24.餓鬼道 下
「鬼姫さーん、そろそろ」
教会の裏で老女のシスターが鬼姫に声をかけてくる。
鬼姫は芝生の上で台に置いたお札に、正座して祝詞を捧げ祓串を振っていた。
「……神火清明、神水清明、神風清明……」
お札を書いて祈りを捧げていたということになる。
「なにやってるんですか?」
「お守りじゃ。安らかに眠れるようにの」
その日、教会では一件の葬儀が行われていた。病没した、一般平民の男である。鬼姫は深く頭を下げて、その霊符を拾い上げた。
祭壇前では故人に対して納棺の儀が行われていた。花に囲まれた安らかに眠る遺体に家族の者たちが涙する、おごそかな式であった。
個人の家族、友人たちが棺に思い出の品を納めてゆく。
最後に、鬼姫も前に進み出て、霊符を遺体の胸に置いた。
参列者には鬼姫が何をやっているのかはわからなかっただろうが、神父が何も言わずその様子を見守っていたため、止める者はいなかった。
棺は家族、友人たちに担がれ、馬車で城壁外の墓地に送られ、土がかけられ埋められた。この世界ではよくある普通の、良い葬儀だった……。
深夜、三日月のかすかな光。
三人の男たちが、わっせわっせと今日埋められたばかりの墓をスコップで掘り返す。ローブで姿かたちを隠していた。
立ててあった仮設の墓標は投げ捨てられていた。一見、墓泥棒である。
街に近いとはいえ、深夜は野生動物、魔物、魔獣がうろつくこの世界、城壁外を歩く市民はいなかった。
四半刻の作業で埋められた棺があらわになる。
棺の蓋が開けられ、一人の男が進み出て、棺に眠る遺体になにかの粉のようなものを振りかけた……。
一人が杖を立てて念じる。呪文は三人が唱和し、魔法陣が展開された。
そして杖を持っていた一人がゆっくりと遺体に杖を向け……。
黒い靄のようなものが棺に向かって放たれると、その靄は跳ね返って三人の男たちに襲いかかった!
「うわあああああ――――!!」
「ぎゃああああ――――!」
「ひいい――――!」
三人の男たちはそれぞれに叫び、転がりまわった。
「今じゃ!」
暗闇の中から鬼姫の声が上がり、隠れていた衛兵隊がそれぞれランタンに点火して一斉に飛び出した!
うげぇええ……。ぐぅあああぁぁあ……。ぐるるるるぅる……。
三人の男たちは顔は青ざめ、身は震え、よろよろと立ち上がる。
「確保だ」
小隊長のボブが部下たちと男たちを抑え込み、縛り上げる。
多勢に無勢、確保は簡単だった。
「来ましたね。鬼姫さんの言う通りでした」
「……こないに簡単に引っかかるなんて、アホすぎる下手人じゃのう」
ボブは数人の部下たちと馬車に男たちを詰め込み、護送するため町に戻った。
残された衛兵隊で、墓を埋め直し、墓標を立てて元に戻す。
残っていた鬼姫は、墓の周りにランタンを置くように衛兵隊に頼み、お清めの祝詞を捧げ祓串を振る。
リーン。
掛けまくも畏き
伊邪那岐の大神
筑紫の日向の橘の
小門の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に
生りませる祓戸の大神たち
「……これ、レミテス教と違うんじゃね?」
「しっ、黙ってろって」
なぜか一緒に膝をついて祈る衛兵隊たち。
諸々の禍事、罪、穢、有らむをば
祓え給い
清め給へと白す事を
聞こし食せと
恐み恐みも白す
リーン、リーン、リーン。
ランタンに照らされた荘厳で美しい、鬼姫の巫女姿に、男たちは見とれてしまって、宗教の違いなど気にならなくなってしまっていた……。
「えー、それ、俺も見たかった……」
後で部下から話を聞いた小隊長のボブが残念がったのは言うまでもない。
「ただのお清めじゃ。やっておかんと気味悪いのでの。で、男たちの身元は分かったかの?」
「まだわかんないんですが、三人とももう完全にゾンビですよねあれ。縛っておかないと暴れ出す始末でして……、なにやったんです鬼姫さん」
