4.異世界の悪鬼 上 ※
「この世界には、あなたのように頭に角がある魔物がいるのです」
「ツノ? これかの?」
鬼姫は両手の指で自分の頭の左右の角を指さした。
猫の耳のような場所に、一寸半ぐらいの角がある。
「オーガと言います。体長は2ナートル以上……あなたより頭一つ以上大きい、赤膚で人間の兵士から奪った防具、武器で武装し、村を襲って女をさらいます」
ここまで聞いて、ようやく鬼姫はなぜいきなり斬りかかられたかが理解できた。
いくらなんでも女一人に兵士たちが一斉に斬りかかってきたというのが、おかしいと思っていたのだ。
「赤鬼じゃの。でもなんで人のおなごをさらうんじゃ?」
食うためだったら女でなくてもいいはずだった。
「オーガはオスしかいないのです。オーガだけでは繁殖できない。だから発情期になると他の種族のメスを襲って種付けします」
「なんじゃそれ……。おなごの敵じゃの」
「まさにその通り。メスは何でも良いのです。どんな種族であろうと確実に孕ませ、そして腹を食い破ってオスのオーガが生まれます。妊娠期間中はオーガはその女たちを監禁します」
「……蜂のようじゃの。おーがというのは生き物なんかの?」
「は? 生き物に決まってますが、なんで蜂? 蜂って、蜂蜜を集めるあの蜂?」
「いや、他の虫の幼虫に卵を産み付け、孵った卵が幼虫の体を食い荒らし成虫になるという蜂もいる。寄生蜂じゃの」
「そんな恐ろしい蜂があなたの世界にいたのですか」
「うちのおった日本じゃそんな妖怪はなんぼなんでもおらんかったのう。妖怪が子を産み育てるなんて雪女ぐらいしか聞いたことがあらへんわ」
日本で妖怪と言えば、人、獣といった生き物、あるいは神が化けたものである。鬼姫も本来はそのたぐい。神社に預けられる前の記憶は無いが。
「やはり、あなたはオーガじゃないんですね」
納得したように神父がうなずく。
「あなたがメスのオーガでしたら、人間の女をさらいに来るわけがありません」
「そらそうじゃ」
苦笑いするしかない。
「村民が数日前に……、たぶん偵察だったのでしょう。オーガを見かけたのです。オーガの繁殖期でもありますし、この村を襲いに来ます。だから、近くにいた国境警備隊を呼んで警備をしてもらうことになりました。国軍にも連絡をしたのですが間に合うかどうかわかりません」
「そんな鬼畜な連中、一匹残らず退治したい所じゃの」
「やはりそう思いますか」
鬼姫の目が据わってきた。
「国境警備隊といえどもあの通り。オーガに勝てるかどうかわかりません。あなたの腕を見込んで、ぜひお力をお借りしたいのですが」
「承知」
鬼姫はとんと胸を叩いた。
「だがまず、飯を恵んでくれぬかの……。あと、寝てないんじゃ。床を借りたいの」
神父は大笑いして、腰を折って頭を下げた。
夜。
かがり火が焚かれ、村の柵の周りに兵が配置され見張りを行う。
襲ってくるのは夜だという。厄介な話だ。
柵の門のところでは、大鍋が煮込まれていて、兵士が交代で夕食を食べていた。
「あ、こんばんわっす。ごちそうになってます!」
なぜか兵士たちが鬼姫に対して腰が低い。
「熊の鍋かの?」
「はい、いただいてます!」
少々臭うが栄養満点な鍋が石を組んだ即席の囲炉裏の炭火で煮えている。
「うちにも一杯くれるかの」
「はい、どうぞ!」
器を受け取って食べてみる。
「うん、辛くて面白い味じゃが、食べられんことは無い。まあまあじゃの」
「この村の特産物の香辛料を使ってますから」
本当は味噌や醤油のほうが鬼姫の好みではあるが、ここは西洋。郷に入っては郷に従えである。それにしても箸ではなく匙を使うというのもまた日本とは違う文化だ。こういった文化の違いにも慣れていかなければいけないのかと、鬼姫は内心少々うんざりする。
まあ、不味くは無い。これから長いことこの国に滞在することになるのだから、慣れなければならないことの一つである。
「この熊、どうしたんですか?」
「うちが獲った」
「獲った……。獲ったって、クロクマを?」
兵士一同が青くなる。
「そうじゃが……、ここでは熊は食わんのかの?」
「食いますが……、食いますが、食う以前にまずどうやって獲るかでして。罠でもかければ別ですが」
それは仕方ないかもしれない。鬼姫は自分はともかく人に熊を狩るのは難しいのは知っている。この熊も自分が知っている月の輪熊より大きかった。
「おい、メスオーガ!」
国境警備隊の隊長が声をかけてきた。村に最初に来た時に突っかかってきた兵長である。
「うちはオーガちゃうと言うておろう」
「そうですよ隊長。オーガにメスがいたら村に女をさらいに来るわけがないじゃないですか……。神父さんだってそう言ってましたよ」
熊肉をご馳走になっている兵士がかばってくれる。
「だったらその頭の角はなんなんだ」
「生まれつきじゃ」
「だったらオーガだろ」
「うちはオーガとちゃうわ。鬼子じゃ」
