゃろう……。桃太郎に襲撃された鬼ヶ島となにもかわらんわ」
試しに街で似たような絵本を買ってみたがおんなじだった。
勇者と、お供の剣士と、聖女と、魔法使い。女神の神託を受けて覚醒した勇者が、仲間を募って魔王退治に出かける。
「まるで猿と犬と雉じゃの。誰でも考えることは同じじゃのう。黍団子もなしでようついて行ったの」
こうして魔王を封印して帰った歴代の勇者と聖女が、後に女神の言葉を伝え、それが教会となりレミテス教ができて、教義になったと。
肝心なのは、魔王が一体どんな悪いことをしたのが聖書にさっぱり書いてないのが問題なのだ。そこは桃太郎と同じである。
鬼姫が生きていた当時は鬼は討伐して当然の存在で、ただお宝を略奪して帰る迷惑系桃太郎しか語られていない。現代のように桃太郎が鬼を討伐する理由がいろいろ後付けされるようになったのは明治以降の設定なので鬼姫は知らないのだ。
魔王がいると魔物が増えるらしいが、そんなものはほっといても勝手に増えて当たり前なはず。
「女神ほんまにおるんならこんな阿保な勇者に頼らず、そこは自分でなんとかしいや!」
日本で神様が魔物を倒してくれたという話は八岐大蛇のようにいくらでも例がある。桃太郎のせいで鬼は悪いものだとみんな思っていたことを考えると、読んでいて腹が立って仕方がない鬼姫だった。
昼になると鬼姫は出かけて夜まで帰ってこない。王都中の店を回って食べ歩きしているらしい。湯屋が見つかったと喜んで毎日入りに行くのも新しくできた習慣だ。夜には食材を買って帰ってきて、またなにか料理を作る。
たまには試しに料理を多めに作って昼に職員にふるまうこともある。なかなか旨いと好評だ。長旅で洗濯が間に合わないのか、時間が空くと買ってきた反物で新しい巫女装束も縫っている。一週間目だが、鬼姫はもうすっかりこの生活になじんでいた。
何も変わらない忙しい日常。それが神社で働いていた巫女の鬼姫には楽しかった。
「……ついに報告来ましたね」
「……ああ」
六人が数枚の書類を見て表情を曇らせる。
「伝えないわけにいかんだろ。鬼姫さん呼んできて」
「はい」
みんな、「鬼姫」の発音も良くなっていて、ターキーが書庫まで呼びに行った。ノックして入ると、鬼姫は今日も書庫のデスクで勉強していた。
「鬼姫さん、ちょっと事務所まで来てくれますか」
「はい」
本にしおりを挟んで閉じ、鬼姫は立ち上がってターキーについてくる。
「雷鳥、本物だったよ。正式に新種の魔物として登録された。王立アカデミーから報告来たね。見る?」
「一応見るかのう」
一枚の書面には、詳細な図解と、その特徴が書いてあった。少々難しいので鬼姫は何とか読もうとするが、あきらめてそれを返す。
「解剖しようとして学者さんがメスを入れたら、雷に当たって死にかけたんだそうだ。それが決め手だったな。雷袋ってのがあって、雷を発生させる能力がある特別な魔物ってことになる」
今で言う感電した、ということになるだろうか。死んでもやっかいな魔物である。この世界ではまだ電気という概念が静電気に雷ぐらいしかないので、今後の研究発達に期待したい所である。もちろん鬼姫はそんなことは知らないが。
「ほー……。うちも腹に斬り付けておったらやられてたかもしれぬのう」
「斬ったのは喉だっけ。獲物をできるだけ傷つけず、的確に急所を狙う鬼姫さん、さすがです」
ギルド職員はほめてくれるのだが、「いやあら首を刎ねようと思ったら意外とぐにゃぐにゃしておったっちゅうだけじゃ」と答える鬼姫。
超大型の鳥である、自身の羽の手入れをするため雷鳥の首は長かった。
職員全員がうええ――――っという顔になる。
「その学者の人は大丈夫だったかの?」
「今入院してる。鬼姫さんのせいじゃないから気にしないで」
「……しょうがないのう」
「約束通り討伐証明出すよ。カード貸して」
ダクソンが手を出すので、鬼姫は巾着袋からハンターカードを出して渡した。ダクソンが自分でギルド特製の偽造防止インクで裏に「雷鳥」と書いてくれる。
「鬼姫さん、これでもう王都を出て行ってもいいわけだけど、まだいるよね?」
「おるぞ。まだ一回しか教会の説教を聞いておらぬのでの」
それを聞いてギルドのメンバーがほっとする。
「他に用事は無いかの?」
「今は無いよ」
「手間をかけたの。礼を申すのじゃ」
「いやいや、新種の魔物を捕らえるなんてギルドでも大手柄さ」
「さよかー。ほなの」
鬼姫は礼をして書庫に戻った。
「実力あるし、強いし、勉強熱心だし、料理もうまいし掃除してくれるし、いつまでもいてもらうわけにもいかないんでしょうねえ……」
「いてもらうほうがギルドにはもったいないって。これからも旅してもらってあちこちで魔物討伐してくれたほうがありがたいだろ」
「俺、ついていきたくなってきた」
「無理だって。やめとけやめとけ」
職員がそんな話をする中、ダクソンは無言でそっとため息した。
その日、鬼姫は女神教会に行って、二回目の説教を受けて帰ってきた。
「どうだった? 異教徒のシスターさん」
ハンターギルドの職員二人が例によって鬼姫をからかう。
教会で説教のある今日は休日であるが、この国のハンターギルドの本部であるから待機要員として二人、出勤していた。一人は独身のハルトである。
鬼姫は神社の巫女である。異世界の女神教は聞けば聞くほど違和感があってどうにも賛成できないらしい。そんな話を聞いてみるのも面白いというものだ。
