表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
IMAGE Crushers!  作者: 水浅葱ゆきねこ
第二話 死霊の棲む家

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/87

第四章 02

 山の日没は早い。

 まして、西側に山肌がそびえる場所ならば、尚更。

「暗くなる前に中をしっかり調べておくか」

 咲耶が連れを促す。気が乗らない風ではあったが、彼はそれに応じた。

 戸口を潜ると、屋内は一層薄暗い。

 微かにかびた臭いが鼻を突く。

「……むしろ、一晩ここにいるつもりなら、まだ明るいうちに床を何とかするべきじゃないか。これじゃ座ることもできないだろう」

 声にやや不快そうな響きをこめて、紫月が提案した。

「この程度大したもんじゃねぇよ」

「修行を積んだ君と一緒にしないでくれ」

 状況への対応力を即座に否定されて、肩を竦める。

 まあ、確かに意味もなく一晩立っている理由もない。

 咲耶が軽く片手を上げる。

「椿……」


 彼が、式神を召喚しかけたその時に。


 視界が、一瞬で闇に呑まれた。



 周囲の気配を探る。

 誰もいない。すぐ傍にいた筈の、紫月ですら。

 警戒は緩めずに、ゆっくりと視線を一周させた。

 何も見えない。ただ、闇が満ちている。

 だが。

 手を軽く上げる。真っ直ぐ前方に伸ばす。

 自分の身体は、はっきり見える。指先や爪先まで、闇に飲まれることもなく。

 つまり、ここは、光源がないから、闇の中なのではない。

 自分以外に何もないから、闇の中なのだ。

 とんとん、と、踵で足元を確かめる。とりあえずはしっかりした感触が返ってきた。

「全く……。仕掛けてくるなら紫月だけかと思ってたのに。俺まで巻きこまれるのかね」

 ふ、と、小さく息をついた。

「ま、いいか」

 片手を頭の後ろに回す。長い髪を結い上げていた白の組紐を、(ほど)いた。両手で端をそれぞれ持ち、ぴん、と張る。

 そして口の中で一言二言呟いて、左手を離した。

 真っ直ぐに伸びたままの組紐を、まるで刀でも持つかのように構える。

 気配はない。誰も。

 だが、意識は向けられている。

 ねっとりとした、悪意が。

 穢れに満ちた、興味が。

 そして、酷く軽々しい、殺意が。

 何よりもこの、覚えのある、圧迫感。

 今の状況を作り出したのが普通の相手ではないことは、充分察せられている。

 式神を召喚しようとして、この状況に陥ったのだ。術がどれほどの効果があるか、試してみるだけの余裕はない。

 場合によっては、文字通り力押しで対処しなくてはならないと覚悟する。

 警戒を解かずに、どれほど待っただろうか。

 背後に、自分ではない何かの気配が、生じる。

 すぐさま向き直った咲耶は、ぽかんと口を開けた。


「……(あけ)(にい)?」

「咲耶」




 鼓動が大きすぎる。紫月は、苛立った視線を周囲に向けた。

 何もない。闇以外は。

 見えない位置から向けられる殺意に、苛立っている訳ではない。そんなものに対処する方法など、幾らでもある。

 それでも、よりによって、この地へ来たところで生じた怪異に、平静ではいられない。

 ああ、せめて、この心臓の音が聞こえてこなければいいのに。

「……紫月」

 つい数日前に耳にしたばかりの声に、息を詰まらせる。

 ゆらり、と姿を現したのは、見覚えのある女性だ。

 長い髪。儚げな佇まい。全てを諦めたような、そんな。

 闇の中にいるせいなのか、今は半透明ではない。あの時よりもはるかに確かな現実感を伴って、そこにいた。

 心臓が、一際大きく跳ねる。

「貴女、は……」

 粘つく喉が、酷く不快だ。

「貴女は、僕の母親なんですか?」

 指先の震えを抑えようと、拳を握った。

 悲しげな瞳が、こちらをじっと見つめてきている。

「紫月。警告したのに。どうしてここへ、一緒にやってきたの」

 ゆっくりと、手が伸ばされる。細い指が、紫月の頬を撫でた。

「母さん……」

 奥歯を噛み締める。涙が滲みそうになって、目を細めた。

 白い指は、顎の線を辿り、そして。

 鋭く、紫月が喘ぐ。

「母さ、ん……!」

 母親の指は、きつく、息子の首に巻きついていた。



 ああ、せめて。


 この鼓動が止まってしまえば。




 すらり、とこちらに向けられた切っ先が、鈍く光る。

 彼らの周囲には闇しか存在しないというのに。