「厄返しの環呪詛符じゃ。そいつらがやろうとしておった餓鬼に落とすための魔術が、そのまんま自分に跳ね返って取り憑いたということになるのう」
「はー……。そんなことまでできるんですか鬼姫さん。しかしゾンビ化魔法、生きてるやつにも効くんですねえ」
「それだけ術者がヘボだったちゅうことじゃ。やまとの護符がそのまんま効くなんてこちらの魔法とやらも、うちも大した術とは思えんようになってきたのう」
この人、ほんとに何者なんだと新ためて鬼姫を見るボブである。
「とにかく、後はこっちでやっときます。身元も少なくとも一人は名の知れた魔法使いでしょうし、その方面から黒幕もわかるはず。任せてください」
「頼むの。うちはこれ以上かかわりたくないわの」
「まあそうでしょうねえ……。お約束通り討伐証明出ます。こちら、受け取ってください。領主のパーセル伯爵様から事が終わったら渡しておけと頼まれていました」
そうして領主のサインがされた討伐証明書をもらった。
「今度こそお別れですかね」
「あんまりいいことが無かった町なのでのう」
「そこは申し訳ありませんでした。お元気で、鬼姫さん」
「達者での、ボブ」
そして二人はニッと笑った。
ハンターギルドで討伐証明書とハンターカードを、久々に顔を合わせた受付のリラエテに提出する。
「ゾンビ!? しばらく見ないと思ってたら、こんなことやってたんですかあオニヒメさん!」
「ギルドに依頼来ておるはずじゃが。領主様から」
「なにかやるんだったら担当の私に一言声かけてくださいよお!」
「だから領主から依頼が来ておろう」
「あっはい! 少々お待ちください!」
ゾンビと術者を討伐、このギルドでも前代未聞の大ニュースである!
ギルドの事務所は大騒ぎになったが、確かに領主直々に鬼姫への指名依頼があり、その領主が依頼完了を認めたとなれば疑いようもない。即刻、報酬の金貨五十枚に相当する白金貨が一枚払われ、カードに「ゾンビ」が追記された。
「ずっとこの町にいてくれるんですよね……?」
リラエテは念を押すが。
「今日旅立つ。世話になったの」
それを聞いてがっくりする。言うまでもなく鬼姫はつづらを背負ってすでに旅姿。引き留めることは無理そうだ。
「手数料、金貨五枚です!」
鬼姫はギルドに寄った後に、世話になった教会の老シスターに孤児院に寄付してくれと、受け取ったばかりの白金貨を一枚渡した。三人の子供たちのせめてもの助けになればと思っての事だったが、もうしつこいぐらいに礼を言われてやっと街を出られてほっとしたぐらいである。
「悪い町ではないんじゃが、もう来たくないのう……」
また東門をくぐる。
「鬼姫さん! 良い旅をお祈りします!」
なんと、並ぶ小隊が全員敬礼してくれる。
「やめいやめい、こっぱずかしいわ!」
鬼姫はにへらと笑って駆け出し町を離れる。
後日、魔法使いたちの宿に残された持ち物から黒幕は金商人で、集落の山師たちが発見した新しい砂金鉱脈を聞き出し、独占するためにこの暴挙に及んだことが発覚した。
高名ではあるが怪しげな術を研究している異端の魔法使いが雇われていたのである。結果はゾンビ化魔法はまだ未熟でうまくいかず、ただ暴れるだけの餓鬼となる失敗作であった。魔法使いは術を改良した新しい術式を試すため、近場の墓場で再度テストを行おうとしたが、鬼姫の妨害もあって自らその魔法にかかり、弟子ともども再起不能の廃人になったようである。
金商人は逮捕され、山師たちが発見したという新しい金鉱脈の場所はわからないままとなったが、伯爵はそれに執着するような人物では無かった。
そんな棚ボタの金儲け、国王と揉めるだけ。まっとうな商売で儲けるほうがはるかに効率が良いと考える賢君であったらしい。
もちろん鬼姫は、そんなことがあったとは知らず、通行止めとなったハーンズ街道を避ける遠回りの道を、東に、東にと歩き出した。
次回「25.天邪鬼とたぬき 上」




