36.一つ目入道 下
サイクロプスが迫ってくる。その巨大さに距離感を見誤った弓兵が恐怖にかられ、構えた手から矢が手汗で滑り、矢が放たれてしまった。
つられて何人かが矢を放つ。
届かない。
「まだだ、矢を無駄遣いするな!」
衛兵の弓兵隊長から声が上がる。
距離、一町半。
「まだだ、引きつけて……」
キリキリキリ……。
鬼姫が弓を引いている。
そのきしむ音に驚いて弓兵たちが鬼姫をいっせいに見た。
身の丈を超える見たことも無い物凄い長弓。
それを鬼姫が引き絞っている。かなり上に向けて。
「おい……」
弓兵の一人が声をかけようとしたとき、その矢は放たれた。
全員が唖然と見守る中、矢はゆるやかに弧を描いて、飛んで行く。
遠すぎる。多くの兵がその矢先を見失ったとき。
うぐぁおおおおお――――!
サイクロプスは目を押さえ、のけぞった!
二矢。
キリキリキリ……。
その立ち姿、場にそぐわぬ美しさに弓兵たちは声も立てられず見守るだけ。
バシュッ!
間髪入れず三矢。
バシュッ!
ぎゃぉおおおお――――!
くぅああああああ――――!
少し遅れて残り二体のサイクロプスが倒れる。
暴れる、のたうち回る。
「うぉおおおおおお――――!」
兵たちの歓声が上がる!
サイクロプスはその声に誘われたか、這いずってこちらへ来る。
「かかれ――――!」
接近したサイクロプスに投石器が石を放ち、バリスタが巨大な杭を打ち込む。
手に手に武器を持った男たちが一斉にかかり、刺し、斬りつける。
弓兵たちも一斉に城門を降り、サイクロプスに駆けつけた。
至近距離から矢を撃ち込む。
魔法使いたちも駆けつけて火や氷をぶつけていた。
鬼姫は一人、城門に残り、その様子を眺めていた。
「やりましたね鬼姫さん!」
フィルサーが石段を上がってきた。
「……あとは任せたのじゃ」
鬼姫はふんっと弓をしならせ、弦を外すとそれを背に回す。
不思議なことに弓も矢筒も消えてなくなる。まるで最初からそんなもの持っていなかったみたいに。
「えーえーえー……。それ、どういう魔法ですか!?」
「聞かんといて」
「聞きたくなるに決まってるでしょー! そんな魔法見たことも無いですよ!」
「うちにも説明できんのじゃて」
鬼姫はかまわず石段を下りていく。
城門の前のサイクロプス、もう動いていない。大方片が付いている。
夕日の西大門。その上でフィルサーは、一人座り込み安堵した。
リーン、リーン、リーン……。
どこからか鈴の音が聞こえてくる。
それはお清めではなく、やむを得なく倒すことになった、一つ目入道のための送りの鈴だ。鈴の音は全ての魂を鎮めるがごとく、静かに鳴り響く……。
「あー……。これは惚れたらダメなやつだなぁ」
フィルサーは残念そうにつぶやいた。
大都市アスラル総がかりの討伐戦、ハンターたちには全員サイクロプスの合同討伐証明が出た。誰が一番手柄かなんてわからないほどの乱戦ではあったが残念ながら報酬はない。
「おいっ報酬が出ないってどういうことだよ!」
文句を言うハンターもいたが、ギルドマスターが辛抱強く説得していた。
「ハンターの後始末はハンターで何とかするのが筋だろ。いいか、誰かがヘマしたときに助けなかったら、お前がヘマしたときに誰が助けてくれる?」
「いや……」
「もともとハンターギルドはそういう相互扶助の理念を第一に掲げている。山の男だって海の男だって、事故があれば一致団結してそいつを助ける。それと同じだ」
「……」
「いつか自分を助けてもらうために、今、人を助けることを損だと思うな。わかったな」
この話をハンターギルドのホールで聞いていて、「なるほど、そういう組合だったのかの」と今更のように鬼姫は感心した。
