幕引き
「──では、この条件で話を進めていこうじゃないか」
四日に及ぶ話し合いはついに幕を閉じた。全員の希望がその通りに叶えられたわけではないが、少なくともディウルスの目的である“アーニャをトールに渡さず、ガルガロンとの戦争を回避する”は達成できたので彼としては大満足だ。
他の王達も、叶えられなかったのは他の王を出し抜いて彼ら以上の利益を得ようと欲をかいた部分だけなので、とりあえずの目標は達成したと言えるラインには達している。円満とは言わないが、各々が納得できる結果に終わっていた。後は決めたことを遂行するだけだ。
「……ディウルス王」
「なんだ?」
一人、また一人と諸王が円卓の間を後にしている中、ヴィーザルがディウルスに話しかけてきた。
急な病に倒れ、帝都から遠く離れた離宮へ静養のために滞在している……という設定でアライベルに忍んでやってきた皇帝は、ディウルスに向けて深々と頭を下げた。
「本当に申し訳なかった。貴方に迷惑をかけたのは、僕がトールの手綱を握れなかったせいだ」
何度目になるかもわからない謝罪を受け、ディウルスはうんざりと顔をしかめた。円卓の間にいるのはディウルスとヴィーザルだけだ。日はとうに傾いている。この会談の目的と真の内容は歴史の闇に葬る予定なので派手な催しはできないが、これからささやかながら祝宴を行う予定だった。
予定はまだ残っているし、腹も減っている。ディウルスも早く戻ってアーニャに結果を報告したいのだが、ヴィーザルに話しかけられていては退出もできない。
「顔を上げろ、ヴィーザル王。いくら非公式とはいえ、一国の君主がそうやすやすと頭を下げるな」
「だが、それでは僕はどうやって貴方に感謝を示せばいい? 貴方のおかげですべてが丸く収まりそうだ。……こんな時でも国のことしか考えられない愚か者と嘲ってくれ。僕は、トールのせいで我が国の民が諸国から責められることを一番に恐れていた。こんな僕をこの場に招いてくれた貴方には、感謝してもしたりない」
リットの手駒である間諜を通じ、ヴィーザルと接触を試みる。それは一種の賭けだった。侍女に扮してあちらの宮殿に潜伏していた間諜も、突然の任務にひどく戸惑ったことだろう。彼女の報告からしてヴィーザルとトールの仲がいいとは到底思えなかったのだが、もしヴィーザルがトールの後ろ盾だったなら、彼女の命は今ごろなかったかもしれない。
ヴィーザルが“ガルガロンの皇族らしい”皇子―他国ではそれを暴君と呼ぶ―だったというのも、トールに対する牽制や、強い皇太子を期待する父帝や臣下達を騙すための演技だったらしく、ヴィーザルは大半の予想を裏切るような平和主義の青年だった。しかし今はその本当の性格がありがたい。もし彼が噂通りの男なら、ディウルスの計画は破綻してしまうのだから。
ディウルスの誘いに乗ったヴィーザルだが、彼は二つの条件を出していた。一つ目はトールの罪を公にしないこと、そして二つ目はトールが犯した罪の咎めを、彼への罰だと明確にわかる形で帝国全体に背負わせないこと。それさえ約束してくれるなら、自分にできることならなんでもするし、会談での決定には決して逆らわない――――ヴィーザルはディウルスとそんな密約を交わし、アライベルにやってきた。
高貴な女性達が異国から来た一人の男に手玉に取られていたなど、諸国の王からすれば醜聞でしかない。ガルガロンの頂点に君臨するヴィーザルが最初からこちら側の人間であれば、ディウルス達がどんな夢物語を提唱しても実現する。ディウルスはそう思ってヴィーザルを招いた。ヴィーザルが味方であると諸王に示したことで、トールの横暴と帝国は無関係だということも印象づけられただろう。ディウルスとしてもヴィーザルとしても、うまみの多い密約だった。もちろん、どこでトールの目が光っているかわからないため、すべては秘密裏に処理されている。隠ぺいも完璧だ。
ディウルスが主導するものとしては初めてと言ってもいいこの暗躍が、どんな記録にも残されずに歴史の闇に葬られるのが無念でならなかった。俺だって頭を使えるんだぞ、と誇りたい気持ちでいっぱいだったのだが。まあ、アーニャはもちろんリットをはじめとした友人達はきっとディウルスの頑張りをわかってくれるのでよしとしよう。
