表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/67

閑話 側近達の日常

「よかった、よくお眠りになっているようですね」


 安らかな表情で眠るアーニャを見て、エバはほっと胸を撫で下ろした。

 夜心香は無条件に主人以外のすべてを弾いてしまうため、たとえアーニャへの敵意がなくても寝台に近寄る事を拒まれる。風邪で寝込んでいる彼女の世話をするために室内に侍女がいる時は夜心香を起動させていなかったのだが、このぶんならいつも通り夜心香を使ってもいいだろうか。いや、油断は禁物だ。いつ彼女が苦しがるかもわからない以上、やはりすぐにでも傍にいける環境を作ったほうがいい。夜心香に伸ばしかけた腕をそっと下ろし、エバは慈愛に満ちた眼差しでアーニャを見下ろした。


「……手慣れてんな」

「はい?」


 声をかけてきたのはアリカだった。アーニャが眠っているので彼女も気を抜いているのだろう、素のはすっぱな口調でエバに話しかけてくる。


「アーニャ様の扱いだよ。病人の看病ってだけじゃねぇ。アーニャ様が何も言わなくても、あんたはアーニャ様の欲しいものがわかるだろ? アーニャ様が元気なときもそうだ。さすがって感じだな」


 自分では特に意識していなかったところを年若い娘に感心され、気恥しいやら誇らしいやらで複雑な気分だった。伊達に長い間お仕えしていませんから、とはにかみながら口にするも、エバはすぐに遠い目をした。


「……ですが、わたくしもアーニャ様のお心をすべて理解しているわけではございません。わたくしなどまだまだですよ」


 もともとエバはアーニャの母ネルの事が苦手だった。男爵家の生まれでありながらその華やかな美貌で王にも見初められ、自分が王妃になるため女主人を蹴落とすほど野心にあふれたネルと、誰の目に留まる事もなく地味にひっそりと生きてきたエバ。自分とはまったく対照的なネルはまるで別世界の住人のようで、ネル付きの侍女になったときは驚きのあまりひっくりかえってしまったほどだ。

 そのままずるずるとアーニャ付きの侍女になる事が決まったときも憂鬱だった。その出自には同情するが、ネルの娘なのだからきっとこの子もネルによく似た娘に育つのだろうと。だからエバは、アーニャとは必要以上に距離を置いたような接し方をしていた。

 だが、そんなエバの予想は外れ、幼いアーニャは子供らしい可愛げのあるわがままぐらいしか口にしない。どこにでもいるような、無邪気で無力な少女だった。思い違いに気づいたエバはすぐに態度を改める事になる。しかしそのころにはもう遅く、いつしか彼女は自己主張すらしなくなってしまった。

 エバがアーニャに生涯を捧げる勢いで仕えているのは、彼女に負い目を感じているからだ。色眼鏡で見る事なく、初めから真摯に接していたら。自分は貴方の味方だと、出会った時から伝えられていたら。周囲の悪意をすべてはねのける事ができたのではないか。彼女が世界のすべてに諦観を抱く前に、その悲しい考えを修正する事ができたのではないだろうか――――そんな自嘲じみた懺悔を、アリカは黙って聞いていた。


「……ま、あたしがアーニャ様の何を知ってるかって話だけどさ。少なくともあたしの目には、アーニャ様はあんたを味方だって思ってるように見えるぜ?」


 エバの話を聞き終えたアリカは、まっすぐにエバを見据えてそう言った。どこかまぶしそうに目を細めながらアリカは言葉を続ける。


「あたし達に比べりゃ、あんたとウィザーのほうがよっぽどアーニャ様の理解者さ。わざわざクラウディスからついてきたんだ、あんた達の忠誠心ぐらいアーニャ様もわかってくださってるだろ。あー……だから……昔の事をそうぐちゃぐちゃ思い悩むんじゃねぇよ。昔のあんたがどうであれ、今はもう違うんだろ? で、今のアーニャ様も今のあんたに気を許してくださってるんだから、それでいいんじゃねぇか?」

「アリカ様……」

「ん……エバ……?」

 

 エバが何か言うより早く、アーニャが目を覚ました。寝ぼけているのか、ぼんやりとした目でエバを見つめながらもぞもぞと起き上がる。エバは水差しを取ってグラスに水を注ぎ、どうぞとアーニャに渡す。ふにゃりと顔をほころばせながら小さな声で礼を言い、アーニャはこくこくとグラスの水を飲みほした。グラスをエバに返すと、アーニャは何も言わず再び布団に潜り込んですぅすぅと寝息をたてはじめる。そんな様子を見て、アリカは口元に小さく笑みを浮かべた。


