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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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暗躍者

(……そういえば昨日は、ロゼル様のお家の……)


 朝食を食べ終え、アーニャは薬湯を口に含みながらぼんやりと考えた。昨日のうちにロゼルから気遣いの言葉は届いている。今日は行けないが明日は見舞いに行かせてもらう、と言伝もあった。一昨日から臥せっているが、昨日はシェニラが見舞いに来てくれたし、ディウルスも毎日のように様子を見に来てくれる。今日も退屈する事はなさそうだ。

 だが、いつまで経ってもロゼルは来なかった。異変はそれだけではない。ミリリの姿が見えず、気のせいかリアレアやアリカをはじめとした側近達も緊張感のある面持ちをしているのだ。

 アーニャの部屋には基本的に女性の側近しか入らない。いつも部屋にいるというより、アーニャが呼ばずともアーニャのすぐ傍にいるのはミリリとリアレア、そしてエバとアリカと一人か二人の侍女だけだったのだが、今日に限っては側近、特に女騎士の数も多い気がした。寝ているアーニャには寝室の様子しかわからないが、他の部屋や私室の外にはもっと多くの側近が控えているのかもしれない。


「この状況でアーニャ様のところにいらっしゃるのは、軽率だと言わざるを得ませんもの。アーニャ様にとってもロゼル様にとっても、危険が大きすぎますわ」

「でもよ、いつも通りに過ごせって言われてんだろ? だったら来てくれたほうがよくねぇか?」

「それはそうですけれど……」

「ミリリ様からも陛下からも通していいって言われてるじゃねぇか。あたし達がしっかりしてりゃ、妙な事は起こらねぇよ」


 ロゼルが来たら起こしてほしいとエバ達に頼み、アーニャはまどろみ始める。うとうとしていると、リアレアとアリカの声が耳に入った。どうやらロゼルの事を話しているようだ。だが、声は聞こえるものの話の内容はよく頭に入ってこない。


(……そういえば、夜心香はどうしたんでしょう。わたしが寝入ってからつけるのでしょうか……)


 ルルクからもらった夜心香は外の声を遮断すると聞いている。だが、こうしてリアレアとアリカの声が聞こえているのだ、まだ起動させていないのだろう。寝落ちしない限り、就寝の挨拶をした時に夜心香を動かしていたと思ったのだが。

 まさか効果切れだろうか。そう思いつつ、直後にその考えを否定する。効果切れの心配をした時に、夜心香は魔力を込めた術者が死ぬまで動き続けると教えてくれたのは魔術師(ルルク)の姉であるミリリだったか。魔術の事はアーニャにはよくわからないが、よほどの事がない限り夜心香が壊れる事もないという。単純にエバ達が起動させるのを忘れていたのだろうか。それについて指摘しようとしたが、それより先に襲ってきた眠気には勝てなかった。


 結局ロゼルが来たのは昼過ぎだった。喜んだのもつかの間、浮かない顔のロゼルの様子にアーニャも戸惑ってしまう。心ここにあらずといった様子のロゼルは何かに怯えるようにびくびくとしていて、いつも以上に挙動不審だった。


「ロゼル様、どうかなさったのですか?」

「え……い、いえ……わたくしは……」


 真っ青な顔のロゼルは、ともすればアーニャよりもよほど重病人に見える。言葉ももごもごとしていて煮え切らない。心配するなと言うほうが難しいだろう。


「ご気分が優れないようですよ?」

「あ……え、ええと、最近、よく眠れていなくて……」

「まあ! やはり、ハルトラス様の事が原因なのですか?」

「は、はい……」


 その辺りの事はあまり触れて欲しくなさそうだ。それ以上の追及はやめる事にしたが、ロゼルもアーニャが困っている事を察したのか当たり障りのない世間話を振ってくる。雑談を続けているうちにロゼルの表情も若干明るくなり、おどおどした振る舞いをする事も減っていった。


