30.女郎蜘蛛の館 下
「ほな参る……」
たすきを掛け袖をまくった鬼姫は、まず蜘蛛の糸でガチガチに固められた館の入口を短刀でバリバリと引きはがした。大きなドアを全部露わにする。
この時点でもう既に中にいるアラクネには気付かれている。蜘蛛は張り巡らせた糸の振動を感知して獲物がかかったことを知る。正面玄関ホールで待ち構えているに違いない。だが、鬼姫はかまわず大薙刀の岩融を後ろ手に構え、正門を蹴り飛ばした!
「推参!」
大声を上げて突入すると、うすぼんやりとした暗がりの真正面に少し驚いた顔をした女が立っていた。
むわりとした臭気が漂う。
「これは殿御はしんぼうならんだろうのっ!」
上半身は裸である。金髪もたわわな胸も美しい、大変な美女であった。
瞬時に目の前に五芒星の防御を展開した鬼姫は、目を見開いたその女に一瞬で迫り、大薙刀を横一文字に振るう!
「ぎゃぁあああああ!」
胴抜きに腹が切断され、女の上半身がぼとりと落ちる!
一ッ胴である。
現代では考えられないが、昔は罪人の遺体を使って、土壇場で本当に人体の試し切りが行われていた。刀の茎、あるいは折り紙に一ッ胴、二ッ胴と書かれていれば、それは実際に御様御用の幕府お抱え役人が大名などの依頼を受けて剣の試し切りを行ったという証紙だ。日本刀は実際に人間の胴を切断するだけの切れ味があったということである。
専門職がいたぐらいであるから、もちろん誰にでもできる技ではない。これを薙刀でやる鬼姫が凄いのだ。
「まだじゃ!」
女郎蜘蛛。
女に化けた部分はただの疑似餌。その斬られた胴の下は、這いまわる大蜘蛛だ。女の体を切り落としたぐらいでは、まだ触手を一本むしっただけに等しい。本体の蜘蛛は無傷である。その証拠に斬られた体液が滴る女の下半身の下には、八つの目と、くわっと開けられた口と左右に牙がある!
八本ある脚の前足二本にねばぁああと糸を張った蜘蛛が鬼姫に覆いかぶさろうとしてきた。
その糸に大薙刀がからめとられる。
「しゅっ!」
鬼姫は火を吹いた。
口からぼぉおおおおおお――――っと盛大に火炎を吹く!
糸の絡んだ大薙刀が火に包まれる。巻きついた糸が焼き切れる。
炎に身を引いた大蜘蛛に、すかさず火が着いたままの薙刀で薙ぎ払う。
前足が飛んだ。
この大きさともなると蜘蛛とはいえその外骨格はカニのように固い。鬼姫は正確にその節を斬り飛ばした。
蜘蛛は玄関ホール中に張り巡らせた網のような糸を伝って後じさりに上に逃げる。
まだ火がくすぶって煙を上げる薙刀を玄関ホールから外に投げた。
「うわああ!」
ホールから飛んできた二尺五寸の薙刀刃に、外で待機していた衛兵がたまらず逃げる。
その時にはもう鬼姫は弓を引いて、天井の蜘蛛に向かって二矢、三矢を放っていた。ざくざくと頭に矢を受け、自らの網に絡まりながら転がり落ちてくる大蜘蛛。
それに巻き込まれないよう鬼姫はホールから飛び出して外に出た。
丸まって、玄関扉にどすんと挟まった大蜘蛛。すかさず弓を放り投げ、大薙刀を拾い、二度、三度と斬りつける。
腹が割れ、どろりと中身が流れ出す。だがそれぐらいでは虫は死なない。大蜘蛛はなおも自ら身を転がし、鬼姫に向かって頭を上げ、その口の牙をかぁあっと開いた。
瞬時に蜘蛛の横に間合いを詰めた鬼姫は、下からすくった大薙刀を振り上げて、その頭を斬り飛ばした。
なぜか尻ではなく、口から糸を吐きかけた大蜘蛛の頭は、自ら吐いた糸を絡ませたままごろごろと転がった……。
虫が完全に死ぬのは時間がかかる。正面扉に挟まったまま四半刻はぴくぴく、うねうねと動いていただろう。
「頭は切り落としたのじゃ。もう大丈夫」
鬼姫はそうは言うのだが、見ていた衛兵、領主子息は、今にも蜘蛛が蘇って暴れ出さないか気が気ではない。
完全に沈黙した大蜘蛛にロープをかけ、馬で引いてもらって館から引きずり出した。ものすごい悪臭が漂った。
「男たちは近づくでない。臭気に惑わされるぞ」
