ふれあい体験
「ペットシッター?」
聞き慣れない単語を繰り返す。
相棒は、彼に可能な限りすまなそうな顔でこっちを見つめてきていた。
「ああ。急な出張で五日間預かって欲しいって依頼だ。今まで何度も頼まれてるお得意さんで、断りたくないんだが、俺がちょうど仕事が入っちまったから、お前に頼めないかと思って。ペットフードその他は専用のものを預かるし、トイレの躾もできてる。今までも特にトラブルはないし、朝晩の散歩の手間があるぐらいなんだ。勿論、報酬は全額お前に入るようにする」
もしも問題があるなら、それはしっかり伝えてくるだろう。守島咲耶のプロ意識に関しては、弥栄紫月は全面の信頼を寄せている。
散歩だって、自分のジョギングと兼用すれば大した手間でもない。
「いいよ」
あっさりと答えられて、咲耶は心底安堵したように笑った。
「すまん。恩に着る!」
数時間後、紫月の部屋に連れてこられたのは、小型犬と同じぐらいの大きさの、黒い獣だった。
……ただ、その胴体には頭部が三つ生えていたが。
「ケルベロスかぁ……」
感心した口調で、紫月が呟く。彼はダイニングの椅子に腰掛けて、預かった獣を見つめていた。
確かにおとなしい。吠えることもなく、粗相することもなく、そして怯えもしていない。
だが。
「あれは完全に僕たちを下に見てるなぁ」
リビングのソファにどっかりと座りこみ、鷹揚に周囲を睥睨するケルベロスを、感嘆しつつ見つめる。
まあ預かっているのだし、この部屋で家具を使うのは紫月だけだ。ソファが使えないなら椅子を使えばいい。併用することはないのだから、特に支障はない。
使い魔たちがどう思っているのかは判らないが、主人である紫月が気にしないのであればそれに従うだろう。
それにしてもこの獣を、以前預かった時に咲耶はどうあしらったのか、それが気になっていたりもしたが。
しかし、ケルベロスの天下は、翌日の午後までしか続かなかった。
「ん?」
リビングに足を踏み入れた来客は、ソファの上で硬直する獣に視線を止めた。
「珍しいな。地獄の獣がこんなところにいるとは」
それは紫月の家庭教師。夏木太一郎だった。
心なしか毛皮が逆立っているケルベロスを、小首を傾げて紫月が見下ろす。
知らない人が来て緊張してるのかな、と呟いて、来客に向き直った。
「太一郎くん、こういうペットって好きなんですか?」
何だか意外で、率直に尋ねてみた。
「ああ、結構好きだぞ。なかなか美味いしな」
日常会話のようなノリで答えが返ってくる。
硬直していたケルベロスが、そのまま、こてん、と転がった。ソファの上で無防備に腹を晒して横たわっている。その三対の目は、決して太一郎へ向けられてはいなかったが。
「ほぅ。躾の行き届いた奴だな。うちでも一頭手に入れるか」
「……斎藤さんが倒れるんじゃないですか」
とりあえず、紫月はそう窘めておいた。
ケルベロスの身体の震えが目に見えるほどに大きくなっていたのが、少しばかり心配になりながら。
後日、飼い主からは戻ってきたケルベロスが従順さを増し、かつよく甘えてくるようになったという嬉しげな伝言が伝えられた。