「勘違いしてくれるな。俺がこの場を設けたのは、決してガルガロンの事情を鑑みたからじゃない。お前を巻き込めば、確実に俺の望みを叶えられると思ったからだ」
突き放したような言動だが、照れ隠しでも何でもなく本心だ。ヴィーザルとトールの関係は少々複雑らしいが、そこに同情など一切覚えていない。同情するとすれば、トールのような男を皇族と敬わねばならないガルガロンの民に対してぐらいだろうか。それにしたって、あくまで異国の民である彼らに配慮するなどディウルスの優先順位からすればかなり低い。
聞けば、トールはヴィーザルを兄と呼び、ヴィーザルもトールを弟と呼んでいるが、本当の生まれた順は逆なのだという。正妃よりも側室が先に子供を、それも皇子を産んでは外聞が悪いという先帝の判断で、正妃の子であるヴィーザルが生まれるまでトールは隠され、ヴィーザルが生まれてからは年齢をごまかされて“第二皇子”として扱われていたそうだ。そんな歪んだ環境がトールの性根を歪ませたのだろう。決して口には出さないが。
「たとえそうであっても、僕は貴方の判断に救われた。ディウルス王、ガルガロンを守ってくれて本当にありがとう」
「……それでお前の気が済むのなら、俺もこれ以上野暮なことは言わん。だが、その続きはまた今度だ。さっさと行くぞ。腹が減って仕方ない」
アーニャをトールから守るためにしたことが、結果的にガルガロンまで守る結果に繋がった。だが、それ以上はディウルスのあずかり知らないところで勝手にやっていてほしい。ヴィーザルとトールの確執も、トールの真のたくらみも、ディウルスにとっては関係ないことなのだから。
* * *
「た、大変です、皇帝陛下!」
「どうかしたのか?」
ある日、執務室で書類仕事をしていたヴィーザルのもとに、一人の老爺が真っ青な顔で駆け込んできた。彼は父帝の時代からヴィーザルに仕えてくれている老人で、ヴィーザルが最も重用している側近だ。
長く宮廷を渡り歩いていた彼はめったなことでは取り乱さない。しかし今の様子は尋常ではなく、さすがのヴィーザルも怪訝そうに眉根を寄せた。
「ろ、六か国からなる連合軍が、我が国の領土を取り囲んでいるのです!」
「なっ……!?」
老爺は早口でまくしたてる。ガルガロン帝国領の境界を、突如として現れた軍勢がぐるりと囲んでいる、と。
ガルガロン帝国は海を背にした国で、領土内のすべての属国は帝国より内陸にある。領外の国と国境が接しているすべての属国の国境線に、異国の兵士達が構えているというのだ。
アライベル王国、レンブリック連合王国、クラウディス王国、エスラシェ王国、イストロア皇国、イレニス帝国。連合軍の構成国家として聞かされたのはいずれも大陸に名をはせる強国ばかりだった。クラウディス王国だけは海に浮かぶ弱小国だが、数合わせとして同盟国のアライベルに要請されたのだろう。
クラウディスは問題外とみなすとしても、他の五か国が大変な脅威であることに変わりはない。帝国領全土の力を集結して対抗しても、かなりの犠牲が出るのは確実だ。
そもそもヴィーザルは穏健派で、国内の改革に取り組んでいた。戦好きの歴代の皇帝達が残した基盤をヴィーザルは引き継いでおらず、今下手に戦えば敗北もありえた。連合軍の侵略を好機として反ヴィーザル派の貴族が反乱を起こす可能性だってある。うかつに武器を取るわけにはいかない。
「……連合軍に使者を。余計な混乱を招かないよう、無条件降伏するしかない」
青い顔のヴィーザルは、弱々しい声で老爺に命じる。ヴィーザルのしたためた書簡は即座に連合軍を率いる六人の王達のもとに届けられ、ガルガロンは建国以来初となる不戦敗を経験することとなった。
*
「まさかヴィーザルが勝手に自滅してくれるとはな」
おかしくておかしくてたまらない。トールは慌てふためく宮廷の様子を想像して愉しげに笑った。
軟禁状態の続く身ではあるが、この混乱に乗じればすぐに宮廷に戻れるだろう。ヴィーザルを廃し、自分が王になるのだ。連合軍など知ったことか。降伏したのはあくまでふがいない前皇帝。新たな皇帝が反撃に出るのは不自然ではない。
