38.雷獣、落ちる
「起きて!」
「は?」
「起きてよ!!」
「はあ?」
翌日には王都の宿場町、鬼姫は女商人のパールに宿屋に引きずり込まれ、ベッドに放り込まれてそのまま朝になってしまった。記憶がないまま一晩経っている。
「起きてもらわないと今日中に王都に着かないんだけど!」
「はっ!」
鬼姫は飛び起きた。寝起きはいい。
「は? いつの間に宿屋に泊まっておったんじゃ?」
「なんで覚えてないのよ。大変だったんだからね」
パールは激怒である。
「まあいいわ。さっさと身ぎれいにして朝ごはん食べる! あと宿代払う!」
ここまで来て鬼姫は状況を把握した。
「……すまんことしたのう。パール殿の宿賃もうちに払わせてぇな」
「……まあそれなら許す。飲ませたこっちも悪いしね。でもアンタお酒に弱すぎ」
急にニコニコになるパール。
鬼は酒好きだが、酒に弱い。
源頼光に酒を飲まされて討たれた酒呑童子、酒盛りをしていて酔っぱらっているところを襲撃された桃太郎の鬼。史実に昔話に、酒を飲んで失敗した鬼の話は枚挙にいとまがない。そろそろそれが鬼姫の弱点だと認めなければならぬところだ。酔って眠りこけているところを襲われたら、いかに鬼姫とて命はない、かもしれない。
「すまぬの、反省じゃ」
「あんた強いのにねー」
「なんでそう思うんじゃ?」
「昨日さんざん自慢されたから。ハンターカードまで見せてくれたんだからもう言い逃れできないよ。王都まで護衛お願いね」
そんなものまで見せたのかと、懐の巾着を探るとカードも金子もちゃんとあった。寝てる間に懐を探られたりしても別に不思議はなかったと思う。パールがクマールが言っていたように、信用を大切にする商人で良かった。
「王都の周りは安全だとパール殿も言うておっただろうに。ハンターの手助けがいるのかの?」
「そりゃ女一人だから、やっぱり信用できる人はいたほうがいいでしょ」
「うちのこと信用でけるのかの?」
「ここまで一緒にいて野暮なこと言わない。これから途中の店にもどんどん荷下ろししていくからそっちも手伝って」
「はいはい」
王都の手前の町にも酒屋や酒場はある。そこに瓶が入った木箱とか小さい樽とかを納品するのを手伝わされた。もちろん木箱や樽を抱えるのは鬼姫の役目である。
王都は巨大な城壁で囲まれていて、その周りをさらに別の街が取り囲んでおり、それが同心円状に広がっているという、首都であり最大都市であった。
「夜になってしもたのう」
「あははははははは」
笑ってごまかすパール。これなら普通に歩いてきたほうが早く着いた。だがまああちこちの酒場に寄れて、ギルドの掲示板も見ることができたり、多くの人々の生活を見たりと、鬼姫にも学ぶべき点が多かったからそれはいい。
掲示板を見るに、首都近くになると、魔物討伐の依頼は激減していて、そのかわり遠方までの行商、荷運びの護衛依頼が増えてくる。ハンターは魔物の出る田舎の仕事というわけでもなく、流通を担う都市の一員としての業務もあるのだ。
「王都から東へ向かう護衛仕事をやるのもよいであろうのう」
鬼姫一人でハンター十数人分の働きができても、実際には行き交う商人たちを見るに、馬車隊をパーティーで護衛というスタイルである。鬼姫一人では手が回らないから雇ってくれるソロの商人と言う業務はなさそうである。
「大門が閉まってるから、今日はここで野宿だねえ……」
周りを見れば、すでに多くの商人のグループが大門前のまわりの芝生スペースで、テントを立て焚火をし料理を作り、野営している。
「王都の宿は高いからさ、まああんなふうにするのが当たり前の商人たちもいるよ。さ、私たちも夕食にして、寝る準備しよう」
「うちも野宿のほうが多いからかまへんわ」
「へーそうなんだ……。なんか意外」
「さよかのう」
「だって女一人で寝てたら危ないじゃない。私は馬車があるからいいけどさ」
「うちは強いからの」
「はいはい。あはは!」
馬車の荷物は半分になっていた。荷物を積み直してスペースを作り、そこをベッド代わりにする。夕食は焚火で鍋だ。干し肉を煮戻して野菜とスープにする。
「これはうまいのう」
「味付けはさっきやって見せた通り。自分でも作れそう?」
「大丈夫じゃ。のうパール殿、この国に味噌とか醤油とかはあるかのう?」
「……聞いたことないわね」
「さよか……」
やっぱりしょんぼりする鬼姫。
「お茶でも飲んで元気だしな」
理由は聞かないが、それぐらいの気は遣いたいパール。焚火に今度はポットをかける。
「お茶と言うてもこの国じゃ、どうせあの茶色い紅茶じゃろう。そやったら葡萄酒のほうがいいわの」
「しょーがないなー、一本だけよ。あんた前は結局三本もぐびぐび一人で飲んじゃってさ」
