DAY5 デート
それから僕は、市内の科学博物館に来ていた。
時刻は八時四十五分。普段ならば陽光が眩しい筈なのだが、生憎の曇天で、生ぬるい風ばかりが吹き抜ける。
人気も少なく、どことなく不安な気配を漂わせる中、その人は現れる。
「やぁ、デートのお誘いとは、中々面白い趣向だね」
ゴクリと、唾を飲む。
それは緊張感からか、将又人外じみた美貌ゆえか。……おそらくきっと後者だろう。
思えば僕は学生服姿の彼女しか見たことがなかった。ただの学生服でも狂おしいほどキツく触れてしまいたくなる衝動に襲われるのにめかし込んだ彼女と言えば。……あぁ、ああ!!
微かに赤らんだ頬、きっと薄く化粧を施したのだろう。そのせいかいつもの非生物じみた美貌は血の通った美しさに取って代わり、曇天の中でも彼女の周囲だけが妖しい輝きを放っているような。そんな気がした。
「ほらほら、惚けていないで。どうだろう。世俗に疎いから化粧も服もちゃんと出来ている自信はなかったがーーここは賛辞の一つでも、ね?」
「え、えぇ……思わず正気を失いそうになるくらい、魅力的です」
「そうかそうか。だが、魅入られてはいけないよ。私はーー人喰いの深き巫女なのだから」
そう、彼女こそ僕が毎夜夢の中で殺害している大クトゥルフに連なる、悍ましき人喰いの巫女。それこそが、渡乃原舟。
「と、まぁこの辺は今は置いておこう。何せ今日はデート、なのだろう?」
小さく頷きを返す。
今日、僕は彼女をーーデートに誘っていた。
♪ ♪ ♪
二日前。
「もしも異世界転移をしたなら、物理法則を検証するってな話があるが、俺もきっとソッチ系に走るだろうな」
「どうしたんだよいきなり、いや、本当に」
夕陽が差し込む部室の中、資料を捲る手を止めて康太は不意にそんな事を言い始めた。
「仕様の調査は済ませたいって話だ。例えばダメージステップに攻撃力変動以外の効果は使えるのか、例外はあるのかとか、気にならねぇ?」
「えらくピンポイントだけど……まぁ、多少は」
「だろ? 何事に於いても仕様の調査は無駄にはならねぇ。オカルトなら尚更だ」
「仕様の調査……」
現状、具体的に何を調査すれば良いのか、その指針が浮雲のように曖昧模糊としている。一口に彼女についてといっても、バックボーンを聞き出せば良いのか、それともクトゥルフについての知識を増やして対抗策を見出せば良いのか。
僕は、彼女に関して知らないことが多過ぎた。
だから僕はきっと、知らなければならない。
「……そう言えば、リアルでも彼女を幻視してたけど、あれってどうなるんだろう」
夜しか情報を得る事が出来ないと思い込んでいたが、じゃあ電車の中や学校の廊下で幻視した彼女は一体何だったのか。
原理は分からないが、彼女には思念体を飛ばす特殊能力を持っているのか、或いは他の何かかーー調査のし甲斐がありそうだ。
「康太」
「何だ?」
「ありがとう」
怪異案件だというのに相変わらず要所要所でオカルト魂に火を付けてくれる稀有な友人にそう告げると、短く「おう」とだけ返ってくる。
「じゃあ、今晩、彼女をデートに誘ってみる」
「……俺、時々お前の思考が分かんねぇよ」
♪ ♪ ♪
「にしても人の首を締めながらデートに誘う人間がいるとはさしもの私も想定外だった。私も大概ノリで生きて、ノリで死んでいるところはあるが、君に比べれば霞んでしまうねぇ」
「何となく、これまでの感じからしてノリ良さそうだなと思ったから誘ったんですよ。やはり、お互いの事を知るならこういうのでないと」
「……時に君は、まだ、私を助けるなどと。そんな事を考えているのかい?」
入場ゲートを超えたところで、彼女の足が止まる。
振り向くと、射竦めるような視線が全身に突き刺さる。
「助けたいとは思います。が、それより――知りたいんです」
「……ふぅん?」
「僕はどうしようもなくオカルト畑の人間なんです。興味のある分野の不明点は潰して、知り尽くしたい。その対象が偶々貴女だった。それではダメですか?」
「ラブコールを受けた事は生まれてこの方一度も無いが、これほどロクでもないラブコールはどれだけ頁を繰ろうが出て来ないだろうね」
剣呑な雰囲気を霧散させた彼女は、毒気が抜かれたようにはぁと大きくため息を吐いた。
「それに――単純に、一介の男子高校生として。美人な先輩を誘って好きな場所に行きたいと思うのは、おかしな事でもないでしょう?」
「おっと、隙を生じぬ二段構え。だが――今度のラブコールは悪くない。少し、グッと来た」
そして、デートが始まる。




