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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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離宮での日々(後編)

 翌日、目を覚ましたアーニャは見慣れない寝室に戸惑いを覚えたものの、すぐにここがニーケンブルク宮殿だという事を思い出してほっと胸を撫で下ろした。

 今日はディウルスと一緒に芝居を観たり街を歩いたりする日だ。朝の支度を済ませ、アーニャは軽やかな気持ちでディウルスを待っていた。気分が明るいのは、動きやすさを重視したような比較的地味でおとなしい意匠のドレスを着ているせいもあるだろう。やはりドレスは目立たないもののほうが落ち着きます、と、飾り気のない白いドレスを見下ろしながらアーニャは微笑みを浮かべた。

 大国の王の婚約者という事で、いつも自分には不釣り合いなほど派手で豪華なドレスを着ているが、それが精神的に大きな負担になっていた。ドレスそのものは素晴らしいと思うし趣味もいいとは思うが、それを着るのが自分だと思うだけで一気に素敵なドレスが恐ろしいものに見えてくる。ドレスを着るのではなく着られている気がしてならなくなり、自分ごときにこんな立派なものはふさわしくないと思えてくるのだ。仕立て屋やら侍女達やらはもちろん、着飾った自分の姿を見た人々に対して申し訳なささえ覚えてしまう。

 誰だって自分に似合わない服を着るのは羞恥心を煽られるだろう。もちろん、そんな事は誰にも言えないが。自分の事を一番理解してくれているであろうエバでさえ着飾ったアーニャを見て満足そうにしているのだ、恥ずかしいと言えるわけがなかった。

 現れたディウルスはアーニャと同じように楽な格好をしていて、ともすればどこかの工房の親方に見える。悪漢に見えないだけましだろうが、とても王侯貴族には見えなかった。もっとも、それは今日の自分にも言える事だ。特異な左目をベールで覆って銀の髪を一つにまとめて帽子の中にしまい込めば、アライベル王の婚約者という身分を隠す事はたやすい。これで誰に気負う事なくゆっくり外を歩けるだろう。


「最初は芝居でいいか?」

「はい。楽しみです」


 馬車に乗り込んだアーニャとディウルスに付き従う者はいない。だが、それはあくまで建前上の事で、実際は少し離れたところからついてくるのだろう。そんなアーニャの想像通り、馬車が走り始めて少ししてから後続の馬車の影が見えた。


「恋愛小説はよく読んでいると聞いていたが、姫は戦記も好きなのか?」

「ええ、嫌いではないですね。戦争のお芝居を観るのは初めてですが、きっと楽しめると思います」

「意外だな。女子供は恋愛ものにしか興味がないと思っていたぞ」

「恋愛ものも、とりたてて好きというわけではありませんよ? 暇さえ潰せるのなら何でもいいですし……ただ、嗜好の中で一番恋愛ものが現実に近いようでいてかけ離れていただけですから。どうせ作り話なのですから、少しでも夢のような幸せなお話を味わいたいじゃないですか」


 道中、ディウルスの質問にアーニャはくすくすと笑いながら答える。ディウルスの表情が固まったのに気づかないまま、アーニャは自分の読書遍歴を思い出していた。

 何を読んでも異母兄姉達や妃達からちくちくと嫌味を言われたり、本の内容によっては復讐を企てているなどと言われて恐れられたり。本の世界に集中すれば現実世界の雑音は遮断できるものの、読み終えた後の虚無感と脱力感を回避する事はできない。本の中の煌びやかで楽しそうな広い世界と、現実の自分のつまらない狭い世界を比べて憂鬱になってしまうのだ。

 そのせいで一時期読書が大嫌いになった事もあったのだが、結局本を読む事しかする事がなくて「創作は創作、現実は現実」と割り切った結果、今に至っている。そう割り切れたおかげか、今では純粋に読書という行為を楽しめるようになった。

