第63話 少女
銃を肩にかけ、僕は店長の背中を追って歩いた。
廊下を曲がったところで、警備兵が一人、こちらへ向かってくる。すれ違う一瞬、心臓の鼓動が耳を打つほど大きく響いた。
───落ち着け……。平常心だ…。
通り過ぎる警備兵、僕は、少し深く呼吸をした。
僕たちはエレベーターの前に辿り着く。店長は何も言わないまま左側の扉に足を向けた。ガラスの扉が自動で開き、冷たい空気が肌を撫でる。
白い廊下がまっすぐ伸び、その突き当たりに鉄製の扉がひとつだけぽつんと立っていた。扉の上には、 “記録室”と書かれていた。
そこに立っていた警備兵が僕らに気づき、鋭い目を向ける。
「お前ら、ここに何の用だ」
店長はにっこりと笑った。
「所長から、ここにある記録を取ってこいって言われまして〜」
「……そうか」
警備兵の視線が揺れた瞬間、彼は銃を握りしめた。
「ここは研究員以外立ち入り禁止だ」
引き金に指がかかった──次の瞬間だった。
店長の腕が、閃光のように警備兵の懐へ滑り込む。
何かが落ちる乾いた音。床には、人差し指が転がっていた。
「……っ!」
千切れた指から血が噴き、警備兵は反射的に手を押さえる。その顎に、店長のフックがめり込んだ。
鈍い衝撃音と共に、警備兵はその場に崩れ落ちた。あまりに滑らかな動きに、体が冷えるような恐怖が走った。
店長は倒れた警備兵の腰から鍵を抜き取り、慣れた手つきで扉を開ける。記録室は図書館のように棚が整然と並び、膨大な資料がずらりと収められていた。
「……初くん、その人、中に運んどいて〜」
「は、はい……」
血で重くなった制服をつかみ、警備兵の体を引きずり、棚に立てかけた。可哀想だったので足元に指を置いてあげた。
店長は資料をめくりながら深いため息をつく。
「薬の情報を探すよ〜」
「はい」
棚には「実験について①」などと書かれたファイルが無数にあった。開くと、投薬実験の量、薬を注射して変異させた後の耐久実験、薬品の調合過程……そんなものばかり。
投薬実験をうたっては、いるがただの拷問だ。
独房にいた人たちの顔が、脳裏に浮かぶ。
ファイルをめくっていると、一枚の紙がひらりと落ちた。拾い上げ、文面を読む。
―――――――――
〈インナーヒットマン計画二十周年記念文〉
インナーヒットマン計画は、本年で二十年の節目を迎える。
この長き歳月のあいだ、私は確信を深めてきた。
本計画こそが、人類──いや、この星に生きるすべての生物を、次なる段階へと導く唯一の道であると。
進化の果てに到達する世界、それは争いの火種すら存在しない静謐なる平和の世界だ。
私は、その実現のために生涯を捧げている。
しかし、この道程は決して清廉なものではなかった。
幾人もの子供たちが、未来のために名も残さぬ犠牲となった。
彼らの痛み、恐怖、そして沈黙を、私は忘れない。
忘れてはならない。
その重みを背負い続けることこそ、計画を率いる者の義務なのだ。
故に──私は、この計画を必ず成功させる。
たとえどれほどの苦悩が待ち受けようとも。
たとえ世界が理解を拒もうとも。
これは悲願であり、贖いであり、宿命である。
2021年3月1日 星 文雄
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書かれていた署名は 星 文雄。2021年の日付。今は2025年……ということは、この計画は24年前から続いている。
──そんな昔から……?
しかも「幾人もの子供が犠牲になった」だなんて
嫌な汗が背中を流れた。
ガタッ。
突然の物音に、肩が跳ね上がる。音のした方を見ると、異様に分厚い扉が壁にめり込むように設置されていた。
「なにこれ〜?」
店長がひょいっと後ろから顔を出す。扉にはデジタルロック、1〜9までの数字が整然と並んでいた。
「中に薬があるんですかね……?」
「ん〜。適当に押してみよ〜」
店長がボタンを押すたびに、ブーッという拒否音が鳴り響く。
「暗証番号みたいなの見てない〜?」
「いや……」
さっきの文書が脳裏をかすめる。
───インナーヒットマンが開発され始めたのって今から24年前だから…2001年だよな……?
とりあえず、僕は「2001」と入力した。
ピーッ。
扉のロックが外れる軽い音が響いた。
「やるじゃん〜!」
店長が嬉しそうに笑う。僕は銃を構え、ゆっくりと扉を開けた。
金属がきしむ鈍い音。
その先に広がったのは――
カラフルな壁紙。箱いっぱいのおもちゃ。研究施設の無機質さとは正反対の “子供部屋” のような空間。
だが床には、散乱した本の山。不自然な静けさが漂っていた。
部屋の中心で、小さな影が一冊の本を読んでいた。その子は、こちらに気づき、ゆっくりと顔を上げる。
「……誰?」
薄い色の長い髪を持つ少女がそこにはいた。




