突きつけられた要求
「……」
クラウディスの王、バルトロイは届けられた書状を渋い顔で見つめていた。しかしどれだけ睨みつけようとも書かれた文章が変わることはなく、バルトロイの眉間に刻まれたしわが深くなるだけだ。
「バルトロイ様にとっても悪い話ではないでしょう。ぜひご一考をお願いいたします」
海の向こうから来た使者は笑った。彼の国を統べる者がバルトロイへ送った書状は二枚。一枚目は両国の繁栄と友好を望むもの。そして二枚目は――――
「断ることは許さない、か。そちらの王はなかなか強気だな」
「なんのことでしょうか。貴国との絆がより強固なものになることを、我が王は心から望んでおりますが」
「……そうか。だが、この場で即答できるようなものではないのでな。しばらく時間をくれ」
使者が浮かべた白々しい笑みは崩れない。ガルガロン帝国の若き皇帝、ヴィーザルの印が押された書状を傍に控える文官に渡し、バルトロイは謁見の間を後にした。
「マリリンを呼んでくれ。それからアライベルに使者を送る用意を。ああ、対応を思うと頭が痛いな」
付き従う文官に指示を出し、バルトロイは深々とため息をつく。
「アーニャの婚約を焦ったのは失敗だった。こうなることがわかっていれば、アーニャをアライベルにやりはしなかったのに……」
* * *
クラウディス王国からの使者の急な来訪に、ディウルスは不機嫌さを隠しもしないまま支度を整えていた。謁見にはアーニャも同席する。
ソー・ロックバルドの正体を突き止めてから一週間が経った。アーニャ達の警備態勢を整えることや各国への根回しなどは一通り終わったが、やることはまだある。根回しをしている途中で新たに判明した事実もあった。今はレンブリックの王ロイドとともにそれに対応しているが、それでもまだ忙しいのだ。いくらアーニャの祖国からの者とはいえ、唐突な来訪に割いている時間はなかった。
用件は来月に迫った結婚式の打ち合わせだろう。その予定は別の日に組んであったはずなのだが、それを繰り上げる形でクラウディス側は無理にディウルスとの謁見を望んだのだ。
こちらにも都合はあるというリットの苦言すらも押しのけ、クラウディス王バルトロイは強引に使者を遣わした。さすがに未来の義父からそこまでされればディウルスも無碍にはできない。渋々ディウルスは謁見に応じ、無理に時間を作って使者の来訪に備えた。
使者の長い口上を聞きながら、ディウルスは届けられた書状を広げる。徐々にその表情が険しくなっていくのに気づいたのか使者は顔を蒼褪めさせたが、それでも懸命にアライベルとディウルスを称賛し続ける。述べられるのは心にもない言葉だろうが。こんな無礼な申し出をしておいて、アライベルを讃えるなどどの口が言うのか。
「もういい。遠回しな表現は嫌いだ。無意味な世辞で飾り立てる言い回しもな」
顔を上げたディウルスは書状を傍らに座るアーニャに渡す。読んでいいと言われ、アーニャは怪訝そうにそれを広げた。アーニャの目が零れ落ちそうなほどに見開かれる。その顔が真っ青になるまでにそう時間はかからなかった。
「俺とアーニャの婚約を解消させたいなら、はっきりそう言えばいいだろう?」
バルトロイ直筆の書状は、花嫁の取り換えを求めるものだった。第四王女アーニャにかわり、彼女の異母姉である第三王女マリリンをディウルス王の妃としたい。そう記されているのだ。
「俺ではアーニャの夫にふさわしくないというなら、それは仕方のないことだ。バルトロイ王はアーニャの父、俺もその意見を尊重しよう。だが、俺とアーニャの間にはバルトロイ王に口出しされるような問題はなかったはずだ」
「そ、それは……」
「それともあれか? アライベルではクラウディスの同盟国として物足りないと、バルトロイ王は考え直したのか? それならマリリン姫をよこす必要などないだろう。俺とアーニャの婚約が解消されれば、両国の同盟の話も白紙に戻るんだからな」
そういう約束だったろう、とディウルスは使者に尋ねる。使者は何も言わなかった。
「マリリン姫を俺に差し出してまでアライベルとの繋がりを持ちたいのか? それともそれでアライベルの顔を立てたつもりか? 笑わせるな」
アーニャは連れ戻したいが、アライベルとの同盟は結びたい。そう思った末の苦肉の策が、このバルトロイからの書状だろう。
同じクラウディスの王女を新たな婚約者に据えれば何の問題もないと思ったのか。確かにディウルスは馬鹿で単純な男だ。だが、はいそうですかとそれを受け入れるほど彼は主体性のない男ではない。
「俺はマリリン姫とやらの人となりをこれっぽっちも知らん。その女がアライベルの王妃になれる女でなかったらどう責任を取るつもりだ。挙式だってもうすぐなんだぞ。それともマリリン姫のために、また新たに婚約期間でも設けるのか?」
「ディウルス王! その発言はクラウディスに対する侮辱でございます! 我らが王女は王妃の座にふさわしくないとおっしゃるおつもりか!」
青い顔ながらも使者は金切り声で叫ぶ。一方のディウルスはどっしりと構えたままだ。
ディウルスは皮肉や嫌みの応酬にはまったく向いていない性格だ。悪意を巧妙に隠して放たれる言葉にも気づかないことのほうが多いし、そんな言葉をぽんぽん放てるほど器用に頭は回らない。だが、愚直な彼が不用意に告げる真実は、時に最高の皮肉になる。
「そう思われるのは心外だが……そうか、そのマリリン姫は、こんな野獣のような男の妻になってくれるほど心の広い娘なのか」