「何でここにいるんだ、とかって訊いても無駄なんだろうな」

 脂汗が滲むのを自覚しながら、呟く。

 目の前の相手は、感情を揺らがせもしない。

 ただまっすぐ、相対してくる。

 記憶にあるままに。

「暁兄相手じゃ、これで太刀打ちできる訳ねぇな……」

 残念そうに、手にした白い組紐を見下ろす。

 瞬間、一気に相手は距離を詰めてきた。

 鋭く息を吸い、半身を翻して避ける。

 避け、られた。

「……へえ」

 ざ、と、スニーカーの底で足元を均す。

 ぎりぎりかわした相手は、再び、こちらに殺意を向けてくる。

「それほどでも、ねぇの?」

 嘲りを籠めて、問いかける。

 (いら)えはない。

 まっすぐに、ただまっすぐに向けてくる、殺意。

 これは、記憶にあるものだろうか。

 末弟は、にやりと笑んで、得物を構えた。




 涙が流れる感触に、はっと目を開く。

 息を吸いこみかけて、がさついた空気に、咳きこんだ。

 心臓の鼓動を、再び意識する。

 どうやら、床に倒れていたらしい。滲んだ視界には、誰の姿も見えない。

 母親の、ものも。

「……どうして……」

 小さく呟く。

 震える指が、自らの喉に触れた。じんじんとしびれるように痛むそこが、辛い。

 やがて、漆黒の闇が満ちる視界に、何かが揺れた。

 僅かに視線を動かす。誰かが、すぐ傍に立っていた。

 それは紫月の傍らに跪き、顔を覗きこんでくる。

「教主さま……?」

 ぼんやりと、その名を口にする。

 幼い紫月を引き取った養父に代わり、彼の日々の面倒を見てくれていた教団の教主だ。

 人のいい、慈愛に満ちたその笑みを目にして、安堵がゆっくりと心に沁みる。

「紫月くん」

 深い声が名を呼ぶ。

 厚みのある手が、差し延べられる。

 まだぼうっとして教主を見上げていた紫月は、それが振り下ろされる直前になって、手に握られた槌をようやく認めた。


 鼓動が止まる。

 また。




 目の前の人影が、力なく息を吐き出す。ずるり、と崩れ落ちる身体を感じて、突き出した得物を引き抜いた。

 嫌な手応えを振り払うように、鋭く、目の前を一度()ぐ。ひゅん、と、手にした組紐は空気を切り裂いた。

 額に貼りつく前髪を、鬱陶しげに首を振って払い除ける。

 床に倒れた肢体は、すぐに闇に飲まれて消えた。

 もうそこには誰もいないように。

「ええと、何人だっけ。九人目だったか」

 時折ひやりともしたが、割と楽な作業だった。

 相手は全て、咲耶の記憶にあった者たちだ。その実力に関しても。

 だが、咲耶は、彼らと最後にやりあってから今までに、かなりの経験を積んできている。

 修行と少しばかりの実践しか経験しなかった、あの頃よりもずっと。

 ずっと、実際的で、汚い手を取得している。

 楽勝とは言えないが、余裕はあった。

「だとすると、やっぱり何考えてんだろうな……。弱すぎるだろ」

 記憶にあるよりももっと、強くもできる筈だ。

 ふわり、と、空気に、奇妙な臭いが混じる。

 露骨に眉を寄せ、少年は振り向いた。

「……よぅ。久しぶりやな。咲耶」

「ああ、判ったよ。嫌がらせか。もう完璧に嫌がらせか。なぁ」

 あからさまに嫌悪を態度ににじませると、咲耶は手にした得物を構える。

「お前に言っても仕方ないかもしれねぇけどな。とりあえず、煙草は吸うな」

 嘲るように、闇の中に紫煙は流れていた。




 苦痛が、全身を支配している。

 どくどくと脈打つ鼓動が、それを増幅していた。

「……どうして……」

 浅く、呼吸を繰り返す。

 べっとりと、肌に貼りつく血の感触が、酷く不快だ。

 首を絞められ、潰され、切り裂かれ、抉られ、折られ、打たれた結果としてはまあ順当ではある。

 しかし、通常であればこの程度のダメージ、各々数分から数十分で回復する筈だ。なのに、今、彼の身体はその兆しすら発していない。

 記憶にある限り、初めての状況に混乱する。

「どうし、て……」

 彼を殺してきた人々の顔を、思い返す。

 全て、彼が信頼し、親しみを抱いていた相手だった。

 涙が頬を伝い落ちていくが、それを拭うだけの気力もない。

 ただ、背を丸め、力なく座りこんでいるのが精一杯だ。


 そして、また、前方から気配が近づいてきていた。

 かろうじて視線を上げた、その先には。


「……紫月?」

 見知った少年が、見慣れない格好で立っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