 幼いころのように物語の主人公に自分を重ね合わせることもなくなったため、読後に気分が暗くなる事もない。しょせんすべては偽りであり、嘘を重ねた文章を目で追うという行為に時間を使うだけなのだから――――心の底から純粋に読書を楽しんでいる者はみなこう考えていると、アーニャは信じて疑っていなかった。


「俺は一向に構わんが、戦争の話なんぞ少し刺激が強いんじゃないか? 怖くはないのか?」


 そこはかとなく漂う闇を感じ取ったのか、ディウルスは言葉を選ぶようにしながら話題を変える。そうでしょうか、と答えつつ、アーニャはゆっくりと口を開いた。


「本当の戦争はきっと恐ろしいものでしょうし、過去にそんな出来事があったと思うと確かに胸は痛みますが……少なくとも小説やお芝居の中での死は、本物ではありません。刺激が強いも何も、現実に生きるわたし達とは何の関係もない世界の事なんですよ。何を恐れる必要があるのでしょうか」

「お前は……いや、なんでもない」


 小さくつかれたため息は、呆れかそれとも落胆か。ディウルスの望む返答ができなかったと思い、アーニャはびくつきながら謝罪の言葉を口にする。すると彼はきょとんと眼を丸くした。


「謝らなくてもいいだろう。お前はお前の考えを口にしただけじゃないか」

「ですが……」

「むしろ謝るべきは俺のほうだ。姫の事をよく知りもせず、勝手に作り上げた“女”という型に姫を押し込めようとしていた。お前も一人の人間だというのに、その人格を無視して自分の想像で推し量ろうとしたんだぞ。人の好みや考え方は決して一つではないというのにだ。さすがにこれは愚かしい行いだった。すまなかったな」


 なんでもない事のように言い放たれた言葉は、これまで耳にしたことのない類のものだった。ディウルスの言葉を好意的に解釈するならば、彼は自分を一個人として扱ってくれているという事になる。すべての色眼鏡をなくし、対等な人間として見てくれている。そんな人は初めてだった。


「お前が何を危惧して何について謝ったのかは知らんが、これだけは断言しておこう。たとえお前がどんな人間であれ、俺はそれを受け入れよう。無論、人の道を踏み外そうとするならたしなめはするがな」


 さすがに法に反するのは困る、とディウルスは冗談めかして笑った。そのまま彼はじっとアーニャの目を見ながら話す。


「仮に俺が姫に対して幻滅する要素があったとしても、その傾向が見えた時点でお前にその旨を伝えるつもりだ。俺が何も言わん限りは、そう身構える必要はない」

「では、陛下は……何を、言いかけたんですか?」


 そう諭すように言われたところで安心できないものはできない。アーニャが尋ねると、ディウルスは気まずげにぽりぽりと頬を掻いた。


「……姫は変わっているな、と。うまくは言えんが……夢見がちかと思えば、妙なところで達観している。どうやら俺が思っているよりもお前は大人で、しかしそれと同時に幼子のようだ。……悪いが、俺は口下手でな。これ以上説明できんから、結局言葉にできなかっただけだ。他意はないぞ」

「そうですか?」


 心当たりのない事ばかりだ。戸惑うアーニャをよそに、ディウルスの言葉は続いた。


「お前は不思議な女だ。仔兎のように怯えていたと思えば、主張する時ははっきりとする。今もこうして、俺が口ごもった理由を知りたがっただろう? 趣味があるのかと思えば、それが本当にお前の好きな事なのかもあやふやだ。俺はお前がさっぱりわからん。……だが、だからこそ知りたいと思う」


 それと同時に馬車が止まる。劇場に着いたようだ。ディウルスはわずかに顔を動かして窓の外を見たものの、すぐにアーニャに視線を戻した。


「お前が祖国でどんな暮らしをしていたかに興味はない。今のお前はアライベルの未来の王妃、それだけだ。だから俺の前では――この国では、無理をする必要はないからな」


 その意味を尋ねるより早く扉が開く。おっかなびっくりといった手つきではあるが、ディウルスはアーニャの手を取って足早に歩き出した。まるで質問する余地を与えないかのようだ。見上げたディウルスの顔は、日差しのせいかわずかに火照っているような気がした。


