第70話 実験室
やけに明るい廊下がどこまでも続いていた。左右には同じ形の扉が規則正しく並んでいた。
僕は歩みを止め、少し後ろを振り返った。
「ノアちゃん、もう目を開けていいよ」
背中からそっと降ろす。ノアちゃんは床に足をつけると、きょろきょろと周囲を見渡した。
「ここは……実験室ね」
「実験室?」
「薬の研究とかをしている場所」
「なるほど……」
その時、少し離れた場所で店長が振り返り、軽い調子で言う。
「じゃ、手分けして確認してこよ〜」
「了解です」
右側を店長、左側を僕とノアちゃんが担当することになり、扉を一つずつ開けていく。
ノアちゃんと一つずつ扉を開いて中を確認する。
「第2実験室」と書かれたプレートの部屋を覗くと、中はひどい有様だった。机は倒れ、器具は床に散乱し、何かが暴れ回った後のように荒れ果てている。人の気配は微塵もなく、研究員たちが慌てて逃げ出した様子だけがはっきりと残っていた。
部屋を確認しながら、僕はふとノアちゃんに声をかけた。
「ねえ、ノアちゃん。ママって、どんな人なの?」
「……分からない」
「え?」
「会ったことがないの」
「そうなんだ…」
扉を開ける音が、やけに大きく廊下に響いた。しばらくして、今度はノアちゃんがこちらを見上げる。
「……逆に聞くけど、ママってどんな人?」
「え……そうだな……」
セラさんのことを思い返す。画面越しに交わした何気ないメッセージ、淡い色の髪、明るい声、やたらとよく食べるところ。
「……君に似てるよ」
「わたしに?」
「うん」
「どんな所が?」
「……寝ている顔とかかな」
「…なにそれ」
そう言って、ノアちゃんは小さく笑った。その笑顔が、不思議なくらいセラさんと重なって見えた。
四つ目の扉を開ける。やはり中には誰もいない。
再び廊下に出て歩きながら、僕は胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。
「ねえ、ノアちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「……警備兵とか、ニトラが君のことを“スペア”って呼んでるのは、どうして?」
一瞬、沈黙が落ちる。
「……分からない。ただ、“ママのスペア”って言われてるのは聞いたことがある」
「セラさんの……?」
「ええ」
次の扉に手を伸ばした、その瞬間。
ガシャーン!
何かが一斉に床へ落ちる、けたたましい音が廊下に響いた。僕とノアちゃんは顔を見合わせ、音のした部屋へと駆け込む。
「や……やめてくれ……」
中では、店長が刀を構え、その切っ先の先に、眼鏡をかけた、髪の毛の乱れた研究員が震えながら立ち尽くしていた。