「アーニャ様、陛下がいらっしゃいました」


 一時間近く話していると、リアレアがちらりとロゼルのほうを見ながら報告してきた。ロゼルは一瞬顔をこわばらせ、「では、わたくしはそろそろ」と立ち上がった。

 ロゼルと入れ替わるようにしてアッシュとヴィンダールを伴ったディウルスが入ってくる。アーニャが元気そうだと気づき、ディウルスはわずかに頬を緩めた。


* * * 


 主人の望みを叶えるため、シアルフィは日夜暗躍を続けていた。すべては主人がアーニャを娶るため。そこに至るまでにはアーニャの意思もシアルフィの本音も意味はない。主人が黒だと言えば白いものを黒に染めるのが彼の仕事だからだ。もしアーニャが主人を拒むというのなら、シアルフィは謝罪の言葉を口にしながらも持てる力のすべてを持って彼女を主人にとって都合のいい従順な人形に変えるだろう。

 ディウルスとアーニャが乗っているという馬車を襲う計画は失敗した。足がつかないように現地の傭兵を雇ったのはいいものの、一人として帰ってこなかったのだ。もし手駒の傭兵を送っていたら大きな損失に繋がったはずなので、そこは不幸中の幸いといったところだろうか。

 自分がどれだけ馬鹿らしい事をしているかの自覚はあるが、主人の手前一度の失敗では諦められない。もともとこちらの計画は失敗するだろうという見込みのもとで行っていたので、すぐにシアルフィは次の計画に移った。

 シアルフィが接触を図ったのは、とある貴族のぼんくら息子だ。どうやら彼はさる公爵家とその家の娘の一人と痴情のもつれを理由にしたもめ事を起こしたらしい。彼は自宅謹慎を言い渡されていたが、腕利きの魔術師であるシアルフィにかかれば極秘裏に彼に会う事はそう難しい事ではなかった。

 シアルフィの読み通り、彼は公爵家と公爵令嬢を逆恨みしていた。そこをうまくそそのかして、青年を騒ぎを起こす主犯格に仕立て上げれば完璧だ。青年は面白いぐらいあっさりとシアルフィの策略に引っかかってくれた。自分の主人が馬鹿なのは今さら論じるまでもないが、この青年も中々のものだと思う。突然現れた怪しげな魔術師の言う事をうのみにし、少し甘い言葉を囁いただけで味方だと信じきってしまうのだから。とはいえ、それも仕方のない事だろう。シアルフィは彼に向けて魔術を使ったのだから。

 シアルフィが使用したのは、青年の持つ願望を増幅させる魔術と、自分の事を無条件に信用させるという魔術だった。青年はもともと自分のものにならない公爵令嬢に昏い欲望を燃やしていたようなので、前者の魔術は面白いほど効果を示した。さすがに彼が何をしようとするかまではシアルフィも関与していなかったのだが、その結果起きたのが公爵家での毒殺騒ぎだ。手に入らないのなら死んでしまえばいい、そんな歪んだ情念が暴走した結果だろう。

 青年は屋敷から指示を出し、シアルフィがその指示通り自分の部下を動かす。青年は公爵家に近づく事はできないが、シアルフィの協力があればどうとでもなった。わざわざその手間を惜しむ事なくシアルフィが彼に目をつけたのは、王家ほどではないが国内でもかなり強い力を持つ貴族相手に最も手っ取り早く騒ぎを起こしてくれそうな存在だったからだ。

 伯爵家の嫡男だというその青年はシアルフィとは本来何の接点もなく、なおかつ彼にはとてもわかりやすい動機がある。もっとも怪しくて疑われやすく、そして捕まったところでシアルフィの存在を知られる事のない犯人だ。当然シアルフィは青年に対して偽名を使っている。たとえ洗脳の解けた青年がシアルフィとの密談を口にしたところで、シアルフィがこうむる不利益はまったくなかった。

 騒ぎの内容はなんでもいい。とにかく具体的な脅威として有力貴族をおびやかしてくれればなんでもよかった。その結果人が死のうがそれはシアルフィの知った事ではないし、公爵令嬢がどうなろうともシアルフィは構わなかった――――物事を冷静に客観視する常識人のように振る舞うシアルフィだが、しょせん彼は彼で異常者なのだ。