「……ッ!」
使者は思わず息を飲んだ。アーニャがアライベルと縁づいてから、クラウディスの宮廷人はアライベルやディウルスのことを嘲っているからだ。騎士の国といえば聞こえはいいが、武力しか持たない野蛮な国。頂点に立つのは山賊と見紛うような悪人面の大男で、騎士などという言葉からは程遠い、と。
今まで国交がなく、また海に隔たれた遠い国であるため、クラウディスの民にはアライベルが大国であるという意識はあっても敬意を払う相手だという認識はない。両国の交流のきっかけにと、かの国の王と婚約した少女が疎まれていた王女なのだからなおさらだ。だからこそクラウディスの貴族達は、そういった悪口を平然と口にできていた。
もちろんディウルスはそんなことを知らないが、自分の外見を客観的に判断できるぐらいの分別はあった。生まれ持った顔や体格を変えることはできないし、周囲の評判に振り回されて自分を偽る気はまったくないのだが。
「しかしあいにくだが、俺はアーニャ以上に俺の妻にふさわしい娘はいないと思っている。申し出は断らせてもらうぞ。花嫁と名乗れる娘なら誰でもいいわけではないんでな。アーニャの代わりなど望まんし、そもそもアーニャとの婚約を解消する気などない。バルトロイ王にそう伝えておけ」
欲しいのはアライベル王妃の肩書を持つことができる他国の高貴な女性だ。その条件さえ満たせるのなら、どこの誰でも構わない――――そう言っていたディウルスは、もうどこにもいなかった。
「時間の無駄だったな。いくぞ、アーニャ」
話は終わりだと玉座から立ち上がるディウルスに、使者は惨めに追いすがる。騎士に止められながらも使者は必死に叫んだ。
「で、ですが! アーニャ様のお気持ちも考慮してくださいませ!」
「どう考慮しろと? お前達がアーニャに対して行っていた仕打ちの数々を俺が知らないと思うなよ。祖国に戻ったアーニャがまともな待遇を受けられるとは思えんな。そもそもアーニャを追い出そうと思ったのはお前達だろう。それがどういう風の吹き回しだ。今さら手放したのが惜しくなったのか? だが、そんなことが本気で通るとでも?」
ディウルスは使者の視線からアーニャを守るように立っている。わずかに振り返った、冷たく厳しい赤い瞳に射竦められて使者は震えあがった。
それでも、アーニャと話をさせてくれと懇願する声は止まない。ディウルスは耳障りなその声に顔をしかめた。
「……考慮というのなら、あなたこそ考慮してください。クラウディスへ帰るなんて、わたしは望んでなんていません」
今まで沈黙を貫いていたアーニャの言葉に、謁見の間は水を打ったように静まった。一呼吸置いた後、アーニャは毅然に言い放つ。
「わたしの望みはディウルス様の妻となり、アライベルの地に骨を埋めることです。たとえお父様でも、無理に婚約解消を迫るような真似はさせませんから」
「そ、そんな……アーニャ様……?」
使者は知らないだろう。アーニャは自己主張できる娘だったということを。アーニャがディウルスを信じ、愛し、アライベルでの人生を心から望んでいることを。
クラウディス人の自分の言葉なら、アーニャの心は簡単に動かせると使者は信じていた。アーニャは強面の男に怯えていてまともに話せないかもしれないが、自分が強く命じればこちらに傾いてくれると。アーニャさえ口を開いてくれれば、使者は簡単に彼女を祖国に連れ戻せるはずだった。
クラウディスにいたころのアーニャは、世界のすべてに諦観を抱いていた。主体性を持つこともなく、与えられる指示に従って人形のように生きていた。何を言われても言い返すこともなく、卑屈な笑みを浮かべてその場をやり過ごし。主張などしないまま、一人でうつむき泣いていた。
けれどそんなアーニャはもういない。激情に支配されるわけでもなく、自暴自棄になるわけでもなく。傍で見守ってくれるディウルスの存在が勇気をくれる。だからアーニャは主張できる。紡ぐべき言葉を、示すべき意思を。
「心配しなくても、クラウディス王女としての役目はきちんと果たします。アライベルとクラウディスの架け橋となり、両国の恒久的な友好と繁栄のために生きていきましょう。ですからどうか帰ってくれませんか?」
その役目はアーニャでは果たせないなどとは言わせない。それがたとえ表向きの理由であれ、父はそう言ってアーニャを送り出した。アライベル王の婚約者として不適切な振る舞いをしてきたつもりはないし、アーニャの力不足を訴えるような報告が祖国にいっていたとは思えない。彼女の言葉には有無を言わせない何かがあった。
口調や声音はクラウディスにいたころとなんら変わりはない。けれどこの少女は、自分の知るあの無力な王女ではないのだ。それを悟った使者は涙目になりながら床に頭をこすりつける勢いでひれ伏し、悲鳴じみた叫び声を上げた。
「で、ですが、それでは困るのですっ……! アーニャ様がお戻りにならないと、我が国は滅ぼされてしまいます!」
「……どういう意味ですか?」
これにはさすがのアーニャも眉をひそめざるを得ない。仏頂面のままではあったが、ディウルスもひとまず玉座に戻った。
「ガルガロン帝国の使者が、アーニャ様をぜひ皇族の花嫁にと……差し出さないのであれば、奪い取るのも辞さないと……」
「ガルガロンだと!?」
告げられた国名に反応せずにはいられない。ディウルスは混乱しながら使者を見る。
(どういうことだ? そんな話は聞いていないぞ……!?)
