18.老婆の小屋 上 ※
山越えである。
鬼姫はつづらを背負い、山道を登っていた。
どうもさっきから街道を外れ、道に迷ったような気がして仕方がない。
日が暮れてしまって、方角もわからなくなっていた。
「どんくさだったのう……。戻るのも面倒だし、今日は野宿にするかのう……」
そんなことをぶつぶつつぶやきながらも、足を止めない。
「それにこの妖気、ちと気になるしのう……」
方位陣を取り出して方角を測る。くるくると空中で回る紙片が一方向を指し示して止まる。
「やはりのう」
完全に日が落ちた暗闇。
鬼姫はつづらからランタンを取り出し、口から火を噴いて灯りをつける。
「この提灯も返すの忘れておったの」
最初の村で借りたランタンである。鬼姫は夜目が利くし、真っ暗でも歩くのに不自由は無いが、何の灯りも無く夜道を歩く女と言うのも怪しすぎる。
人に出会ってしまった時の言い訳みたいなものであった。
しばらく歩くと、灯りが見えた。
近づくと、板張りの粗末な小屋である。
その家の前に、真夜中にもかかわらず老婆が立っていた。
「おや、旅の人かえ?」
そちらもランタンを下げ、にこにこと話しかけてくる老婆。先が曲がった杖を突き、黒いローブをかぶり、三角の妙に尖った帽子をかぶっていた。
「道に迷ったようで道中難儀しておるんじゃ」
「若い娘が、それは大変でしょう……。良かったら泊まっていくかえ? この山は道が険しい。明るくなってから行ったほうが良いと思いますな?」
誘ってくる。一見、にこやかで優しそうに。
「そらありがたいの。大して礼もできぬが、世話になるのじゃ!」
鬼姫は喜んでそう答えた。
「おばば殿は、外で何をしておったんじゃ?」
「月を眺め、星を占っておった。困りびとが来ると思ってな」
小さな小屋の中は、瓶詰めされた薬草、干してある動植物、獣の革や骨、角でぎっしりだった。臭いが酷い。
「腹はすいておらぬかえ? なにかつくってあげようかえ?」
「いや結構。腹はすいておらぬのでのう」
「まあまあそういわず」
ひどい臭いの冷めた椀を差し出してくる。
「失礼ながら」
「まあまあまあ……」
老婆はその臭い椀を、テーブルに置いた。
「娘さん、名前はなんと申すのかのう?」
「鬼姫じゃ。世話になるの」
「……おにひめなあ……。おにひめ……」
老婆はその名を聞いて、なにか陣をびっしり書き込んだ紙の中央にさらさらと書いた。
「なんで名前を書くのかのう?」
「年を取ると、物事がなかなか覚えられなくてねえ」
老婆は、にたりと笑って、振り向いた。
「お嬢ちゃん、髪を一本、くれぬかね?」
「はい」
急に素直になった鬼姫は、髪を一本抜いて、渡す。
部屋の中央には、なにか大きな鍋が火にかけてある。
老婆はその鍋に鬼姫の髪を放り込んだ。
「お嬢ちゃん、これを飲んでくれるかね?」
「はい」
先ほどテーブルに置かれた椀を、鬼姫はずびずびとすすり飲んだ。
「お嬢ちゃん、風呂にはいっていかぬかね?」
「はい」
そして、鬼姫はその、人ひとりが入れる大鍋に服を脱いで、身を沈めた。
「若がえりの~お、若がえりの~お、若がえりの~お」
老婆は大鍋を載せたかまどにどんどん薪をくべる。
薪は盛大に燃え上がり、湯はどんどん煮え立ってきた。
「若がえりの~お」
湯あたりでとろんとした鬼姫が湯に沈み込んだところで鍋にふたをする。
「若がえりの~お、若がえりの~お」
鍋はもうぐつぐつ煮立って、湯気を噴き出していた。
老婆は棚からいくつもの薬草の瓶を降ろし、それを鍋に入れようと蓋を開けた。
その時!
鍋から湯が噴出した!
「うぁあああちちちち!」
湯を浴びて老婆が土間を転がる。
「なんじゃあああああ!」
「鬼が山姥ごときにひっかかるかの!」
裸の鬼姫が一瞬で鍋から飛び出すと、ひゅるるると狭い小屋の中をめちゃめちゃに吹き飛ばしながら風が巻いた。
「何者じゃおぬし!」
老婆は鬼姫に杖をむけ、魔法を放った!
「厄返し!」
鬼姫の前に一瞬で五芒星の印が結ばれ、光る。
老婆の放った魔法は、五芒星に防がれ、跳ね返った!
「ぎゃあああああああ!」
ぷすぷすと焼ける老婆。焦げた臭いが狭い小屋に立ち込める。
五芒星は木、土、水、火、金の五大元素を方位陣にしたものである。
木は土に勝り、土は水に勝り、水は火に勝り、火は金に勝り、金は木に勝る。
全属性に防御を張る守護の陣であった。
鬼姫はこれを五本の指にそれぞれの元素を見立てて発動する。手のひらを広げて前に突き出すだけで印となるので発動が速かった。
行儀悪いことはなはだしいが、鬼姫は先ほどふるまわれた椀の汁を吐き出す。
「んむむむむむ、げえええええ~~~~。ぺっぺっ、うええ、ひどい味じゃ。いったいなんの薬じゃ……」
「な、な、な……。なんで操りが効かぬ……」
息も絶え絶えの老婆、悔し気にのたうち回る。
「これかの」
そう言って拾いあげた先ほどの魔法陣紙には、驚くことに中央には名乗った「オニヒメ」ではなく、鬼姫の本名が書いてあった。偽名を見破られていたのである。
「名を偽っていたのではないのかあああ!」
「偽ったわ」
「なぜじゃああああ!」
「やかましい!」
鬼姫は目を吊り上げ、歯が尖った鬼の形相で土間に転がる老婆の首を踏みつけ、折った。
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次回「19.老婆の小屋 下」




