5章3話『見えない狂気』
矢野は懐から小刀を取り出し、それを逆手に持った。左手ではタバコが一筋の白い煙を生み出している。シュルバも同じようにナイフを取り出し、ニヤリと笑った。
霧島はその2人から離れた所でノートパソコンを操作している。それを後ろから見ていたアリスは画面を指差して言った。
「これ、なんですかー?」
アリスが指差したのはでかでかと映っている青いバー。それが2本、横一列に並んでいた。
「これはReplicaの限界を表すバーです。いくら多次元とはいえ同じ時間軸の同じ場所にいる以上、多少次元同士が影響し合うこともあります。特に人などといった、情報量の多いものだと」
「このバーはその次元同士の影響が次元を貫通して現れるまでの猶予、つまりあの2人のライフゲージみたいなものか」
「はい。次元同士の影響は人から人へ攻撃を仕掛けた時に発生しやすいので、そう捉えてもらって異存ありません」
アルトは口元に手を置いた。
「じゃあ始めようか、シュルバ?」
矢野がシュルバに問う。
「いつでもOKです♪」
シュルバは薄い目で矢野を見ながら、ニヤリと笑った。
「じゃあ団長、始めてくれ」
霧島はコクリと頷き、Enterキーを叩いた。
「訓練開始です」
先に仕掛けたのは矢野だった。
矢野は口に咥えていたタバコを左手の指に挟むと、口から同じく白い煙を吐いた。
煙はだんだんと大きく広がっていき、最後には部屋中を包み込むほどにまでなっていた。
「なんだこれ!?」
別室に移動して試合を観戦していたヒロキが驚きをあらわにする。
「矢野さんが開発した、タバコ型煙幕。あのタバコの煙は少し特殊で、唾液と混ざると空気中に出た時に膨張するんです」
「俺達も煙幕は使うから卑怯だ、なんて言うつもりはないが…………これはシュルバ、少し不利かもな」
アルトが低い声で言った。
「ふふっ、どうだい?驚いただろう?」
矢野が煙の中で笑う。四方を取り囲む白い煙はあたかも矢野を守る壁のようにシュルバを寄せ付けなかった。
と、ふと矢野の前髪がチラリと揺れる。
「なんだ?風かい…………?」
矢野は辺りを確認するが、煙が揺れてる様子もなければ、そもそもここは室内なので風が吹くこともなかった。
「気のせいだったかねぇ…………」
矢野がそう呟いた瞬間だった。
矢野の目の前の煙が大きく横に揺れた。その煙は少しずつ矢野に近づくように進んでくる。そのスピードはどんどん速くなっていく。
そこで矢野は気がついた。
「違う…………これは!」
それは一瞬の出来事だった。
煙の中から現れた鉄の塊は高く上空に飛び上がって矢野の真上で一気に急降下した。咄嗟に小刀でそれを防ぐも、高い金属音と共に矢野の肩に力がのしかかった。
それは床についた後、煙を纏いながらゆらりと立ち上がった。
「この煙幕の中を突っ込んでくるとは…………やるじゃないか、シュルバ」
シュルバは目を見開いて口角を上げた。
「でも、まだまだ私よりは弱い!」
矢野は身を低くして仁王立ちするシュルバの股の下をスライディングで通り抜け、すぐに体を起き上がらせ、彼女の背中を切り裂いた。
「ぐっ…………!」
シュルバは飛ぶように前に逃げるが、それを読んだかのように矢野は高く飛び、天井を蹴ってシュルバの前に現れた。
「ほらっ!」
矢野はシュルバの脇腹を狙って小刀を突きつけるが、シュルバはそれを避け矢野にナイフを向けた。
「おっと!」
矢野は右に来たナイフを体を左に反らせて避けた。が、その次の攻撃を避け切ることはできなかった。
「隙ありっ♪」
シュルバは左足を高く上げ、矢野の腹を目掛けて体を回す。矢野はシュルバの蹴りをモロにくらってしまい、そのまま後ろに飛ばされた。
「へぇ、まだそんな技を隠し持っていたなんてね。どこにそんなパワーがあるんだい?」
「探偵は足で地道に調査する仕事なんですよ♪」
「ふふっ、面白いじゃないか」
