15.変態かまいたち 上 ※
次の……市の規模を持つ大きな城塞町、ラルド。
その町全体を取り囲んだ土塁に鬼姫は驚いた。
「町全体が曲輪に囲まれておるんじゃのう。すごいのう……」
これだけの土方奉公、大変であっただろうと思う。
だが、到着したのはもう深夜であった。
仕方なしと、土塁の一角に立てられた大きな門の前で寝ることも考えたが、かがり火が焚かれていることから誰か起きていると思われ、一応声をかけてみることにした。
「たのもうー!」
……。
「たのもうー!」
「……なんだ?」
大門の高い木窓が開いて男が顔を出した。
兜をかぶって南蛮甲冑を着ているから門番であろう。
「夜分の推参誠に申し訳ない。旅の者じゃ。入領を受け付けていただきたいが、夜分ゆえかなわぬのなら門前で寝るのを許していただきたいの」
「おいおい、いくら何でも女一人、こんな夜中に門前で寝かせておくほど俺は薄情じゃねーよ。ちょっと待ってな」
木窓が閉じて、しばらくして大門の横のくぐり戸が開けられた。
「そんなところで寝てたら野獣に食われちまう。さ、入んな」
「おおきにの」
そして鬼姫はくぐり戸の中、大門の小部屋に案内された。
「明日までここの部屋使っていい。受付が済むまでの待合所だ。悪いがカギをかけておくからまだ街の側のドアは明日の朝まで立ち入り禁止だ。ここはラルドって町で、入領は明日になるが身元は聞かせてもらおうかな。姉ちゃんなんで旅してる?」
「うちはハンターじゃ」
ハンターカードを出して見せる。カードをくれた白髪の隻眼男のギルドマスターはこれでどこでも通れると言っていた。
「……本物だな。女のハンターってのも珍しい」
門番は裏も見ずすぐにカードを返してくれた。
「通れるかの?」
「通れる通れる。どこの町でもハンターは人手不足さ。腕があるならすぐにどっかのパーティーからお呼びがかかるだろ。でも街に入るのは明るくなってからにしたほうがいいな。木の長椅子ぐらいしかここにはないが、朝までここで休んでくれ。悪いけど」
「夜に街に入るのはやはりだめかの。まだやっとる宿屋もあると思うがの」
「ダメだダメだ! 今、街に切り裂き魔が出てるんだよ!」
男の顔が怖くなった。切り裂き魔とは聞き捨てならない。
「なんじゃその切り裂き魔って」
「夜中にな、立て続けに娼婦が惨殺されてんだ。鋭いナイフみたいなやつで、のどを切られ、腹を裂かれ、切り刻まれて……。そんな被害がもう六件も発生してる。姉ちゃんも危ない。夜に街に入れるわけにはいかないねえ」
娼婦と言うのはこちらで言う遊女であるというのは鬼姫も理解している。
「辻斬りかのう?」
「つじぎり?」
「武人ちゅう奴は戦がないと腕を持て余すもんじゃ。元服(成人)して侍になったにもかかわらず世が平和で人を斬ったことがない者も増える。そうすると腕試しに無辜の民を切り捨てる不届き者も現れる。切り捨て御免と、高位のお家には罪に問われない者もおるから、そんな阿呆をやるのはボンボンが多いがの」
実際、腕を持て余す武士くずれが、ただ「人斬りをしてみたい」と辻斬りをやるという事件は日本にもあったのだ。この世界であってもおかしくはない。
「剣士騎士のたぐいだったら剣を使うだろう。それにそんな奴は女なんて狙わない。使われたのはナイフなんだよ。それもめちゃめちゃ切れ味がいいやつらしい」
「うーん、まるで鎌鼬じゃの」
「カマイタチ?」
「飯綱とも言う。目に見えぬほどの速さで動く妖怪じゃの。風のように通り抜け、鎌のような鋭い爪でいきなり体をスパッと斬って逃げてゆく。切れ味が凄すぎて血があんまり出ないというぐらいの手練れでのう」
「そんな魔物聞いたことも無い。それにやられた女は内臓を切り取られて持ち出された例も三つもある。犯人は医者じゃないかとか、人食い魔物っていう奴も、いるぐらいさ……」
確かに異常である。
「狙われるのは娼婦だけなのかの?」
「娼婦だけだ。今のところはだが」
「ふーむ……娼婦に強い恨みを持つものなのかのう……。こっぴどく振られた殿御には遊女に恨みを募らす者もおるからのう……」
色街の遊女は、客が遊女を選べたが、遊女も客を選べた。無粋な客は追い出されることもあったと聞く。
「やっぱりハンターなんだな姉ちゃん。カードもう一度見せてくれ」
カードを渡す。門番はそれを裏返して驚愕した。
「オーガ、マンティコラ、マーマン! えええ! ほんとかいコレ!」
「んー信じる信じないはそっちの勝手じゃがの」
「……とてもそうは見えん。女にしては大柄だし、こんな夜道を一人で歩いてくるなんてただモンじゃないとは思ったが……」
門番は上から下までしげしげと鬼姫を見る。
「そのツノなんだ?」
「生まれつきじゃ」