男を惑わす……今でいうフェロモンだろうか。こうして男をだまして捕らえ食ってきた醜い大蜘蛛であるアラクネの正体があらわになった。
鬼姫はつづらから小瓶を出して屋敷に入ってゆく。
屋敷のホールには、体液が抜けてしわしわになった女の上半身裸の死体がある。
短刀を出してその死体を切り刻んでゆく。ちょっと表の連中には見せられない凄惨な姿である。
その疑似餌だった女の死体から臓物を切り取った鬼姫は、それを瓶に入れて出てきた。
「……なんです? それ」
三人娘の一人が不思議そうに聞いてきた。
「香袋じゃ」
「あの、香袋って……」
「まあ、討伐証明じゃの。さ、おなごども、働け働け!」
「うう、なんで私たちがこんなこと……」
三人娘も含めて、女たち総出で正面玄関ホール前の広場でアラクネの死骸に薪を積み上げる。これは男どもがやれば気に当てられて倒れてしまうのだから、女がやらないと駄目な仕事だ。
「ほれ、出番じゃ火の魔法使い。これを燃やすんじゃ」
「はいっ。天にまします女神様、我に炎の加護与えたまえ。その力邪気なる者を打ち滅ぼす火球となりて我が敵を……」
「とろくさいのう」
こりゃダメだ。とても実戦では使えんと鬼姫は肩をすくめた。
切り落としてしわしわになった裸女の上半身も、蜘蛛の頭も、薪が燃え上がる炎の中に放り込む。
「禊をしたい。風呂を用意してくれぬかの。衣も洗濯したいのじゃ」
「あう……、わ、わかりました。急いで用意させます」
領主の子息アランは顔を赤らめどぎまぎする。
今の鬼姫は、アラクネのフェロモンを浴びて壮絶な色気を放っていた。
もうピンクのもやが可視化して見えそうなぐらい……。
周りの男たちがたまらず前かがみになるぐらい……。
これでは話にならない。
別邸のメイドに案内され、鬼姫は風呂を使うことができた。脱いだ巫女装束も洗濯を頼む。メイドの勧めで、今夜は別邸に全員泊っていっていいらしい。
しゃなりしゃなりと、つづらから出した着替えの巫女装束と羽織をまとった鬼姫は、祓串と鈴を持って、まだ火葬が続くアラクネの焚火の前に歩み寄る。
リーン。
掛けまくも畏き
伊邪那岐の大神
筑紫の日向の橘の
小門の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に
生りませる祓戸の大神たち
先ほどの壮絶な色香をまとっていた鬼姫とはまた全く違う、美しく、清楚で、荘厳な祝詞の響きに周りにいた男たち、三人娘も見惚れていた……。
諸々の禍事、罪、穢、有らむをば
祓え給い
清め給へと白す事を
聞こし食せと
恐み恐みも白す
リーン、リーン、リーン。
お清めが終わると、屋敷にまとわりついていた淫靡な香りが無くなっていた。
「さ、男ども。屋敷を捜索しいや。どこかに領主と執事の遺体が糸でぐるぐる巻きにされておるはずじゃ。もし卵を産み付けられておるようなら、早々に火葬にせい!」
「うっ……。わかりましたあ――――!」
子息、使用人の男たちの屋敷の捜索は徹夜で行われたが、その間に鬼姫と三人娘は別邸客室に宿を借り、豪華な夕食をご馳走になって朝までぐうぐう眠りこけた。
翌朝、領主子息アランは自分の馬車を貸してくれた。礼を尽くしたいのだろう。
徹夜作業で鬼姫の言う通り、領主の遺体は糸にぐるぐる巻きにされ発見された。執事ともども、体に卵を産み付けられていたようで、今日にも火葬にするとのこと。
討伐証明にサインをしてもらって受け取り、借りた馬車と領主の御者でアスラル、ハンターギルドまで戻る。鬼姫と一緒の馬車で、なぜか三人娘は終始黙り込みあのかしましさは影を潜めていた。
「よかったのうおぬしたち。おなごにしかできぬ仕事がぎょうさんあったぞ。実力を証明できたのう。アラクネ討伐の報酬、四人で山分けじゃ!」
「……」
三人娘、不気味に無言でおとなしかった。仕方なし、鬼姫は黙って馬車から外を眺めた。