脳裏に浮かぶのはある青年の顔だ。そんな不条理な要求をクラウディスに対して出していたのなら、自分の耳にも入っていないとおかしい。
「はい。アーニャ様はすでにディウルス王と婚約なさっていると言っても、まったく聞き入れてもらえず……。我らが王は、その申し出を受け入れるしかなかったのです。そうしなければ、あの場で帝国は我々に宣戦布告をしたかもしれませんから」
島国のクラウディスは荒波に守られているので外国からの侵攻はほとんどない。他国との交易に使われる転移の陣も、王家の許可がなければ動かないようになっていた。商人の出入りや旅人の出入りも、すべて王家と王家が特別に認めたギルドによって管理されている。めったなことでは外敵におびやかされることはない。
だが、だからこそ脆弱なのだ。もしそれらを突破されたら、クラウディスはあっという間に蹂躙される。そしてガルガロンは、クラウディスの守りを突破できる力を見せてきたという。
「我らが王は、一度はその要求をはねのけました。すると、使者団の中にいた怪しげな若者がたちどころに騎士達を無力化してしまったのです。国内にはすでに民に扮した帝国兵もいると言外に告げられて……」
バルトロイが記した書状は決してクラウディスの本意ではなかったのだと強く主張しながら、使者は涙ながらに語る。
「帝国の使者達は、自分達もことを荒立てたくないと主張しました。武力で制圧するのは本意ではないと。どの口が言うのかという話ですが……確かに平和的にその場を収めるには、彼らの言葉に頷くしかありませんでした。ここに至るまでの数々のご無礼をお許しください。ですがこれは、クラウディスを守るための王の判断なのです」
帝国がここまで早く動くとは予想外だった。使者の話が真実かどうかはあとで詳しく取り調べるとしても、ガルガロンがバルトロイに接触を試みたのは事実だろう。そうでなければあまりにも時機がよすぎる。
ガルガロンの皇族というのはほぼ間違いなくトールのことだ。外堀から埋めようとしたのは、正面からの強奪も搦め手も失敗したからだろうか。
ガルガロンに引けを取らない国力を持つアライベルより、弱小国家のクラウディスのほうが圧力をかけやすかったのだろう。それにクラウディスはアーニャの祖国だ。祖国にいる父からの命令ともなればアーニャとしても無碍にはできない。もちろんトールの思惑通りにいかせる気など、ディウルスにはないのだが。
「アーニャ様がガルガロンの皇族に嫁いでくださらなければ、我が国はガルガロンに蹂躙されてしまいます! どうか、どうかご再考を!」
「……わたしが拒んだせいでクラウディスが攻め込まれたら、アライベルはどうするんでしょう」
騎士に遮られながらも自分に縋ろうとする使者を憐れむように見下ろし、アーニャは独り言のように呟く。答えたのはディウルスだ。
「むろん、ガルガロンに対して宣戦布告をするだろうな。現段階ではまだ仮初のものとはいえ、同盟は同盟だ。それにクラウディスが戦争に巻き込まれたのは、アライベルの未来の王妃にまつわることだ。俺がそれを無視することはできないし、無視しようとも思えない。横から花嫁をかっさらっていくような奴を見逃すわけにはいかないからな」
たとえアライベルが参戦しなくても、クラウディスに勝てばガルガロンはアーニャを要求するだろう。もちろんアライベルは決して頷かない。ガルガロンとアライベルの間で新しい戦争が起きるだけだ。
「……そうですか」
ディウルスの返事を聞き、アーニャはふっと微笑んだ。
「では、前言撤回しましょう――わたしは、ディウルス様との婚約を解消したいと思います」