*


 観劇を終え、感想を言い合いながらアーニャとディウルスはゆっくりと街を見て回る。二人の希望で徒歩での移動になったせいか、少し離れたところに騎士達らしき影が見えるとはいえいつもよりいっそう距離が近くなった気分だ。遊興目的の外出というのも大きいのかもしれない。

 時間はたっぷりとある。目についた店の一軒一軒に入った。アーニャは特に欲しいものもないので、ディウルスに付いて回っていた。ディウルスは珍しいものに目がないらしく、様々な品物を手に取っては興味深げに見ている。そんなディウルスの様子を見ているのは面白かったし、彼と一緒に店主から商品の説明を聞いている時間も楽しかった。

 しかしディウルスはそうは思わなかったようで、やたらとアーニャに欲しいものを訊いてくる。そう言われても、店頭に並べられている商品を眺めているだけで満足してしまうのだ。正直にそう言えばディウルスは困ったような顔をしたが、それはアーニャも同じだ。何度同じ事を訊かれても困ってしまう。

 自由に使える金はある程度持たされてはいるが、果たして贅沢品のために浪費していいのかもわからない。心惹かれるものがあるわけでもないし、どうしても必要な物もないのだから、ここで無駄遣いする事はないだろう。結局アーニャは何も買わないまま、ディウルスに付き合っていた。



「陛下、今日はありがとうございます。おかげでとても楽しい時間を過ごせました」

「それはこっちの台詞だ。途中からほとんど俺がお前を連れ回す形になったが、それでも楽しめたのならいいんだが」


 いつの間にか日は沈んでいた。宮殿に帰るために馬車に乗り、アーニャはにっこりと笑う。自分が買った品物の山を一瞥し、ディウルスも微苦笑を浮かべた。


「そうだ、忘れんうちに渡さないとな。これは今日付き合ってもらった礼だ」


 そう言いながらディウルスが取り出したのは、綺麗な包装が施された小包だった。差し出されたそれを怪訝な眼差しで見つめるアーニャに気づき、ディウルスは早口で弁明じみた言葉を並べた。


「お前は何もいらんと言ったが、贈り物の一つでも渡さなければ俺がリアレア達にどやされてしまう。俺の顔を立てると思って受け取ってくれ。もちろん身に着けろとまでは言わんぞ? お前の趣味を把握しているわけではないし、俺の物を選ぶ才能なんぞないに等しいからな」

「あ、ありがとうございます。開けてみてもよろしいですか?」

「ああ。気に入らないなら、引き出しの奥にでもしまい込んでおいてくれ」

「そんな扱いはしませんよ。陛下がくださったものですもの」


 王女として何か祝い事があったならともかく、何もない時に、個人的に贈り物をしてもらったのは初めてではないだろうか。緊張で指先が震える。入っていたのは、繊細なレースの青いリボンだった。

 女性向けの品物が並べられた棚の前でうんうん唸りながら右往左往するディウルスの姿が目に浮かぶようだ。彼はいつこれを選んだのだろう。アーニャもずっとディウルスにぴったりとくっついていたわけではない。同じ店内にいても別の棚を見て回っていた時だってあったので、その時にこっそり選んだのだろうか。


「何を訊いても、お前はいらないと言うだろう? あの時は他に訊ける奴もいなかったし……店員に相談しつつ、お前に似合いそうなものを考えたんだ」


 視線を落としたディウルスは小さな声でぼそぼそと語る。小包を抱きしめ、アーニャは彼に微笑んだ。


「わたしにはもったいないような素敵なものですが、せっかく陛下が選んでくださったんですもの。大切に使わせていただきますね」


 ふと目を離したら腕の中の贈り物が消えてしまいそうで。それから宮殿に帰るまでの間、アーニャが小包を手放す事はなかった。

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