ハンターギルド、思っていたよりずっとまともな組合だったようである。これからも頼りにしていい存在だと思い直した。
「惜しかったですねえオニヒメさん」
「なにがじゃ」
弓兵、ハンターの弓使いの間ではもちろんあの時の鬼姫の遠射が語り草になっている。一番手柄だとも。なのに職員のフィルサーはちょっと残念そうだ。
街中を二人、並んで歩く。
「本当ならサイクロプス、すごいお金になるんですよ。あの一つ目、蛍石のレンズになってましてね、国の天文部門が大金で買い取ってくれます。天体望遠鏡を作るんだそうで」
「あー、そんなことあの三人組が言うておったの。商人ギルドの連中も」
「それを三つとも鬼姫さんが割っちゃって」
それは惜しかったかもしれない。商人ギルドがサイクロプスの死体を調べて、それはそれは物凄くがっかりしていたと聞かされた。
「なんでうちがやったとわかるんじゃ」
「そりゃあ弓兵全員が鬼姫さんがサイクロプスの目に当てたところを見てますし、鬼姫さんが使った矢、他の誰とも違う見たことない矢でしたし」
あの時は残り三本だった自前の矢を使った。やはりここぞというときは信頼できる日本の矢を使いたかった。
「一つ目の弱点は目に決まっておろう。他にどこを狙うんじゃ」
「わかってますって。教会が喜んで矢を持って行っちゃいましたよ。あのサイクロプスを倒した矢だって、教会で魔除けにするそうで」
「破魔矢か!」
神社も教会も、考えることはおんなじじゃのうと思う。
「というわけで、内緒ですが教会から鬼姫さんに礼金出ています。他言無用ですよ?」
「……まあそれぐらいは貰っても、いいかもしれんのう」
鬼姫はフィルサーから革袋を受け取った。遠慮なく中身を見ると金貨十枚。
少ないようだが他のハンターたちはタダ働きだったので文句も言えない。
「捕まった三人組はどうなったかの?」
「今回は故意性が高く事故扱いにはしませんが、幸い街に被害も出ていませんし、迷惑かけたということで、ハンター資格停止三か月、衛兵への賠償金命令だけです。元々魔物に追われる領民や旅人が領内に逃げてきたら保護するのは領主の義務です。そのために城壁があり衛兵がいるんですから」
「まあそんなら」
縛り首にならないならそれでいい。
「……もうアスラルを出るつもりですか?」
「おぬしほんに気持ち悪いのう」
つづらを背負って旅姿なのだから見ればわかるが。
「この市は気に入りませんでしたか」
「今までで一番面倒事が多かったわ」
「あーあーあー、なるほどねえ……」
それを聞いてフィルサーは肩を落とす。
鬼姫はこの街では有名になりすぎて、やりにくくなっていた。ハンターパーティーの勧誘がいっそうひどいし、商人ギルドの連中まで、「あんたの責任なんだぞ! サイクロプスの目を獲ってきてくれ!」と言いがかりに近い文句を言ってくる。
衛兵の弓兵隊長にいたっては、有無を言わせず隊員にしようと血眼になって鬼姫を探していた。もう長居は無用である。
発つ前に矢職人から注文通りの矢を五十本受け取って礼金を払ったのだが、「なんで俺の矢を使ってくれなかったんですかあ!」とこちらも文句たらたら。
しかし、見本に渡していた唯一残る、日本の職人が作った甲矢と乙矢の二本の矢は返してくれた。これは使わず、ずっと取っておこうと思う。
「世話になったの」
「こちらこそ。東へ行くんですね」
「そうじゃ」
「旅の無事をお祈りしています」
「そちらも達者での!」
鬼姫は手を振って、東門をくぐり抜けた。
つづらを背負い、元気よく歩いてどんどん遠くなる鬼姫の姿に、フィルサーは、ちょっと涙が出た。
次回「37.旅は道連れ世は情け」




