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インナーヒットマン  作者: 太田
第5章 真実と雛

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第77話 イヌ

 そこは、だだっ広い空間だった。


 いくつもの机が規則正しく並び、その上には実験用と思しき機材が所狭しと置かれている。


 星は、こちらをちらりと一瞥する。そして次の瞬間、腹の底から湧き上がるような笑い声をあげた。


「はは!まさか、スペアが自分から来てくれるとは!」


 僕は迷わなかった。星に向け、引き金を引く。


バンッ!


 弾丸は一直線に心臓へと向かった。


 しかし、セラさんが、静かに手を前へ突き出した。


 炎が生まれる。次の瞬間、弾丸は熱に飲み込まれ、跡形もなく溶け消えた。


「……ッ!」


 虚ろな瞳。そこに、僕の知っているセラさんはいなかった。


「……セラさんに、何をした!」


 怒鳴る僕をよそに、星は指先を忙しなく動かし、答えようともしない。背後で、かすかな声がした。


「あれが……ママ?」


 ノアちゃんの、震える声だった。


「答えろ!!」


 僕が叫ぶと、星は露骨に苛立った顔をした。


「うるさいな。セラには“私の言葉に絶対服従する”薬を投与しただけだよ。取引先を勝手に殺す、渡した金を全部ゲームにつぎ込んで消える、よく分からんオスを研究所に連れてくる……本当に手のかかる女でね。だが今は──ただの、従順なイヌ」


 怒りで、指先が震えた。


「……お前は、セラさんのことを何だと思ってる!」


 星は楽しそうに笑う。


「ん〜?優秀な“母体”かな。なぁ、セラ。お前、何体産ませたんだっけ?」


 セラさんは、何の反応も示さない。理性が切れた。


 僕はナイフを握り、星に向かって駆け出す。


ドゴッ。


 次の瞬間、視界が跳ねた。セラさんの蹴りが腹に突き刺さり、身体が宙を舞う。


「悪いがな。お前と遊んでる暇はないのだよ。スペアを渡せ」


「……渡すわけ、ねぇだろ」


 睨む僕に、星は深いため息をついた。


「はぁ~。物分かりの悪いガキは、嫌いなのだよ」


 星が手にしたリモコンのボタンを押す。


 低い駆動音。机や機材が床に沈み、足元がゆっくりと下がっていく。


 何もできず、立ち尽くすしかなかった。


 五メートルほど下がったところで、床は止まった。星だけが上に残り、こちらを見下ろしながらパソコンを操作している。


「ママ!!」


 ノアちゃんが叫んだ。


「わたし、ノアって言うの! あなたの娘なの!会いたかった……ずっと……ねぇ、ママ!!」


 セラさんは、答えない。


 星が苛立たしげに叫ぶ。


「セラ!その男を殺せ!スペアは動けなくしろ!」


 ノアちゃんは、叫び続ける。


「ねぇマ────


 その言葉を遮るように、セラさんの蹴りが放たれた。


 反射的に、僕はノアちゃんへ飛び込む。突き飛ばすように抱え込み、蹴りをかわす。


 ノアちゃんの顔は、恐怖で引きつっていた。


 僕はコートを脱ぎ、彼女に被せる。


「ノアちゃん……待ってて。ママは、絶対に僕が元に戻す」


 振り返らず、セラさんを見る。


 虚ろな瞳のまま、彼女はこちらへ歩いてくる。


 蹴り。横へ転がり、辛うじてかわす。風切り音が、耳を裂いた。


「セラさん!僕です!初で───


ドゴッ


 全体重の乗った蹴りが、鳩尾に叩き込まれた。


 息が潰れ、身体が折れる。続けざまに顔面を蹴られ、視界が砕ける。


 面が吹き飛び、床を転がった。


 霞む視界の中、セラさんはノアちゃんの方へ向かう。


「ママ……」


 セラさんの手が、ノアちゃんの足に触れる。腕が、赤く発光していく。


───まずい。


「……いや……」


 ノアちゃんの、か細い悲鳴。


──ごめん、セラさん。


バンッ!


 僕は引き金を引いた。


 だが、セラさんは腕を振る。炎が生まれ、弾丸は溶け落ちた。


 彼女はノアちゃんから手を離し、僕に向き直る。腕には、燃え盛る炎。


 振り払われる腕。炎が、空を裂いて迫る。


 後ろへ跳ぶが間に合わない。炎が、僕を包んだ。空気が焼け、喉が灼ける。皮膚が突っ張り、激痛が全身を貫く。叫ぶ間もなく、床を転がった。


 スーツが燃え上がり、引き裂くように脱ぎ捨てる。


 視線を上げる。


 炎を背に、セラさんが立っていた。揺らめく火が、彼女の影を歪めていた。

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