 公爵令嬢が明らかに怨恨を理由にして死ねば警備の目がそちらに集中するかと思ったが、そううまくはいかないらしい。内輪だけの細々とした集まりと聞いていたが、さすが大貴族というべきか。王族や有力貴族が何人も招待客に名を連ねていたのは計算外だ。本当は公爵令嬢ではなくそちらを狙っていたのでは、と警戒されて王宮の警戒が強まってしまっては意味がない。

 だが、王宮内の警備を一手に請け負っているという噂の魔術師が死んだのは嬉しい誤算だった。聞けばアーニャの寝室に張られている結界魔術にもその魔術師が絡んでいるという。青年の狙い通り公爵令嬢が死ぬよりも、シアルフィにとっては望ましい結果だった。シアルフィも魔術を扱う者としての矜持はあるし、たとえその魔術師が死んでいなくても正面から彼の魔術を突破する自信はあるが、不安要素はできるだけ取り除いたほうがいい。

 夜が更けるのを待ち、シアルフィは部下である数名の退魔師を伴って王城の傍までやってきた。ここからの段取りはいたって単純だ。部下達に結界魔術を解除させてからシアルフィの転移魔術でアーニャの部屋まで転移し、寝ているアーニャをさらって主人のもとに届ける。もし途中でアーニャが起きてしまっても洗脳魔術でどうとでもなるし、なんならその精神に干渉してしまえばいい。

 公爵家での事件のせいで警備が手厚くなっているとはいえ、魔術師が死んでそう日が経っていないのだから魔術をかけ直している暇はないはずだ。魔術的な警備が薄いなら、物理的な警備などシアルフィの魔術の力の前では無意味に等しい。もともと王宮の警備を警戒していたのは部下への配慮の意味のほうが強かったため、侵入する部下の編成を変えてシアルフィ本人もそれについていけば特に問題はなかった。

 自分も行く事になってしまったのは想定外だが、そうする事で作戦の成功率も上がり味方の被害も減らせるのなら積極的に動くべきだ。シアルフィが自ら率いるという事で部下達は緊張していたようだが、それと同時に安堵していた。彼らもシアルフィがいれば大丈夫だとわかっているのだろう。


「いよいよですね、シアルフィ様」

「ですが……本当によかったのでしょうか。これほど派手な事をしてしまえば、もはや隠し通す事は不可能ですが」


 連れてきた中でもシアルフィが右腕として特に重宝している二人の部下が、わずかな余裕と不安をにじませながら口を開いた。シアルフィは苦笑しつつそれに応える。護衛の要の魔術師が死んだとはいえ思ったより魔術的警備が厳重で、退魔師も苦戦しているらしく結界魔術にわずかな歪みを与えるのに精いっぱいのようだったが、それぐらいの穴さえあればあとは力技で何とかなるだろう。


「いいか悪いかで言えばもちろん悪いさ。だが、あの方がそれを望んでいるんだから仕方ないだろう?」


 シアルフィのすべては主人のものだ。そういう契約で、自分の命と家族の命は救われた。だからシアルフィは決して主人に逆らわない。口では何とでも言っていても、主人のためならどんな汚い事にも手を染める。それがシアルフィという青年の生き方だった。


「ディウルス王がどれだけ激怒しようと、アーニャ姫がいくら泣き叫ぼうと、私達のやる事は変わらない。これが原因で戦争が始まるなら、その時はその時だ」


 そうならないようにするのも私達の仕事だ、とシアルフィは自信ありげに告げる。真実を綺麗事で飾って美談に飢えた民にばらまいて、徹底的に国王ディウルスを“悪”にしてしまえばいい。そうすればアライベルは孤立無援だ。もちろんそううまくとんとん拍子に進みはしないだろうが、ある程度はこちらに有利なほうに進められるだろう。


「――さあ、非道の王に囚われた哀れな姫君を助けに行こう」


 恋に酔った旅人の、独りよがりの英雄譚。それを演出する黒子を務める魔術師は、夜の闇に向けて凛とした声で詠唱を始めた。

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