4章23話『置き手紙』
アルトの中にあったのは、マグマのような熱い怒りと氷のような冷たい呆れだった。
「おい、どういうつもりだ」
アルトがゼウスを睨みながら言った。ゼウスは表情をピクリとも動かさず、静かにこう言った。
「安心しろ、今の所あの女に危害を加えるつもりはない」
ゼウスのこの発言は本当だ。彼は本当に彼女に害を与えるつもりはない。しかし、アルトは会話を続けた。
「てめぇじゃねぇ」
冷酷に放たれた一言はゼウスを驚かせる。
「おい、聞いてんだろシュルバ。出てこいよ」
ゼウスはため息をつき、右手を横に振り払った。現れたのは薄い水色の画面。近未来的なディスプレイはアルトの目の前で空中にとどまっている。その画面に映るのは、薄暗い部屋の中でPCの光を浴びて白い肌を見せるシュルバだった。
「全く…………やっと出てきたか」
「どうしたの?アルト」
「どうしたの、だと?それは仲間を裏切っときながら言うセリフではねぇな」
アルトは目を薄め、声もいつもより低い。シュルバに対する感情をそのまま顔に表したような表情だった。
「条件は何だったんだ」
「…………条件?」
「俺達5人を裏切ってまでお前が神側につく理由とは何だ。お前の心をそこまで揺さぶったものとは何だったんだ」
シュルバは下をうつむき、彼女の肌と少し色がずれた左腕を目の前に突き出した。
「また、それなのか」
「私の中には2つの声があった。1つ目は、アルトも知っての通り理想を叶えたいという声。もう1つは、私達の力ではその願いは絶対に叶わないという声」
「"理想"ってことは、その義手の話に限ったことでは無いってことか」
シュルバは静かに頷いた。
「この2つの矛盾した声に挟まれている中、ゼウス様は私を誘拐した。みんなが保健室から離れた一瞬の内に、ね。最初は、彼は私を餌にみんなを釣ろうとしているとか私を殺してその首を見せてみんなの戦意を削ごうとしているのかなって思ってたの。でも彼はそんなことは一切しなかった。彼はこう言った。私が彼に協力すれば、私に理想を叶える力を与えてくれるって。みんなの戦意を消し去ることが出来たらみんなを完全に殺すこともしないってね」
「……………その話が嘘だ、とかは考えなかったのか?」
「彼のその発言から、嘘は感じ取れなかった。私の推理は私を裏切らないから間違いない」
「……………なるほどなぁ」
推理。
これはシュルバの得意とする探偵としての力でもあり、血液を操るヒロキの破壊や質量ごと姿を消すレイナの消失と同じような彼女の持つ能力でもある。
彼女を疑うということは、この2つを同時に疑うということになる。
「と、いうわけだ。貴様らには彼女と殺し合いをしてもらう」
「……………仕方ねぇ。で、何を使うんだ?」
「何を使う……………?」
「その言い方だと俺達はアンタと戦わないみたいだな。つまり、俺達と戦うのはシュルバ1人だ。でもそうなると、ほぼ同じ実力同時の人間が1vs5で戦うことになる。俺達の戦意を完全に削ごうとしているアンタがそんな不利な戦闘を仕掛けるとは思えない。だとしたらアンタはシュルバに規格外の武器を持たせるか、あるいは操縦可能な兵器を用意するか……………じゃないか?」
ゼウスはニヤリと笑った。
「正解だ。100%な」
ゼウスがパチンと指を鳴らすと、ゼウスの視線の先に光が集まり始めた。
その光はだんだんと形を形成していく。言葉に表すとしたら、龍や始祖鳥。悪魔の遣いと表現することもできるだろう。その生命体は長い牙と鋭い爪、そして尖った翼とくちばしを備えている。表される言葉が現実的ではなくなってしまう程にそれは禍々しいものだった。
「両方だ。私は彼女に操縦可能且つ規格外の兵器を渡したのさ」
「まさか、これを使ってくるとは思わなかったな…………」
アルトはナイフを抜いた。
「アルト、あれ何なんだ?」
ヒロキは刀に手をかけながら兵器を見る。隣に立つアルトは答えた。
「俺とルカとシュルバ、それと霧島さん達で共同開発していた人型以外のファントム、MONSTER。そのプロトタイプだ」
「その通り。我々はこの怪物と共に貴様らを殺す。貴様らは5人で力を合わせてこの怪物を殺す。それが今回の戦闘の内容だ」