「……まあいいや。姉ちゃん、やる気ならやっぱり、今夜はここで泊まって、明日の朝にハンターギルドに行ったほうがいいな。そこで情報もらうのもいいし、仕事を引き受けるのもいいだろうさ」
そして、ランプ一つの暗い部屋で、木の長椅子に横になって鬼姫は朝までぐっすり眠った。
翌朝、門の業務が始まり、鬼姫は一番に通行を許され街に入った。昨日の門番に一礼し、旅のつづらを背負って城壁都市ラルドに入る。
今までで一番大きな町で、煉瓦造り、漆喰塗りの建物が並ぶ市である。
門の近くには子供たちがいて、「ラルドの案内はいらんかねー、ラルドの案内はいらんかねー」と声を上げていた。
子供たちも労働しているのは別に珍しくもない。こうして見知らぬ街に来た客相手に道案内を生業にしている子供もいるということだろう。
鬼姫も初めて来た街であるし、そういう商売があるなら頼んでもいいと思った。
「ハンターギルドまで頼めるかのう!」
そう子供たちに声をかけるとうわーっと集まってきて取り囲まれた。
「これ、触るな! そこのわっぱ金袋をぱちるでない!」
どうやって盗んだのか、鬼姫の懐にあった小銭袋をつかんだ小さい手を持ち上げ片手でぶら下げる。
「ぎゃ――――!」
その汚い男の子から革の袋をもぎとって、体を放り投げた。
転がる男の子。すり、かっぱらいも兼ねているのだからたちが悪いというものである。
「ごめんよ姉ちゃん。俺たちゃあんなんじゃなくて、ちゃんと案内してるからさ、雇ってよ」
まともそうな子供たちもいて、しょぼんとして申し訳なさそうに鬼姫を見る。
「んー、じゃそこの子、頼めるかの?」
後ろのほうでもじもじしていた小柄の、帽子をかぶってうつむいている子供に声をかけた。
「あっはい」
「ちぇ」
そして子供たちは散らばって、次の客を探しに行った。
「よろしゅうお頼申します」
そう言って、小銭袋から銀貨四枚を出して、そのおどおどしている子供に渡した。
「す、凄……。こんなに」
大人が一日働いてもらえるこの世界の最低賃金……といったところか。
「その代わり日が暮れるまでほうぼうの案内、頼めるかのう」
「はい!」
元気がでてきた子供、鬼姫の前を歩き出す。
案内はこのまま全力ダッシュで逃げ切る手もあるだろうが、それはやらない。真面目にこの仕事するつもりがあるようだ。
鬼姫は真面目な働き者が好きだった。
「まずはハンターギルドですね」
「そうじゃ」
「お姉さんハンターなんですか?」
「そうじゃの」
「へー、凄い! カッコいい――――!」
子供の顔が輝く。
「女でもハンターになれるんだ!」
「おぬしもおなごであろう?」
「あ、ばれちゃった……。はい、実はそうでして」
男の子たちに混じって働いていた女の子であった。貧民層の子であることは見ればわかる。もちろんそのことに気付いて、鬼姫はこの子に頼んだのである。
表通り、噴水広場、商店街、市場。町の規模が大きすぎて目が回りそうだ。
「実はうちはまだ朝飯がまだなんじゃ。よい飯屋に案内してくれるかの?」
「はいっ! それならこっちです!」
レストラン街。
「何がお好みですか?」
「久々にうどんが食べたいのー」
「うどん?」
「こう、小麦を細長ーく切って、茹でて……」
「だったらパスタ店がいいですね」
そうして連れていかれたのはスパゲティ店だった。
子供は律儀に店の外で待つ。
「ほれ、おぬしも入れ」
「え……」
「おもてやるわの。飯は一緒に食うたほうが旨い。遠慮はいらぬ」
「は、はい」
小さいテーブルの対面にその子を座らせ、メニューを見て二人、てんやわんやしてボーイに注文し、料理が運ばれてきた。
「なんじゃこりゃ……。皿うどんかの」
「おいしいですよ。トマトと貝のスープスパゲティです」
「ほないただきます」
「……天にましますレミテス様、今日の糧を感謝いたします……」
鬼姫はスパゲティに手を合わせ。女の子は手を握り合わせ、それぞれの神に祈る。
「これは旨いのう!」
「お、お姉さん! その、スパゲティはずるずる音を立ててすすったらダメですよ!」
「ダメなのかの?」
「ダメです! こうして、フォークに巻き付けて……」
「郷に入っては郷に従えじゃのう……」
鬼姫がスパゲティに四苦八苦している前で、女の子は一口、二口、スパゲティを食べ。
……そして、ほろりと涙を流した。ぐずぐずと泣き、嗚咽を漏らし、スパゲティを食べ続ける。その間、鬼姫は何にも聞かず、何も言わず、知らん顔してやっていた。
「足りんのう。もう一皿二皿頼んでみるかの。おぬしもたんと食うのじゃ。今日の仕事はまだまだ続くでの」
女の子は涙でぐしゃぐしゃの顔で、にっこり笑って、ボーイを呼ぶためテーブルの上のベルをちりりんと鳴らした。
次回「16.変態かまいたち 中」