「神様は一人しかおらん。女神さまだけじゃ。その女神様があらならんこらならん、こんな悪いことをすると碌な死に方せんと脅してくる。要するに法を広める代官とおんなじじゃの」
「ほー」
「実りに感謝し、平穏に感謝し、雨にも風にも日の光にも感謝するということがないの。人が何によって生かされておるか少しは考えてみればええの」
「へー」
「神様は怒らせてはならん。真面目に勤めて実りを捧げる。それができればそれでええんじゃ。あーだこーだ細かく決められてはかなんわあ!」
「……ちょ、鬼姫さん。鬼姫さんの神様って、教えとか戒律とかどーなってんの?」
「そないなもんあらへんわ」
「は?」
「無い」
「えーえーえー……」
これは神の預言者がいて、一神教の教義戒律がきちんと明文化されている他の宗教から見てまったく意味が分からないだろう。
「ちょちょちょ。人間ってちゃんと善悪決めておかないと一緒に暮らせないよね。法整備がちゃんとされた社会ができる前に、それを宗教という形で教えるのが神様の仕事だよね?」
「そない神様があれを鈍くさいことしたこれをしくじったっちゅう話が山ほどあるわ、うちらはそれをやらんようにすればええちゅう話になっておるわ」
「……はー、そうですか。英雄譚みたいなもんなのかなあ。ねえ鬼姫さん、人は死んだらどうなるの?」
「氏神様になってお家を守る。ご先祖様が常に見ておる。うちらはそれに恥ずかしくないように生きればそれでええ。万物に宿る八百万の神々に恥ずかしくないように、神を怒らせることの無いようにじゃ」
「多神教なんだ……アバウトすぎる……」
「よくそれでちゃんと社会を回せるなあ……」
現代で考えてみれば守るべき戒律も、明確な教義も無い神道は宗教の体をなしていない。漠然とした自然崇拝の土着の信仰なのである。法を定め政を行うのは古くは帝を中心とした朝廷、後に将軍と幕府の仕事ということになっていた。
神道だけでは社会の隅々まで善悪の観念を教えるのは難しい。その宗教としての欠陥を、仏教を取り入れることにより善悪と、死後極楽にいくか地獄に落ちるかという懲罰を含め教義の不備を補佐している。
日本人は神道と仏教が混在して共存する世界的にもきわめて珍しい宗教観念を持っているが、そのため一神教の教徒から見ると、それはまるで無宗教、無神論者のように見えて誤解されることになるのだが。
「女神様は綺麗でよかったのう。そこはええと思うたの」
「どんな神様だったの鬼姫さんとこ」
「んー天照様も綺麗やったがの」
「女神様が一番偉いんですね」
「そやの」
そこは共通していて、争いごとを好まぬ神は鬼姫はいいと思うのだ。
「他にはどんな神様がいたんです?」
「外国では神様もちゃうんや。うちもよう知らん西洋でな、一番信仰されとったのは、裸の血だらけで十字架に張り付けにされとる中年男での」
「……なんでそんなのを信仰するんです」
「うちもさっぱりわからへん。女神様も人妻で子持ちじゃし」
「どういう宗教ですか……」
「しらへんて。おぬしらもそんなの信仰しとると最初うちは思っとったから、羽生えた女神様見てびっくりしたわ」
昔、伴天連の教会を一見して「こら日の本に広めるのは無理ではないかの」と鬼姫も思ったものである。案の定、その後伴天連は禁止され、国から追い出された。その辺の事情は鬼姫は良く知らない。もちろんそこには長い歴史と深い背景があるのだが、それを鬼姫が理解するのはまあ無理な話である。
「傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲」
「七つの大罪ね。よく二回聞きに行っただけで覚えられたね鬼姫さん」
「一つ一つが長いんだよな……。説教が」
「要するにこれだけ覚えて守ればええ。それが女神様の教えであろう。こんなものは人として守らねばならん当たり前の事じゃ。いちいち言われんとわからへんのかのこの世界の人間は」
「要しすぎだけど大体あってる……」
「……日本って、凄い、いい国なような気がしてきた」
「当たり前だと言い切る鬼姫さんが凄い」
職員たちも、鬼姫の裏表無く真っすぐな性格が、そのようにして成り立ったのかと感心した。
十戒のように明文化されていれば、そこに人が見出だそうとするのは「抜け穴」である。「これはやってはダメならば、逆にこれはやっていい」、「これは書かれていないから禁止されていない」となる。神道では戒律が無い一方で、いったいなにが罪になるのかは神次第。トイレをきれいにしておかねば「厠の神様の罰が当たるぞ」といわれ、八百万の神に見張られ逆らいようがなく事実上抜け穴が無い。「人の迷惑になることは駄目」という恐ろしく漠然とした道徳観だけで、うまくやってきたのだから日本人というのも不思議な民族である。
「暴食については、ちょっとお話しなければいけないような気がしますが」
「うちそんなに食うかのう」
「非常に」
うんうんと職員たちがうなずく。
「失礼します。こちらに女性のハンターの方……あ、いた」
そんな中、ハンターギルドに一人の男が入ってきた。
カウンター越しに事務室を見て、鬼姫を見つけたらしい。
女神教会の神父であった。
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