第52話 薬の情報
その場に、僕は大の字に倒れ込んだ。
全身の感覚が遠のき、痛みだけが妙に鮮明だった。手足は鉛のように重く、指一本すら動かすことができない。
「……」
影の薄い男が、無言でビデオカメラの録画停止ボタンを押す。
六田が、僕を見下ろしながらゆっくりと拍手した。
「いやぁ、まさか勝っちゃうとはねぇ。いいデータが取れたよぉ?」
周囲から、観戦していた男たちの嘲笑がこぼれる。
「あんなのに負けるとかよ」
「石下、弱すぎだろ」
六田はニコニコとメガネを持ち上げ、満足げに言った。
「じゃあ約束通り、薬について教えてあげる」
六田は、胸ポケットに指を滑り込ませ、黒いケースを取り出した。金具の外れる軽い音がして、注射器と小さな薬瓶が露わになる。月明かりを受けて、瓶の中の液体が青白く揺れた。
「この薬はね?」
六田は瓶を指先で転がし、楽しげに僕へと見せつける。
「さっきも言ったけど、服用すると“超人的な力”が手に入るっていう、とーっても凄い薬なんだぁ。火を吹いたり、空を飛んだり、神様にだってなれちゃうかもしれない。でもね?万能なわけじゃない。」
声色は明るいのに、内容は底冷えするほど残酷だった。
「適合しないと……すごい再生能力を得る代わりに、理性が完全に飛んで、ゾンビみたくなっちゃうんだぁ。まあ──ここで使ったのは、100%そうなるやつなんだけどねぇ」
脳裏に、つい先ほどの光景が蘇る。理性のない化物が襲ってきた光景が。
「本物の薬で適応できるのは、大体…30%くらいかなー?ねぇ、ラジン君?」
六田が振り返ると、ロン毛の男──ラジンが肩をすくめた。
「まあ……そんくらいやな」
「でねー?」
六田は話を続けながら、光る注射器の針先を覗き込む。
「僕はある“科学者”と取引して、この薬を手に入れてるの。薬のテストを請け負う代わりに、一定量を好きに使える契約を結んだのさぁ。で、その科学者が寄こした記録係ってのが……僕の隣のニトラ君と、そこにいるラジン君。……あともう一人確かいたよね?」
ラジンが深い溜息を吐く。
「遅刻や」
「まあいっかぁ」
六田は愉快そうに笑い、肩を揺らした。
「彼らの協力のおかげで、僕は薬を自由に試せる。最高の契約だよねぇ?」
僕は唇を噛みしめ、沈黙するしかなかった。
「誤算だったのはさぁ……君を襲った西上から“トリカゴ”に薬の存在がバレちゃったこと。でもねぇ、トリカゴが送ってきたのが“君”でよかったよ。おかげで僕の計画がまだ続けられそうだし!」
「……お前は、いったい何のためにこんなことを?」
問いかけた僕の声は、自分でも驚くほど掠れていた。
六田は、それを聞くと本当に嬉しそうに、無邪気な子どものような笑みを浮かべた。
「最強の軍隊を作るためだよ」
「……軍隊?」
「そ。能力者だけの軍隊。そいつらを作って、気に入らないもの……この国ぜ〜んぶ、ぶっ壊すんだぁ。」
語り口は夢物語そのものだった。だからこそ、背筋が冷える。
能力者一人ですらとんでもない力を持つ。そんな者たちが「軍隊」として動けば……この国がどうなるかなど想像するまでもない。
六田は、突然どうでもよさそうに手をひらひらと振った。
「この前、僕のお気に入りのブローカーが、どこかの殺し屋に殺されちゃってさぁ?」
脈絡のない話題転換。だが、心臓が止まるほど冷たくなる。
「そいつはねー、調子に乗って薬をばら撒いててさ。おかげで、組に薬売ってるのがバレちゃったんだよねぇ。で、今日ここに呼び出されたから、どうせなら軍のテストをしちゃおうと思ったわけ」
胸の奥がきゅっと縮まる。
──スズメさんとやったあの仕事…。あの時殺したブローカー。あれは、六田の部下だったのかッ!!
六田は僕の表情の変化を楽しむように、ゆっくり笑った。
「まあ恨んではないよ。あの子、薬を撒き散らすから、そのうち僕が殺してたし」
その瞬間、六田はためらいもなく銃を抜き、僕の額へと突きつけた。冷たい鉄が皮膚に触れ、呼吸が止まる。
「薬の話はおしまい。じゃあ初くん、ここでお別れだね。最後に言い残したいこと、ある?」
僕は血の味を噛みしめながら、限界まで睨み返す。
「……死ねよ、ドブカス」
六田は微笑み、引き金に指をかけ──
その瞬間。
「すみませーん!!」
勢いのある声が庭に響き渡った。
薄い色のショートカット。見覚えのある少女が駆け込んでくる。
「ッ……!?」
「遅れましたぁ〜!!」
その少女は───セラさんだった。