笑いながらパールは馬車の荷台から一本持ってきてコルク抜きで抜いてくれた。
「ワインはぐびぐび飲まない! ちゃんと味わって飲んで! 酒蔵の娘の前で飲んでるってことを忘れないでよ?」
「わかったのじゃ」
「あんたいい大人のくせになんか子供みたいなのよねえ……。この先一人で大丈夫なのか心配になっちゃうわ」
「明日でお別れじゃのう」
「そうね」
「いろいろ世話になったの。金貨一枚だったのう。忘れぬうちに渡しておくわ」
鬼姫が懐から巾着を出そうとすると、パールはそれを止める。
「いいわよ。そのワインの代金も要らない。私も手伝ってもらって、こんな強いハンターが一緒で安心だったし、ワインおいしいってほめてくれたし、ずっと楽しかったからもう十分」
「……ありがたいのう」
ワインをちびちび飲んでゆく。
「パール殿は商売が終わったら帰るのかの?」
「そうよー。王都でいろいろ買い付けてからになるけど、酒蔵の娘だし」
「うちは東じゃ」
「東?」
「ずーっと東……」
「東のどこまで?」
「行けるところまで」
「海になっちゃうよ……」
「やっぱり、そうなのかのう……」
酔い始めた鬼姫。知らず、涙がぽたぽた落ちてきた。
「……まあ聞かないよ。東がどうなってるかなんて、私もそうだけどこの国の人間だってよく知らないんだからさ」
そんな時、ゴロゴロと雷が鳴りだした。
「やだ、なんか雨になりそう」
「雨が降ったら困るかの?」
「そりゃそうよ、野営してるんだからさ。ここに寝泊まりしてる他の商人さんだって濡れたくないに決まってるわ」
雷はどんどん近づいてくる。まわりの商人たちのグループも、あわててテントを補強し、火を消して夕食の片付けに取り掛かっている。
「……雷獣じゃの」
「ライジュウ?」
「むじなみたいな二尺ぐらいの幻獣じゃ。白鼻芯によう似とる。雨雲から雨雲に飛び移って雨を連れてくる。雷を落とすのがやっかいじゃが、たまに足を踏み外して大きな音を立てて落ちてくることもあるのう」
「なんだかドジな魔物ねえ。でも雷って電気なのよ? 去年フランクトンっていう学者が凧を上げてさあ……」
「雨になったら困るのであろう? だいたいこうかみなりさんがゴロゴロ鳴っていてはうるさくて眠れんわ」
鬼姫は酔っ払っていた。
ふらふらと立って歩き出す。
「ちょ、手伝ってよ」
パールも焚火を消して鍋や食器を片付け始めたが、鬼姫はあわただしくなってきた周りの商人たちも気にせず、七尺五寸の長弓を取り出した。
雷雲はどんどん近づいてくる。
鬼姫はほとんど真上に向かって弓を構えた。
「なにそのでっかい弓! ちょ、こんな街中でやめてよあんた!」
バシュッ!
パールや、周りの商人たちが止める間もなく鬼姫の矢は天高く打ち放たれた。
「あーあーあーあー……。飲ますんじゃなかった……」
ここは王都の門前。放った矢がどこに落ちても大惨事である。パールは酔っ払いの鬼姫に頭を抱えた。だがその時。
ぎゃぱっ!
はるか上空でなにか叫び声がした!
ばさばさばさっ。物凄い羽音がして、黒く渦を巻く上空からなにか落ちてくる。
きゃおーんと甲高く叫び声を上げながら落ちてきたのは、赤い巨大な怪鳥であった!
ど――――ん! とすさまじいい土煙を上げて芝生に墜落したその翼長二十尺はありそうな鳥に駆け寄った鬼姫は、大薙刀の岩融でその喉を掻き上げる!
矢を受けてじたばたしていた怪鳥は、首から血をたっぷり噴出して、絶命した。
「……鳥なのかのこの世界の雷獣は。これじゃ雷獣じゃなくて雷鳥じゃの」
もう驚くしかない商人たちが周りに集まってくる。
雷は収まり、暗雲はだんだん晴れてきて夜空には月が見えてきた。
「サンダーバード……。本当にいたんだ。西大陸の伝説かと思ってた」
日本にも「雷鳥」はいるが、雷が鳴るような悪天候の時ぐらいしか人の目に触れる場所に現れない天然記念物の希少鳥類。一方北米では先住民に神とも恐れられたサンダーバードは雷の化身、鯨をも捕食する巨大魔物と言われ部族ごとにその伝承は異なる。
「空晴れてきたよ。本物だ……」
「雷鳥が捕獲されたのって、これが初めてじゃないか?」
「聞いたことないもんな!」
商人たちはもう大騒ぎ。
「50枚!」、「100枚!」、「120枚!」
もう競りが始まっている。
「はいはいはい! これは私たちが獲ったんだから、私が扱うよ! 120枚! 他にないかい!」
なぜかパールがしゃしゃり出てきて競り人をはじめていた。
「130枚!」「150枚!」
「155枚!」
そんな騒ぎに関係なく、鬼姫は大薙刀を拭き、きれいにして、そっとそれを消すと馬車の荷台に乗り込み、ぐうぐうと寝てしまった。
次回「39.王都、入城」