ゼウスはそう言うと姿を消し、ディスプレイの中に現れた。
「ゼウス、1つだけシュルバと話したいことがある」
「…………構わない」
ゼウスはシュルバから離れた。
「なに?アルト」
「シュルバ、お前が消えたことを最初に見つけたのは俺だ」
「……………………理想を叶えるのに必要なものは?」
「意志と覚悟だ」
アルトとシュルバは互いにニヤリと笑った。
「「さぁ、絶望を始めよう」」
先に仕掛けたのはシュルバだった。MONSTERの長い爪はアルト達を目掛けて振り下ろされる。アルトとヒロキは後ろに飛んでそれを回避し、爪は地面に深く刺さった。アルトは爪を斬り落とすようにナイフを刺すが、堅い爪に跳ね返され傷1つつけることはできなかった。
背後から現れたアリスがサブマシンガンでMONSTERの足を撃つが、MONSTERの皮膚は銃弾をもろともせず、アリスは帰ってきた銃弾を脇腹に受けた。
アリスは脇腹を抑えた血塗れの手でMONSTERの足を触り、ワイヤーですぐに前線から離れた。
「よし、今ならいける!」
ヒロキは刀を縦に構えた。
いつもより堅い皮膚を破壊するからか、普段に比べて手に伝わる反動が大きい。しかしこれを制御しないと破壊は発動できないので、彼は強く刀を握った。
腕の血管が浮き出て、今にもはち切れそうだった。刀は小刻みに震え、いつ砕けてもおかしくない。そんな状況を耐え抜いたヒロキは、やっとの思いでMONSTERの皮膚を溶かすことが出来た。
「ぐはっ………!」
ヒロキは口から血を吐き、腹を抑えてしゃがみこんだ。
「ヒロキ!大丈夫!?」
「あぁ。なんとかな」
「駄目だ……………MONSTERの皮膚を破壊できたのはいいとしても、たったあれだけの面積を溶かすだけで俺は限界に近い出力を出さないといけない。これじゃあMONSTERが朽ちる前に俺が死んでしまう」
「全く……………仕方ねぇ。本当はギリギリまで待ちたかったけど、種明かししたほうが良さそうか」
「………………種って、何?」
「『敵を欺くにはまず味方から』…………その通りだったな」
「ねぇ、さっきからアルトは何を言ってるの?」
アルトは真っ青になるアリスを無視し、MONSTERに向かって叫ぶ。
「おい、こっち結構キツイぞ。とっとと話した方がいい気がするから話してもいいか?」
「まだダーメ。黙ってた方が面白いでしょー?」
MONSTERから聞こえてきたのはシュルバの声だった。
「んだよ、ド畜生だな」
「話すって…………何を?」
「別に何でもねぇよ。さっさと殺そうぜ」
アルトはポケットの中の1枚の手紙を握りしめた。その手紙はシュルバの字で書かれている。そこにはこう書いてあった。
『これを見た人は、その時が来るまでこの手紙を誰にも見せないでください。今、私の目の前にはゼウスという7柱の1人がいます。私はどうやらこれからこの神に連れ去られるみたいだからこの手紙を書きました。レイナちゃんに伝えた通り、ユグドラシルに来てください。おそらくみんなが何か行動を起こしてくれれば私とゼウスも行くと思います。そしたら私にこの手紙を読んだ事を伝えて下さい。私がちゃんと意思を保てているとしたら、私は理想を叶えるのに必要なものは?と問います。それに対し、意志と覚悟と答えて下さい。それを作戦開始の合図とします。おそらくゼウスは私をどこかに隔離してファントムか何かで戦闘をさせます。みんなはそのファントムと戦って下さい。私は操られているフリをしてみんなに攻撃します。バレてはいけないので攻撃は当てにいきます。ただ、私は隙を見てゼウスを殺します。だから、出来るならうまくゼウスを油断させて欲しいです。では、よろしくお願いします。
シュルバ
追伸 1枚目の手紙は捨ててもらって構いません。あれは全部嘘です』
シュルバが手紙1つ残さなかったというのはアルトの嘘。彼女はこの手紙を置いていっていたのだ。これが何を表しているかというと…………。
「アイツは裏切ってなんかいない」
アルトは再確認するように、誰にも聞こえないような小さな声で言った。