「なんだか知らんが違いなんかあるもんか。だったらこれからやってくるオーガを全部片っ端から討伐してみせろ!」
「もちろんそのつもりじゃ」
鬼姫は背中に手を回すと、ピュッと剣を振り下ろした。異常に鋭い剣の刃音に、完全に無防備だった隊長が硬直する。
「……い、今、その剣どっから抜いた!」
「どうでもよろし。うちの刀じゃ」
「カタナ?」
「鬼切丸。うちの愛刀じゃ」
三尺二寸五分。刃渡りだけで1メートル近い太刀である。おそらくもっと長かった大太刀を磨り上げたもので無銘ではあるが、その長さ大きさ厚さから南北朝時代の古刀で、定寸の日本刀が二尺三寸であることを考えれば常人に振れる刀ではないことがわかると思う。
伝、「鬼切丸」と名付けられた太刀は複数ある。古くは源頼光が酒呑童子を斬った安綱も現存するが、これは何をどう勘違いしたのか「紅葉神社に巣食う鬼」退治に来たどっかの武家のボンボンが勝手に「鬼切丸」と呼んでいたものを鬼姫がぶんどったものである。
もちろんコテンパンに返り討ちにして帰ってもらった。鬼を斬りに来たんだから鬼切丸で別に構わないし、鬼姫が使ってやれば文字通り鬼が斬る刀であろう。鬼姫が何を斬っても、折れず曲がらず今日まで持ちこたえている信頼して間違いない愛刀だ。
「そ、そんな細い剣でオーガが斬れるもんか!」
西洋の両手剣は幅広で諸刃だ。精緻を極めた日本刀に比べれば大きく重い。斬るというよりは、パワーで叩きつける剣である。兵士が盾と板金甲冑を身に着けるようになってそうなった。この世界戦争は無くても魔物が出る。強度のある剣が重用されるのは無理もなかった。
「やってみればわかるわ。ほれ来よったの」
暗闇に、赤い光がぽつぽつと湧く。闇に光る眼だ。
ずしり、重い足音と共に巨体の赤鬼がかがり火に照らされてその醜悪な姿を現した。その数、十匹。
「おー、待ち伏せ」
不気味な低い声であざ笑う。二メートルを軽く超える大鬼。毛のない赤膚に、毛皮の腰巻、額から生えた太く大きな一本の角。まさに西洋の鬼であった。
「待ち伏せやったら隠れとるわお間抜け。これは討伐じゃ」
無造作に鬼切丸を右手にだらりと下げて、鬼姫がかがり火が焚かれた兵たちの前に立った。
「討伐? 俺たち、討伐? お前が?」
ひゃははははははとオーガたちの一団がゲラゲラと下品に笑いだす。
その中から一番大きなオーガが前に出る。
「女、威勢いい。まずお前孕ます」
「御免じゃの」
「お前強い子産む。俺の跡継ぎ」
錆が浮いたどこから略奪してきたかもわからない大きな諸刃の剣を、殺さず峰打ちにするつもりか、刃を横にして振り上げたとき、既に鬼姫は首領と思われるそのオーガの間合いに入り、横一文字に刀を振りぬいていた。
ぴゅるるるると血が飛び、ビンビンに鎌首を上げた一物が毛皮の腰巻を切り裂かれて宙に舞う。
「うぎゃぁあああああ!」
絶叫と共にオーガが股間を押さえて崩れ落ちる。
毛皮の腰巻は案外刃に強い。毛が邪魔をするので叩き切る動作では斬れない。それを斬った鬼姫の剣は、この世界の剣術とは全く違う。
「そんなもんをおっ勃てるには、まだ気が早いわ」
「こ、このメス餓鬼がああああ!」
周りのオーガたちが一斉に剣を抜いて斬りかかるが、鬼姫はことごとくそれをかわして確実に刃を振りぬいていった。
オーガたちは袈裟に手首を斬られ、わき腹を払われ、のどをぱっくりと斬り裂かれ、内股を斬られ、横一文字に腹を裂かれ、骨の無い急所、筋に腱に大動脈ばかりを切り刻まれた。いずれも動けなくなる、血が止まらない急所であった。血しぶきの中をまるでオーガたちの間を舞うように剣を振るう鬼姫にオーガ自慢の得物が当たらず翻弄され続ける。
血宴の舞が終わり、倒れ、もがくオーガの心の臓に、一体一体、ご丁寧に刀を突き刺して止めを刺した。まだ動いている胸から血が湧き水のようにどろり、どろりと鼓動とともにあふれ出した。
九匹。
最後の一匹。一物と左足、右手をざっくり斬られて血が止まらずうずくまる首領のオーガに鬼姫が刀を突き付ける。
「斬れるということは、やはり生き物なのだのう。おぬしが頭だの?」
「お、おまえ……。ツノ、メスのオーガ?」
「うちは鬼子じゃ。オーガとちゃうわ。一緒にせんでほしいわの。おぬし巣があるじゃろ。女を囲う巣が」
その問いにオーガが瞬間、躊躇する。
「なんだ」
「案内してもらおうかの」
「俺、帰らない、親父、復讐に来る。楽しみ」
オーガは薄汚く笑った。
「巣に帰りたいであろう?」
オーガ、無言。
だがその目に一瞬、希望の光がともった。まさかこの状況で、逃げられるかもしれないという希望が。
そして鬼姫はためらいなく片手で横薙ぎに刀を振り、オーガの首をすぱんと刎ねた。
日間総合ランキング初登場79位。よかった異世界転生物はまだまだ人気のあるジャンルでした……。ありがとうございます。
次回「5.異世界の悪鬼 中」




