第55話 独房
目を覚ました。瞬間、鼻の奥につんと冷たい消毒の匂いが刺さる。
上体を起こし、あたりを見渡す。そこは、病院とも監獄ともつかない、白すぎる四角い部屋だった。
トイレが一つ。洗面台が一つ。窪んだコンクリートをそのままベッドにしたような突起が一つ。布団も枕もなく、ただ冷たい灰色がむき出しだった。
正面には太い鉄格子。格子の向こうには、誰もいないまっさらな白い廊下が伸びている。
天井を見上げると、監視カメラの黒いレンズがじっとこちらを覗いていた。
ふと、自分の服装に気づいた。淡い色の、病院で渡されるような患者服。靴も脱がされ裸足であった。
白い壁といい、鉄格子といい、ここは、病院の独房にしか見えなかった。
そのとき、鋭い痛みが腕を走った。
「ッ……!」
袖をたくし上げると、皮膚には点のような跡。どう見ても、注射の痕だった。背筋に冷たいものが走る。
──薬を……注射された……?
脳裏に、あの不死身の化け物たちがちらついた。人の姿をしていながら、人ではなかった連中。もし同じものを打たれていたら──
だが、いまのところ身体に異変はない。
──じゃあ……もしかして、適合した……のか?
能力が宿ったのかもしれない。その可能性が生まれた瞬間、胸の奥で妙な期待が弾けた。
僕は無人の部屋で両手を突き出した。
「でぇりやぁあああ!」
コンクリートの壁に声だけが虚しく響く。何も起きない。
──掛け声が違うのか?
「風の精霊よッ!」
何も起きない。
両腕を大きく後ろに引き、体勢を整える。少年時代に擦り切れるほど真似した、あの構えだ。
「か〜め〜は〜め──」
「何してんねん」
ぼそりとした声が割り込んだ。
振り向くと、鉄格子の隙間からロン毛の男が覗き込んでいた。呆れきった表情で、まるで珍獣でも見るように僕を見ていた。




