第79話 奥の手
丸ノコが、ギィ……ギィィ……という音を立てていた。
刃は欠け、回転は安定を失っている。セッカの握る腕も、もはや感覚が薄れつつあった。
怪物が、ゆっくりと立ち上がる。再生を終えた巨体が軋み、首を鳴らすようにして正面を向いた。
一歩、踏み出す。
ズン……!
床が沈み、振動が空間を揺らす。距離は一瞬で詰まった。
その時、セッカは小さく笑った。
「……奥の手を使うしかないッスね」
丸ノコのスイッチを、五回、立て続けに叩き込む。安全域を超え、回転数は限界へと引き上げられた。
ギャァァァァン!!
悲鳴のような金属音。刃が震え、軸が耐え切れずに唸りを上げる。
怪物が拳を振り上げる──その瞬間。
「……いけ」
セッカは回転方向に合わせ、丸ノコ本体を叩きつけるように振り抜いた。
バギィィィンッ!!
破断音。
同時に、丸ノコの刃が弾丸のように射出される。
空気を裂く音は、刃が到達した後に追いついた。一直線に伸びる軌道。狙いは、怪物の首。
ズガァァァッ!!
肉と骨と筋をまとめて断ち切る鈍い衝撃。刃は喉元に深々と突き刺さり、その内部で停止した。
ギャアァァァ!
怪物が、壁を爪で引き裂くような不快な叫びを上げる。
セッカは背中から替え刃を取り出しながら、淡々と呟いた。
「……まぁ、折れかけじゃ、これくらいッスか」
丸ノコに新たな刃を装着する。
怪物は倒れない。激昂し、なおもセッカへ向かって突進する。
刃に触れぬよう、腕を前に突き出し、筋肉を極限まで硬直させて。
「……それじゃ、刺さらないッスね」
距離が消える。
「ッ!」
次の瞬間、怪物の拳が振り抜かれた。
セッカは咄嗟に丸ノコを前へ突き出し、ガードする。
激突。
衝撃で粉塵が舞い、視界が白く染まった。
セッカは床に倒れ込む。怪物は、その姿を見下ろしていた。
――絶体絶命。
だが、セッカは笑っていた。
彼の手にあった丸ノコには、刃が存在しなかった。
怪物が殴りかかった瞬間、
投げ放たれていた丸ノコの刃が壁を跳ね、
死角から怪物の首を貫いていたのだ。
刃はそのまま、背後のコンクリート壁に深々と突き刺さる。
血肉が繋がろうとしても、神経も、骨も、完全に断たれている。
頭部が床に落ちた。
ゴトン。
鈍い音が、空間に残った。
怪物は膝をつく。
ゆっくりだが、再生は始まっていた。
しかし、セッカは、その隙を見逃すはずもなく。
「切り刻みタイム〜☆」
軽い声とは裏腹に、動きに迷いはない。刃を交換し、スイッチを入れる。
ギィイイイイイィィン!
甲高い駆動音が響き渡り、セッカは楽しげに怪物を解体していった。
肉が裂け、骨が砕ける。
やがて、そこに“怪物”と呼べる形は残らなかった。
セッカは保管庫を出る。
「いや〜、疲れたッス!」
息を整えながら、何千分の一にまで分解された残骸を一瞥する。
静まり返った保管庫。勝利を告げる音は、すでに失われていた。
セッカは、階段までやってくる。
ドアを開けると
「ありゃりゃ」
砕け散ったコンクリート。ぐちゃぐちゃに潰れた肉片が辺りを埋め尽くしている。
「何があったんスかね?」
セッカは上を覗き込む。広がるのは、底知れぬ暗闇。
「上に行けば、分かるッスかね?」
丸ノコを床に置き、近くに倒れていた自らが殺した兵士の死体を担ぎ上ぼる。
そのままエレベータールームへ向かい、兵士の手を認証装置に触れさせた。
低い音と共に、扉が開く。
セッカは死体と共にエレベーターに乗り込む。
ゴーン……。
モーター音が響く中、彼はB2のボタンを押した。エレベーターは、静かに上昇を始めた。




