第59話 会話
目が覚めると牢屋は、消灯したのか薄暗かった。体を動かすと、服の布が擦れ合う乾いた音がやけに大きく響いた。
───今は、何時だろう…。
寝ぼけた頭でそう考えていると、
コン、コン──。
鉄格子を叩く音が、響いた。
反射的に身を固くする。薄闇の中、ぼんやりとした人影。輪郭もあいまいだが、見覚えのある背の高さ、雰囲気がそこにあった。
「……セラさん?」
小さく声を漏らす。
「はい!」
空気を破るような、やけに明るい声が返ってきた。
確かにセラさんだ。
「お話しましょ!」
牢屋の静寂の中で、その声は少し浮いて聞こえる。
僕たちは鉄格子を背に、左右に分かれて座った。暗くて表情どころか姿もよく見えないが、背後の気配だけは確かにあった。
「……こんな所にいて、大丈夫なんですか?」
思わず声を潜めて聞く。
「大丈夫ですよ! 多分! 今は警備の人が来ない時間帯なので!」
無根拠な自信に満ちた声が、白い部屋に明るく響いた。
「そ、そうですか……」
短い沈黙が落ちたあと、セラが不意に声を潜めた。
「……初さんは、なんで殺し屋なんてやってるんですか?」
「えっ……それは……」
「だって、初さん弱そうなんですもん。殺し屋に向いてなさそう」
「失礼な…」
思わず苦笑する。少し間を置いて、僕はゆっくりと言葉を選んだ。
「実は──」
そこから、僕は自分の経緯を洗いざらい話した。
六田と遭遇して襲われたこと。
六田組の部下に追い詰められ、店長に救われたこと。
『トリカゴ』に入る事になったこと。
薬の情報を追って六田を襲撃するも失敗し、そのせいで組織から追われる身になったこと──。
セラは、途中一度も口を挟まず、ただ静かに耳を傾けていた。
「───というわけです」
語り終えると、後ろの気配はやけに静かだった。
「……セラさん?」
振り向いた瞬間、
すー……すー……
規則正しい寝息が耳に届いた。
「……セラさん!」
「わ!えッ!はい!聞いてますよ!」
明らかに寝ていた声だった。
「寝てましたね?」
「………聞いてましたよ!」
言い張る声が小さく反響し、再び静寂が戻る。やがて、ぽつりとセラが呟いた。
「……初さん、可哀想ですね」
「え?」
胸の奥を、冷たい指で触れられたような感覚が走った。
「やりたくもない、仕事を無理矢理やらされて。それでこんな所に閉じ込められて」
「…」
「初さんみたいな“普通”の人は、こんな場所にいちゃダメです。ゲームして、遊んで、ご飯食べて、お昼寝して。毎日そんな普通の生活して、おじいちゃんになって、静かに死んでいく……。初さんみたいな人は、そうじゃなきゃダメなんです……」
その声は、少し震えていた。
胸が詰まる。言葉が出てこない。しばし、深い沈黙が続いた。
その沈黙の中で、セラの声がかすかに零れた。
「……一緒に逃げちゃいましょうか?」
「え?」
僕は思わず訊き返した。しかしその瞬間、セラが慌てたように声を上げた。
「いやっ!忘れてください!今のはただの……独り言です!」
セラは立ち上がる。暗がりの中、彼女の輪郭だけが揺れた。
「初さん、それでは!」
足音が廊下へと駆けていき、白い闇に吸い込まれるように消えた。
残された静寂だけが、牢内に重たく沈んだ。




