33.研ぎ師鬼姫
朝食を終えてすぐ、宿屋のかまどを借りて、鍋にぐらぐらと湯を沸かす鬼姫。
その鍋に買ってきた茶葉を放り込み、濃い茶を煮立たせる。
「うわっ……。悪く無い匂いなんだけど、なんか凄いね」
宿屋のコックも驚くというもの。
次に七尺の金棒を取り出して同じくかまどの火で炙る。
「うわっ今それどっから出した!」
また驚くコック。磨いて黒光りしているが、ところどころ剥げて地金の鉄が見えている使い込まれた金棒である。
鬼姫は熱くなった金棒を茶が煮え立つ鍋の上に横に渡して、柄杓ですくっては茶を金棒にかけだした。
金棒はみるみるうちに湯気を立て、黒い色に染まっていく。
茶葉のタンニンと鉄の反応でさび止めの黒染めができる。タンニン酸第二鉄は黒の染料としてお歯黒など古くから知られてきた手法で、今でも鉄瓶が錆びたときに沸かしたお茶に浸けるのと同じである。
一刻ほどそれを続けて金棒は鈍く黒光りする、上物になってくれた。
礼を言って金棒を布でくるみ、部屋に戻って冷めるまでそれを吊るす。
次に武器屋で買ってきた砥石のうち、一番細かい仕上げ研ぎを二つ、布巾の上でこすり合わせた。ふわっと舞うような、細かい砥石の粉ができる。
本当はこれを丸く包めるぐらいまでの量にするのだが、そこまではやらず、別の布を縛ってテルテル坊主を作った。
先ほど作った砥石の粉にテルテル坊主の頭を押し付けて、ぽんぽんと刀の刃に打ち付けて表面を粉だらけにする。刀の手入れでよく見る、打ち粉である。
汚れが目立つ大薙刀、使い込んだ鬼切丸、水にぬらしてしまった小太刀にそれぞれやってから、丹念にふき取る。それを鬼姫は半日かけて繰り返した。
波紋も鮮やかにピカピカの刀身を取り戻した愛刀たちに満足した鬼姫は、鍋に浸していた中仕上げ用の砥石を雑巾の上に置き、まずは鬼切丸から、しゃーこ、しゃーこと研ぎ出した。
刃面を全部砥石に当てて研ぐベタ研ぎではなく、少しだけ角度をつけて刃面が砥石に当たらないよう注意しながら刃先だけを研ぐ、いわゆる小刃を研ぐというやつである。寝刃を合わせるともいう。
野獣や魔物を斬る刀だ。刃先まで剃刀のように鋭く、鏡面のように化粧研ぎする必要は無い。あれは実戦に使うことを想定しない大名研ぎであり、あまり美しくなめらかに研ぐと布や毛皮などに当たったとき刃が滑って全く切れないことがある。
刃先に触ってザラつき、ギザギザがあるような少し目の粗い白研ぎが残るほうが最高に皮、肉を断てる刃物となるということを鬼姫は経験で知っている。
美しい艶やかな刀身と刃紋を残したまま、刃先鋭く切れ味優れたきわめて実戦的なぶった切り刀が仕上がった。
次に大薙刀。こちらは柄が長いので目釘を抜き、刀身だけにして研ぐ。
三条宗近の岩融。
平安の末、源義経の家来となった武蔵坊弁慶の得物として知られている。
弁慶が義経を守らんと手傷、矢を受け、それでも倒れることなく立ったまま往生した後、弁慶の祟りを恐れた者が所縁のあった寺社に奉納してもらおうとしたところ、弁慶の生前の悪行の数々のせいか、あるいは義経と敵対していた兄の将軍頼朝に睨まれたか、どこでも断られてしまい流れ流れて紅葉神社に来た。
後の宮司がとある機会に鑑定をしてもらったら「偽物です」と断言され、がっかりした宮司が鬼姫に妖怪退治に好きに使っていいと言ったので、今も鬼姫の手にある。宗近の銘が後世、摩り上げ彫り直した贋物だったのだから仕方がない。
だが、鬼姫はこれが弁慶の得物というのは、案外本当なのではと思うことがある。別に弁慶の霊が夢枕に立ったとか、夢で稽古をつけてくれたとかいうわけではない。野盗同然だった弁慶が宗近のような銘品を所有できたわけがなく、それにもかかわらず数々の戦で使われたことが明らかな傷が残る間違いない古刀の禍々しき逸品。
それなのにこの薙刀にはお祓いをするまでも無く、一切の無念が残っていないのである。鬼姫にはそれがわかる。
主である義経を守り切って本懐を遂げた弁慶。思い残すことなどあっただろうか。その弁慶が使ったにふさわしい薙刀だと鬼姫は思うのだ。
よく拭きあげてから、全部の刃物に布巾に少し丁子油を浸し、さび止めのぬぐいをかける。
古い鉄でできている実戦で長く使われて来た古刀たちは、峰や鎬の角も磨かれるうちに滑らかな丸みが付き、刀傷、さびを落とした跡、見えるようになってしまった槌跡など、一様にぴかぴか光る真新しい刀とは違う、古い道具としての年月を経た貫禄と凄みがある。
こうして大太刀の鬼切丸と、大薙刀の岩融、小太刀を仕上げてニコニコ顔の鬼姫、次に短刀も研ぎ出した。
別に銘品ではない普通の短刀。研ぎに凝らずに中研ぎまでやれば鬼姫も満足なのだが、ついピカピカにしてしまった。こちらは解体、木っ端、枝払いぐらいにしか使わない。刃が無くなればこの世界のナイフでも代用が効くものである。使い捨てていい実用品だった。
仕上げ研ぎまでやらないのは、あまり鋭くすると毛皮や内臓を突き破ってしまってだいなしにしてしまうからだ。こういう刃物は研ぎは荒いほうがザクザク刃が進み、脂が付いても切れ味が落ちない。
なぜ職人が日本刀を、まるで鏡のごとくあそこまでピカピカに磨き上げることにこだわったのかと言うと、鉄地、刃紋といった美術的な美しさを見せるためという目的を除けば、主にさび止めである。
ステンレスではない通常の炭素鋼は湿気ですぐ錆びるものだが、砥石の研ぎ跡がわからないぐらい鏡のようにピカピカに磨くと、案外さびにくくなる。
鏡面ではない研ぎ跡が残る白研ぎのままだと、いくら拭いても表面に残る傷に水分や汚れが残りやすいということだろう。
こうして気が済むまで研ぎあげたら、もう日が暮れていた。そろそろ夕食の時間である。
「ふうー」
ピカピカになった大薙刀の岩融、大太刀の鬼切丸、小太刀、十手、短刀、金棒。
それをベッドに並べて、鬼姫は笑顔になった。
意外なようだが、この世界に来て一番、充実した一日だったかもしれない……。
連載一か月、ジャンル別月間ハイファンタジー72位ありがとうございます!
次回「34.甲矢と乙矢」




