第64話 殺しちゃダメです
少女は、まるでこちらの呼吸まで数えているかのように、微動だにせず僕らを見つめていた。
「貴方たち……ここの人間じゃなさそうね」
その一言に、空気が少しだけ張りつめる。
「お嬢ちゃん…どうしてこんな所にいるの〜?」
店長は、いつもの飄々とした笑みを崩さずに尋ねた。
「私はここに住んでるの。──まあ、“監禁されてる”って言った方が正しいけど」
少女はまた視線をページに落とし、難しそうな本をぱらぱらとめくった。そして、ゆっくりと本を閉じる。
パタン。
「お願いがあるの」
「なぁに〜?」
少女の瞳が僕らを射抜く。年齢に似つかわしくない、鋭く、訴えかける眼差しだった。
「……ママに会わせて」
その言葉には、揺るぎない決意が宿っていた。
「ママ?ここにいるの〜?」
「ええ。この研究所に」
「研究員〜?」
「いいえ。……モルモットよ」
胸の奥がひやりと冷えた。
「ん〜。ママの名前は〜?」
「ママの名前は────セラ」
「は?えっ?んッ?」
思わず声が裏返った。
───この子、セラさんの子供ッ??え?どういう?
僕の動揺を見て、少女は静かに言った。
「貴方、ママを知ってるのね」
「う、うん……」
「じゃあ連れてって」
少女はすっと立ち上がった。その身体は、喋り方に反して驚くほど小さかった。
「……君、何歳?」
「七歳よ」
「ななっ!?」
───僕より年下だと思ってたけど、セラさんって何歳???
僕は、小声で店長に言う。
「…店長どうします?」
「まぁ連れて行けばいいんじゃない〜?こんなとこに監禁されてたんだし、重要人物かもよ〜?薬の手がかりにもなるかもしれないしね〜」
僕は少女に向き直る。
「名前は?」
「ノア」
「ノアちゃん。よろしく。僕は田中初。で、こっちが──」
「ドバトで〜す」
「……案内してくれるのね?」
「もちろん」
ノアちゃんを先頭に、僕たちは子供部屋を後にした。
資料室は、先ほどよりも冷気がこもっているようだった。
ドアノブに触れた瞬間、店長が僕の襟をつかんだ。
「待って」
次の瞬間──
パンっ!
火花のような破裂音。銃弾が目の前をかすめ、壁の奥へ消えた。
僕と店長は壁に身を伏せる。
「最低でも八人はいるね〜」
店長は、隙間からナイフを差し込み、反射で敵影を数えたらしい。
「まぁ、血痕放置してたし、そりゃあバレるよねぇ〜」
「出てこい!!」
怒号が響く。状況は最悪だった。
「ノアちゃん、隠れて──」
振り返る。
しかし、そこにノアちゃんの姿はなかった。
「ノアちゃん……?」
「あ」
店長の声に、僕も外を見る。
ノアちゃんが、堂々と廊下へ出ていた。
「打ち方やめ!!!スペアに当たる!!」
警備兵が慌てて叫ぶ。
僕らもノアちゃんに続いて外に出た。
警備兵たちは驚き混じりの表情で固まる。ノアちゃんは淡々と告げた。
「わたし…ここから出る事にするわ」
それを聞くと警備兵達は、銃を肩にかけ、ナイフを取り出す。
「スペアには、絶対危害を加えるな。後ろにいる侵入者を殺せ!!!」
警備兵達がナイフを持って突撃してくる。
店長は素手のまま前に出た。
「店長!子供が見てるんで殺しちゃ駄目ですよ!」
「え〜…」
店長は困ったように笑った。
刃の光。兵士が突進する。店長の身体が半歩ずれた。
ゴッ!
肘が顎を砕き、兵士が宙を舞う。
二人目が斜め上から振り下ろす。店長は手首をつかんだまま壁に叩きつける。
金属音とともにナイフが落ちる。
次の二人は同時だった。店長は滑り込み、肩で一人を跳ね上げ、もう一人の刺突を腕で弾き、逆関節へと誘導した。
悲鳴。膝つき。顎への蹴り。
次々と崩れ落ちていく兵士。
最後の三人が突っ込んでくる。店長は壁を蹴り、影のように背後へ回り込んだ。
後頭部、膝裏、鳩尾。一息で決着がつく。
「終わり〜」
店長はあくびまでしていた。
僕もノアちゃんも呆然とするしかなかった。
「貴方達強いのね…」
「いや、あの人が異常なだけだよ…」
「じゃぁ、縛っちゃうか〜」
店長は倒れた兵士たちを縄でまとめる。
「じゃ、行くよ〜」
そのときだった。
「待てぇ!!」
振り返ると、指を失った兵士が銃を構えていた。
「あ〜、縛ってなかった〜」
男は引き金を引く。
ダダダダダッ!!
弾丸の嵐。僕は咄嗟にノアちゃんの盾になった。
痛みを覚悟して目を閉じる──が、何も起きない。
恐る恐る目を開ける。
弾丸が、空中で止まっていた。
全員が言葉を失った。
店長はその隙にナイフを投げる。
ゴッ!
持ち手の部分がとんでもない速度で頭に当たった。
倒れる兵士。
僕と店長は、ノアちゃんの方を見る。
「……今の、君の能力?」
「うん……」
ノアちゃんはその場にぺたりと座り込んだ。
「大丈夫!?」
「ええ……ただ、すごく疲れるの」
息を切らしながら言うと、ぽつりと一言。
「……おんぶして」
その声は、年相応の幼さを含んでいた。
「分かったよ」
僕はノアちゃんを背負う。小さな腕がぎゅっと僕の首に回された。
店長は周囲を確認しながら歩き出す。僕は少女を背に乗せ、静かに後に続いた。




