お題『梅雨』
梅雨とは、梅の雨と書く。
語源は諸説ある。
曰く、梅の実が熟すころだからこう書くという説。
曰く、雨が続いて湿度が高くてカビが生えやすいから「黴雨」が転じて、読みが同じで綺麗な漢字が当てられてこうなったという説。
曰く、普段の倍も雨が降るから「倍雨」が転じたという説。
幾つもの理由が思い当たりすぎて、どれが真実かわからなくなって、名前だけが残ってしまった、そんな現象。
始まったときには、よくある一過性の天候の変化だと思っていた。
一晩眠って夜が明ければ、いつもの晴れ渡った光景が待っていると思っていた。
最初の一週間は、明日こそはと思い続けていた。
けれど、10日目から、異変に気付いた。
これは、梅雨だ。しばらくぶりに、いつ明けるかわからない、どんよりとした期間に突入してしまったのだ。
まったく、面倒で仕方がない。
濡れたままで放っておいたら風邪をこじらせるし、毎日傘や合羽で自分を守らなければならないし、一日だけならば気にならなかったことが、毎日続くとこんなに面倒になるとは考えてもいなかった。
そして、それを面倒に思う自分が、こんなに面倒だとは想像してもいなかった。
止めようとしても止まらない。押えようとしても押えられない。
これはもう、制御できない災害の類だ。
何度か経験したことがないわけでもないのだが、今回のそれはまったくもって性が悪い。
下駄箱から空を見上げる。
天気予報を盛大に裏切って降りだした雨は、私の中のその感情のように小粒で、その癖まとわりつくような嫌らしいものだった。
霧状に白く煙って、ちょっと先は見通せない有様まで、腹が立つほどそっくりだ。
「どうしたん?」
横から声をかけられる。私の梅雨前線を引き起こしている張本人は、まるでけろっとしたような顔でこちらに声をかけてきた。
こちらの頭の中に降り注ぐ、湿気て黴の生えそうな梅雨のことなんて、知りもしないで。
あまやかな痛みとか、甘酸っぱい想いとか。
世の中にはこの感情のことを、もっとロマンチックだったり爽やかだったりに形容したりするけど、全くもって信じられない。
これは、梅雨だ。どうにもならない厄介な天候の変化だ。……まあ、私の心とやらが面倒臭いだけなのかもしれないのだが。
「なんでもない。かったるいって思っただけ」
さて、どうやってこの梅雨を終わらせよう。
梅の実に黴が生えてしまう前に、倍率の高い賭けに出るしかないか。
「だよなあ。雨降るなんて言ってなかったもんなあ。梅雨だからって朝晴れてたら傘なんざ持たないって」
「そりゃアンタの油断でしょ。ほれ」
無表情を繕って、折り畳み傘を差し出す。
この厄介事に決着をつけるための、安っぽい切り札の一つを。
「……おっ、傘2個持ってきたとか!?」
「んなわけないでしょうが。入って」
「んげ」
なんだその反応は。背景にある感情に色々な可能性はあるが、だとしてもあんまりではないか。
必死で隠しているのはこちらだから配慮してくれとは言わないが、今の私の心の天候は不安定この上ない。
具体的には多分、コンビニ傘並の強度しかないと思う。梅雨のゲリラ豪雨なんか来たらぽっきりいくのだ。
泣くぞ。どうせ泣いたって、ずぶ濡れになれば気づかれたりしないし。
まあ、とりあえず、我慢してだめ押しと行こう。
「濡れて帰る?」
「いや、お邪魔します」
「よろしい」
梅雨とは、梅の雨と書く。
語源は諸説ある。
曰く、梅の実が熟すころだからこう書くという説。
曰く、雨が続いて湿度が高くてカビが生えやすいから「黴雨」が転じて、読みが同じで綺麗な漢字が当てられてこうなったという説。
曰く、普段の倍も雨が降るから「倍雨」が転じたという説。
幾つもの理由が思い当たりすぎて、どれが真実かわからなくなって、名前だけが残ってしまった、そんな現象。
どうして始まったのかはわからない。理由なんて後付でいくらでも思いつくけど、どれも言葉にしたら軽くて薄くて嘘っぽい。
でも、そう名前をつけるしかない現象だけは厳然と存在している。
まったく、今の私にぴったりな、面倒くさい気象状況。
梅雨前線異常なし。
まあ、当面はこの中途半端な湿度を、もたもたしながら、できうる限り楽しむことにしましょうか。
どうせ、明けない梅雨はないのだから。
たとえそれが、どんな形であったとしても。




