それぞれの年の瀬
以前に制作していた個人サイトの月替わり拍手お礼のSSです。
色々あってサイトが閲覧できなくなりましたので、こちらに再録していくことにしました。
初回は小話が三話です。
何やらいい匂いが漂ってきていたので、ふらりと上の階へ行ってみた。
相棒は、紺の絣の着物に襷をきりっとかけて、台所に立っている。
「どうした? 腹でも減ったのか?」
こちらへ視線も向けず、咲耶は尋ねてきた。まあ、ドアを開いた音がしているし、そもそも僕も気配を消したりなんてしていない。
「いや、何を作ってるのかな、って」
ふらりと近づくが、咲耶は視線を鍋の中身から外そうとさえしない。
「ああ、豆を煮てんだ。正月の」
「正月?」
話が飲みこめていない様子に気づいたのか、ようやく彼はこちらを向いた。
「黒豆だよ。おせちの」
手にした菜箸で、かん、と鍋の縁を叩く。
「お……」
しかし、僕は彼の言葉に、反射的に一歩下がった。
「おせち料理なんて、都市伝説じゃなかったのか!?」
「……お前、今までどんな正月過ごしてたんだよ……」
僅かに憐れみの籠もった目で見られたのは、多分気のせいだったのだろう。きっと。
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「あけましておめでとうございます、西園寺さん!」
寒さのせいか、僅かに頬を赤くして、紫月はにこやかに笑って言った。夜の闇に、息が白く映える。
「おめでとうには、まだちょっと早いで。……なんや、嬉しそうやな」
待ち合わせ場所に既に立っていた男は、面白そうな顔で返してきた。
「初めてなんです。除夜の鐘とか、初詣とか」
照れたように笑んで、少年が見上げてくる。ぽん、と、男はその冷たい髪に触れた。
「坊ンはホンマに初々しいなぁ。日が変わる前から参拝するんは、二年参りって言うんやで」
「あ、名前がある方法なんですね」
「お前が軽々しく他人に触んなよ。変質者が」
紫月の後ろからゆっくりと歩いてきた咲耶が、苦々しく告げる。
「なんや、咲耶。妬いてるん?」
「死ね。無駄に年を越す前に死ね」
眉を寄せて、紫月の頭に乗せている腕を掴む。そのままぐい、と引いて、数歩離れたところに連れて行った。
「言っておくけど、今日はお前が誘って来たんだからな。責任は取れよ。色々と」
「なに不穏な言い方してるんや?」
にやにやと笑みを浮かべて、返す。咲耶が声を低めて続けた。
「お前、お年玉のことは考えてないだろう」
「……自分、ワシにたかるほど生活キビシイんか?」
つられてか、西園寺も真顔で声を潜める。
「莫迦か。紫月だよ。あいつ、今までお年玉貰ったことねぇんだから。別にお前に期待はしてないだろうけど……」
というか、思いつきさえしていないだろう。
ちらりと背後に視線を向ける。紫月はきょとんとした顔で、二人の方を見つめていた。
「判った。大丈夫や。オトナとしての義務ぐらい、ワシが果たしたる」
悲壮な表情を浮かべる西園寺に、咲耶はなにも涙目になるほどではないんじゃないかと思いつつも、その言葉を呑み込んだ。
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「邪魔になるので、出て行って頂けますか」
にこやかに、そして慇懃無礼に、青年はそう言い切った。
「あいつの使命感は時々重いな……」
頬杖をつき、大人びた表情で少年は呟く。
「でもいつも綺麗にしてるでしょう、斎藤さん。わざわざ大掃除とか必要なんですか?」
不思議そうに、紫月が尋ねる。
「日本人のDNAにでも刻まれてるんじゃないか? 大方、あいつもそうだろう」
無造作に親指を天井へ向ける。僅かに苦笑しただけで、紫月はそれに対して口を開かなかった。
部屋を追い出され、太一郎はやむなく紫月の部屋を訪れていた。まあ、正直どこにいようと彼は全く変わらない。
「お前は大掃除なんてやっているのか?」
ふいに水を向けられる。さりげなく紫月は明後日の方向を見上げた。
「ええと……。カルミアに話しておいたら、夜のうちに全部やってくれたみたいで」
「お前も一人前に堕落してきたな」
特に非難することもなく、太一郎はあっさりとそう呟いた。
「にしても斎藤さんも大変ですよね。結局冬休みもなし?」
「ああ。僕は一人でも大丈夫だと言ってるんだが」
九月に太一郎の世話役になってから、あの青年はまともに休みを取ったことがない。ちらりと聞いた話では、彼は母一人子一人であるというのに。
「太一郎くん。ちょっと、咲耶に話をしに行きませんか」
何か思いついたらしい弟子に、太一郎は胡乱な視線を向けた。
その日の夕飯が終わったところで、太一郎は斎藤の名を呼んだ。食後のコーヒーを運んできていた青年が小首を傾げる。
「この年末、カレンダー通りに休め」
夏木ホールディングスの休暇は結構長い。反射的に反論しかけた青年を、一瞥して黙らせる。
「僕のことなら心配いらん。守島が二人分のおせちを作ろうとしたら、勢い余ってもっと多く作ってしまったらしい。頭を下げて、食べに来てくれないかと頼まれている」
あいつは意外と不器用だ、と少年は小さく笑った。
「しかし……」
「奴への礼は、僕から渡す。何かあったら連絡するから、携帯の電源だけは入れておけ」
それきり全く取りつく島のない太一郎をしばらく見つめ、斎藤は静かに一礼した。