大陸中の強国を集めた連合軍を撃破すれば箔がつくだろう。新皇帝トールの初陣には申し分ない。ガルガロン皇帝トールの名は大陸中に轟き、この名を知らない者はいなくなる――――もう誰にも、いらないなんて言わせない。
お前のせいでわたくしまで日陰者だと罵った母。
生まれてこなければよかったとため息をついた父。
自分の子こそ皇帝の第一子だと信じて疑っていなかった皇妃。
弟だけを担ぎ、自分のことをいないものとして扱った臣下達。
何も知らない愚かな民衆。
そして、世界のすべてに祝福されて生まれてきた弟。
すべてが嫌いだった。だから全部壊してやろうと思った。
母の首に縄をかけ、皇妃を暴れ馬に襲わせ、父の杯に毒を盛り。皇妃だけは生き残り、ヴィーザルの母として皇太后になってしまったが、一生治らない怪我を負わせることには成功したし、静養と称して田舎の離宮で余生を過ごしているのでまあ満足だ。
あとはヴィーザルを消し、無能な臣下どもを消し、国を滅ぼすだけだった。ヴィーザルの即位とともに臣下の策略で国を追い出されるように外遊へ行かされたのは計算外だったが、おかげで各国の傭兵団を雇うことができた。今はそのほとんどをクラウディスに潜ませているが、当然帝国内にも潜ませている。すぐにでも動かせる兵は多い。
クラウディスの傭兵からはクラウディスがガルガロンに対して戦争を仕掛けるなんて話は聞いていないが、しょせんは傭兵だ。情報の伝達がなっていなくても仕方ない。クラウディスには後で制裁を下すとしよう。
外遊にかこつけて資金集めができたのもよかった。富裕層の令嬢と楽しい時間も過ごせたし、何よりアーニャに出逢うことができたのだ。クラウディスはどうせ攻め滅ぼすし、アライベルもご丁寧にガルガロンまで来ている。アーニャを手にできるのも時間の問題だろう。
反ヴィーザル派の貴族を焚きつけて政権を奪取し、連合軍を蹴散らしてやる。弱腰の皇帝が敗戦を決めた中、まるで英雄のように颯爽と現れた新たな王に、愚かな民は幻想を抱くだろう。その甘ったるい夢に溺れさせ、そのまま国ごと滅ぼしてやろうじゃないか。
(シアルフィもねぎらってやらねばな。空回りも多かったとはいえ、あいつが一番私のためによく尽くしてくれていた)
最後にシアルフィと連絡を取ったのは、父帝のインタリオリングの型を受け取ったときだっただろうか。
あれを使って偽物の印章を作り、クラウディスにアーニャを求める書簡を送ったのはもちろんトールだ。
子飼いの貴族を皇帝の使者に仕立てあげ、ヴィーザルが何も気づいていないうちに彼らをクラウディスに送り込んだ。シアルフィの部下である、彼よりは劣るがそれでも腕利きの魔術師の話では、クラウディスの人間は使者の言うことを信じきっていたという。アーニャが差し出されるのも時間の問題だろう……と思っていた矢先の、クラウディスの出兵だ。
なるべくヴィーザルの筆跡に見えるよう気を使いはしたが、父帝のインタリオリングがあれば細部は気にしなくてよかった。そもそもクラウディスの王はヴィーザルの筆跡など知らないだろう。
騙すことはたやすく、クラウディス側はすぐに顔色を変えてくれたそうだ。もっとも、そのクラウディスの兵士が連合軍にいるということは、最終的にはトールの申し出を拒んだということだろうが。
クラウディスの王はアーニャの婚約者であるディウルスに直談判しに、しばらくアライベルに滞在していたようだが、そこで逆に説得されてしまったに違いない。
もうすぐ子飼いの貴族が迎えに来るだろう。シアルフィの屋敷にも寄って彼を解放してやらなくては。そう考えながらワインを呷っていると、居間の扉が開いた。
「おい、ノックぐらいしろ。……それにしても遅かったな。何を、」
「それはすまなかった。僕としてももう少し早く来たかったんだが、色々とやることがあってな。貴方の反乱に加担しようとしていた貴族達の粛清に追われて、時間がかかってしまったんだ」
聞こえてきたのは、ここにいるはずのない青年の声だった。酩酊するほど飲んではいないのに、扉の前にここにいてはならない青年の姿が見える。兵を携えたヴィーザルは、感情のない瞳でじっとトールを見ていた。
「もう貴方の好きにはさせない。……貴方はここで終わりだ、兄上。貴方の野望も、皇子としての人生も」




