第五章 05
※ 二話連続投稿しております。ご注意ください。(一話目)
その日の夕方になって、守島咲耶は株式会社ナガタニの本社を訪ねていた。
さほど待たされることもなく、那賀谷は姿を見せる。
「お忙しいところ、ありがとうございます。……随分、綺麗になったようですね」
視線を僅かに上に上げ、小さく笑む。
社長室の清掃は着々と進んでいる。それを、数階下の応接室で嗅ぎ取る少年に、肩を一つ竦めただけで那賀谷は流した。身体は割と動けるようになっているらしい。
「進捗の報告かね」
「はい。この度の呪いの件、解決致しましたので」
さらりと告げられた言葉に、男は口を半開きにする。
それをよそに、てきぱきと咲耶は手にした鞄からファイルを取り出した。
卓の上に広げられたのは、何枚かのコピー用紙だ。
「これは……」
不審な視線を、紙の上に指を滑らせて誘導する。
「こちら。『対象』の欄をご覧ください。株式会社ナガタニ、とあります」
ごくり、と那賀谷は喉を鳴らす。
「こちらが『目的』ですね。『依頼人』の欄はどちらも未記入。それは、これを書いた人間が企んだことだからです」
淡々と、咲耶はその内容を読み解いていく。
「それは、誰だね」
緊張を隠せない声で、問いかける。
真っ直ぐにそれを見返して、若い拝み屋は告げた。
「杉野孝之。昨夜、聖エイストロム教団での火事で亡くなった男です」
紫月が、杉野の遺産を相続することを決めた直後。
少年は、養父の書庫の管理人を呼び出した。
情報を司る悪魔、トゥキ・ウル。
彼の黙然とした働きにより、杉野の書庫は昨夜の炎と水の被害には全く遭っていなかった。
相続人は、杉野の、表に出ては困る遺産を、全て人の手に届かない場所へ隠蔽するようにと命じる。『副業』を細かく記したノートや、それによって得た報酬など。
その折に、咲耶はノートから数枚のコピーを取ることを紫月に頼んでいたのだ。
彼はそれに快く応じた。
ここにあるのは、そのコピーである。
『生贄』の欄が書かれていなくてよかった、と、咲耶は内心思っていた。
那賀谷と紫月は顔を合わせたことはあるが、真夜中だったし、きちんと名乗ってもいない。杉野の関係者だとばれてはいないだろう。
彼が関わりあっていたことで、仕事の結末に変な勘繰りをされても困る。
「……なるほど。では、教団自体はこの件に絡んではいなかったと?」
「はい。呪を放っていた男は死亡し、これ以上の呪術的な被害は起きないと思われます。勿論、これから社屋を一通り点検させて頂きますし、今後も何かありましたら、ご連絡頂ければすぐに対応致しますよ」
ビジネスの顔になって、咲耶は冷静に話を進めていく。
杉野の名前は、初日の聞きこみで出ていたのを、おそらく竹田から報告を受けていたのだろう。さほど不思議な顔はされていない。
幸い、那賀谷は教団にも、杉野の相続人にも損害賠償を請求しよう、という姿勢は見せなかった。
「判った。明日になってしまうが、報酬は振りこんでおこう。ありがとう」
分厚い手を差し出され、握り返す。手袋を嵌めたままなのを、那賀谷はもう咎めはしない。
「それにしても、君も自宅が被害にあったというのに、三日で方をつけてくれるとは。大変だったろう」
労いの言葉までかけられて、いえいえ、と返しておく。
実際、こちらの方を片づけなくては、自宅の後始末にも手をつけられなかったというのが本音だが。
「新しい家を探すのなら、相談に乗ろうかね。これでも、不動産屋には顔が利くんだ」
冗談ぽく笑いながら申し出る那賀谷に、僅かに苦笑する。
「お気持ちだけで充分です。ちょっと、特殊な部屋を探さなくてはならないので、まだ始めかねているところなんですよ」
聖エイストロム教団の被害は、状況としては、さほど致命的なものにはならなかった。
彼らは常識的な範囲で火災保険に加入していたし、町内会を初めとする近隣住民の熱心な援助もあったからである。
マスメディアは、どこをつついても悪い評判の出ないことに半ば失望して、教団への興味を失っていった。
その後再開された、ナガタニへの土地売却問題は、場所にややけちがついてしまったこと、そして近隣住民との良好な関係を具体的に知るに至り、白紙に戻ることとなった。
そして。
炎が、視界を全て埋め尽くしている。
壇上にも、重く垂れ下がった緞帳にも、赤いちらちらとした炎が巡っていた。
「話……?」
ぼんやりと、言葉を繰り返す。
目の前に立つ美貌の魔王は、薄く笑みを浮かべていた。
「そなたの望みは何だったのだ、杉野よ」
「叶えるつもりもないものを、この期に及んで聞き出そうとするか、アスタロト」
もう、魔術は使えない。魔王の意思一つで、自分の存在など消し飛ぶのは確実だ。
おもねる気にもならなくて、男はぞんざいに言葉を返した。
「そう言うな。昔話よ。そなたは、十八年前から、今日のことを企んでおったのだろう。一体何を求めておったのだ?」
十八年、前。
「王国と……栄光」
十八年前に夢見た、それは。その時には。
傍らには二人の友がいた。
きつく、唇を引き結ぶ。
今は、いない。過去にいたことを思い返しても、何にもならない。
だが、魔王は穏やかですらある声で、告げる。
「それが、歪みだ。歪んでしまった望みを、当時のままの呪術を使って成就できる筈もなかろう」
二人の友と。
子供と。
ばちばちと、炎の音が耳を塞ぐ。飢えているような。
耳を塞ぐ。聞こえる訳もない。
誰にも。
「……幸せに、できるかと」
幸せになれるかと。
だが、失せた。友が。子供が。情が。
失せたものを取り戻せはしないのだから、歪みだとて悔やめはしないのだ。
「変わらぬな。魔術師よ。そなた、逃げようとせんかっただろう」
無言で俯く杉野を、魔王は楽しげに見下ろす。
既に魔術など扱えぬ男を。
「あの、若い外法者の術。一体なにをやらかすか、興味があったのだろう? そなた、昔も興味津々で尋ね続けては愛美に幾度も叱られておったな」
懐かしげに、魔王は笑う。
「好奇心は、身を滅ぼす。太古の昔より変わらぬ定理だが、それに踏みこむ人間も、減りはせん」
すぅ、と、目を細める。
ゆっくりと顔を上げた杉野は、笑みを浮かべていた。
そして。