矢野は体を前に倒し、地面を強く蹴った。シュルバはまっすぐに向かってくる矢野に向けてナイフを突き出すが、矢野はそれをくるりと回転しながら回避し、またもやシュルバの背後を取った。
「特別だ。私を楽しませてくれたお礼として、私の全力の攻撃を御見舞してやるよ!」
矢野はシュルバの背中を斬り付けた。それだけではない。矢野はシュルバの周りをぐるぐると360度、いや、それこそ上下も含めた全方位から斬り付け回った。
シュルバの苦痛の声が矢野の耳に通るたび、矢野は狂気じみた笑顔を見せる。そして、さらなる攻撃を繰り広げるのだ。
「あははははっ!どうだい、凄いだろう!」
その言葉を返せるほどの力はシュルバには残っていなかった。ありとあらゆる方向から攻めてくる矢野を目で追うだけで一苦労。ましてや反撃するなど、不可能に近かった。
「さぁ、これでトドメだ!」
矢野はシュルバの胴体に大きく一筋の縦の傷跡をつけた。
「これが私の全力、これが"カマイタチ"だよ」
「シュルバ!霧島さん、ゲージは!?」
「…………ダメです。シュルバさんは、次の一撃で間違いなく…………」
シュルバは血まみれになりながら、息を切らせていた。
「私にこの技を使わせたのは、団長以外だとアンタが初めてだ。さすが団長の見込んだ人間。うちの団員とは格が違うねぇ」
「………………矢野さん…………………………」
シュルバはのっそりと体を起こした。
「まだ…………立ち上がれるのか」
シュルバは矢野の前にゆっくりと進み、言った。
「覚えましたからねっ!」
シュルバはギランと目を開き、舌を出して笑った。
矢野が驚いてまばたきをした後には、シュルバの姿は矢野の前から消えていた。
「後ろですよ、矢野さん♪」
シュルバは矢野の背中に傷をつけた。それも1つや2つじゃない。まるで雨のようにも見えるナイフの跡を背中につけ、シュルバはまたその姿を消した。
そしてフッと現れ矢野を斬り付け、またフッと消えては別のところに現れる。
「まさか…………この動きは!」
「えぇ、言ったじゃないですか。矢野さんの"カマイタチ"の動きは、完全に覚えました♪」
矢野はぞくぞくっと身を震わせる。
「あぁ、最高だよ!シュルバ!アンタ最高だよ!」
矢野はシュルバに切り刻まれながら、笑っていた。
「流石だね、シュルバ。私を倒したのはアンタが初めてだ」
「いえいえ、あそこで矢野さんがカマイタチを使ってくれてなかったら、勝ち筋は消えてましたから」
「まぁ過程はどうであれ私は負けた。私はアンタに協力しよう」
「これから、よろしくお願いしますねっ♪」
矢野は笑顔で頷くと、何かを思い出したように押入れへ向かった。
「シュルバ、アンタにこれを託すよ」
「これは…………?」
シュルバが受け取ったのは黒いナイフだった。禍々しい紫色の持ち手はギザギザと尖っており、その先の黒曜石でできた刃の部分も触れただけで肉を裂けるほど鋭利に輝いていた。
「それは昔、怪盗団のアジトから押収した儀式用のナイフ。別名"邪龍の爪"だとか"呪いの剣"だとか、悪い噂が絶えないナイフだ。実際、今の今まで所有者は全員不幸な事故に遭って死んでいる。私でさえ、ついこの間交通事故に遭ったんだ。幸い、アイギスの楯から蘇れたけどね」
「そんなナイフを、なんで私に?」
「このナイフは中途半端な悪人が使うとその身を滅ぼしてしまう。ただ、実際儀式でこのナイフを使ったのは何十人も殺してきた極悪人だったそうだ。そしてそいつはいつしか王となり、幸せに死んでいったという伝承が残っている」
矢野はシュルバの胸に拳を当てて言った。
「アンタのその悪、絶対に貫き通せ。やると決めたんだったら、最後まで悪のままやり遂げな」
シュルバは覚悟に満ち溢れた笑顔で頷いた。
「ふふっ、やっぱりアンタは私好みの女だ。そのナイフ、大切に使ってくれよ」
矢野はシュルバの頭を撫でながら笑った。