*


 つい昨日ヘイシェルアール邸で起きた毒殺未遂事件の調査をするため、ミリリは早朝から駆けまわっていた。アーニャに余計な心配をかけないよう、彼女が風邪で臥せっているのをいい事にひっそりと行っていたのだが、アーニャの周りには信頼できる部下や精霊達がついている。自分がいなくても特に問題はないだろう。

 ミリリはアーニャ付きの騎士だが、アーニャの身に火の粉がかかる前に振り払うのも仕事の一つだ。できれば、自分に危険が迫っているとアーニャに気づかれてしまう前に。そんな彼女にとって、今回の事件の解決は最優先任務だった。一歩間違えればアーニャが被害に遭っていたのかもしれないのだから。

 今回の件で公爵家の警備はさらに強化されたという。しかし王家を招待した夜会で犯された失態はヘイシェルアール家の名に傷をつけた。ヘイシェルアール家も名誉回復のためやっきになっていて、捜査にとても協力的だ。

 だが、捜査は思ったようには進まなかった。まず、ロゼルにゼクトを渡した給仕が見つからないのだ。ロゼルも顔はよく覚えておらず、見覚えのない人物だったと語っているが、ヘイシェルアール家の人間に訊いてもわからないという。何らかの魔術を使って潜伏した可能性が高いだろう。とはいえ、公爵家だってそう警備がざるなわけでもないのだ。相手は相当の手練れに違いない。

 状況から、犯人の狙いはロゼルあるいは無差別だったと推察できる。狙いがロゼルだったのなら犯人はある程度絞り込めるのだが、無差別なら手掛かりもないうえディウルスが殺されていたかもしれないので一概には言えない。様々な可能性を考えなければいけないため、ミリリをはじめとした騎士達はみな一様に頭を抱えていた。


「考えるのは苦手なのよね……」


 詰め所で深いため息をついたミリリに、ちらほらと賛同の声が上がる。その誰もが脳みそまで筋肉でできているようなむさくるしい男達だ。もちろん調査を進めているのは彼女達だけではないのだが、調査隊の中では彼女達がもっとも頭脳労働に向いていなかった。とはいえ、他の調査隊も近衛騎士に過ぎないミリリ達にはさして期待していないようだったが。荒事が起きれば対処する、他の貴族の橋渡しをする、その程度の立ち位置だ。ミリリの率いる調査隊は近衛騎士団の体面やストレディス家の人間として調査に同行しているだけなので、戦力に数えられていないのは悔しいが仕方のない事だと誰もが割り切っていた。

 それでも一応参加しているのだから、とない頭を振り絞って考える。おそらくこれからしばらくは、平時以上に物事を深く考える日が続くのだろう。必要な事とはいえ憂鬱だ。


「失礼します」


 甘い焼き菓子のにおいを漂わせながら入室してきたのはリットだった。騎士達の視線が一瞬にして彼の持ついくつものバスケットに集中する。ミリリもちらりと視線を移しながら、何とか平静を装って口を開いた。


「どうかしたの?」

「差し入れですよ。つまらないものですが、口慰みにはなるかと」


 明らかに何かを企んでいそうな含みのある口調だ。瞳を歪めながらリットはバスケットをテーブルに置き、かけられていた可愛らしい布を取る。現れた大きなリンゴのパンケーキに一同の目は釘づけになった。

 人数分より多いがパンケーキはすでに丁寧に切り分けられている。数は多いが大きさは平等だ。騎士達は礼を言い、従士が詰め所の隅にある古ぼけた食器棚からいそいそと食器を取り出してお茶の用意を始めた。もっとも、上品にナイフとフォークを使おうとするのはごく少数で、ほとんどの騎士はバスケットから手づかみだったが。


「皆さんお疲れでしょう? 少し休憩してはどうですか? 私は他の場所にも行かなければならないのでこれで失礼しますが……ミリリさん達も、あまり根を詰めすぎないようにしてくださいねぇ?」


 にたりと引き裂くような笑みを残し、リットはすぐに立ち去った。外見と印象はかなりあれだが、それが彼の素なのだから仕方ない。降って湧いた糖分補給の機会に歓喜しながら、騎士達は絶品パンケーキを頬張る。あの人が女で未婚者だったらよかったのに、頬に食べかすをつけながらそうぼやくのは若い独身の騎士達だ。

 大食漢が何人もいる事を見越して用意されたらしいパンケーキは小さな山を作っている。余ったパンケーキを巡る争奪戦がそろそろ始まる予感がする。ミリリは瞳を好戦的に輝かせながら、今日の夕飯は少し食べるのを控えたほうがよさそうね、と心の中で呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