「さすがです鬼姫さん。やってくれましたねえ!」
「なんだかやっちゃダメみたいな言い方じゃの」
ハンターギルドではギルド職員の例の若い男が出迎えてくれた。長らく解決しなかった事件に片が付いたのだからやはり嬉しいものらしい。
「討伐証明、確かに受け付けました。カード出してください」
「ほれ」
「お三方は?」
手を伸ばされたが、三人娘、かぶりをふる。
「……いえ、私たち、今回は見てただけで」
「お役に立ててませんで」
「その、一緒に討伐したわけではなくて」
「んー、どういうことじゃ? 力を見せて実力を証明したいんじゃなかったのかのう?」
鬼姫は心底不思議そうに三人を見る。ほれっほれっと手を前に出してカードを出すよう真面目に勧める。
「い、イヤです! だってカードに『アラクネ』って裏書きされたら、次またアラクネが出たときに私たちで討伐しないといけないんでしょ!」
「そらそうじゃ」
「無理です! 絶対無理!」
「はっはっはっは!」
ギルドホールが爆笑に包まれた。
「では鬼姫さんの案内ご苦労様でした。今回はカードに裏書きすることがありませんので手数料なしでお一人金貨一枚ずつお渡しします」
鬼姫を案内するうちに、道に出た魔物と闘ったとか言うのであれば護衛実績ぐらいは付いたはずだが、残念である。
三人娘、一人金貨一枚ずつもらってほろ苦い笑いを浮かべた。報酬より勉強になったことのほうが多かったであろう。
「うちはのう、このカードをもらった時に、言われたことがあるのじゃ」
「?」
「ぱーてぃーめんばーはよく選べとな」
少女たちはバツが悪そうに眼をそらした。
「いそがんでもええ。おんなじぐらいの人を見つけて、おんなじぐらいの仕事をして、みんなでおんなじ苦労をして、そうせんと本当の仲間っちゅうのはできんと思うのじゃ」
「ごめんなさい……」
少女たち三人は申し訳なさそうに鬼姫に頭を下げた。
「まあ、おぬしらようやったの。うちからお駄賃じゃ。少ないがの」
鬼姫は気前よく金貨十枚を三人に渡した。
三人娘は「きゃー」とか言いながら大喜び。頭を下げて受け取った。十枚を三人でどう分けるかは知らないが、当分三人で協力し合って頑張るならそれもいいだろう。
「では鬼姫さんの報酬です。金貨五十枚。あと領主の討伐証明にプラス二十枚書き込まれていましたので七十枚です。ギルドで建て替えておきます」
「そんな心づけしてくれてたのかの、あの跡継ぎ」
「よっぽど感謝してくれていたのでしょうね。白金貨一枚と、金貨二十枚受け取ってください」
「おおきに」
「手数料一割で金貨七枚、お願いします」
「はい」
さて、ここまではいつものやり取りである。
「で、これ買い取ってくれないかの。女郎蜘蛛の香袋じゃ!」
鬼姫はつづらから瓶を出した。なにか気味悪い臓物が入っている!
「はあ?」
「強力な媚薬になるんじゃ。香にすれば男はいちころじゃ! そらあもう貴族だの王様だのに高値で売れるぞ。商人どもを呼んできてほしいのじゃ!」
「はああっ?」
鬼姫はドヤ顔だが、ギルドホールが凍り付いた。
「……どうしはったん?」
「それ禁止薬物です」
「はあ?」
「ダメ、絶対ダメです。扱えません。持ってるだけで直ちに逮捕です。昔、王子がそれでかどわかされて公爵令嬢の婚約破棄騒ぎになった歴史もあり、媚薬は重罪なんです、この国では」
「はああ?」
これには鬼姫がぽかーんである。
「直ちに焼却処分します。汚物は消毒です。立ち会ってください」
もうすぐにギルドの裏、ゴミの焼却炉に投げ込まれ、ギルドの魔法管理職員が数人集まり、強力な炎魔法で滅却処分された。
鬼姫に立ち会わせるのは、横取りして金にするなんてことはしないということである。鬼姫は知らなかったこともあり、お咎めなしで無かったことにしてもらえたが、それを一部始終立ち会わされて見ていた鬼姫の情けない顔ったらなかった。
次回「31.鬼姫の得物」




